3 本調査地域の活断層の概要

丹波高地の南西縁を限るように北西−南東走向に連続する京都西山断層群(またこの3つの断層はその性質から三峠断層系の南部を構成しているという見方もある)の内、亀岡盆地その周辺を構成する断層が亀岡断層、神吉・越畑断層および殿田断層である。それらの断層は亀岡盆地や越畑盆地および神吉盆地などの大小の断層角盆地を形成する主要な活断層である(図3−1)。

 丹波高地の南西縁を限るように北西−南東走向に連続する三峠断層系は、京都府内でも最大規模の活断層の一つである。藤田(1968)やHuzita(1969)によって三峠断層は和知町三峠山南麓に左ずれ水平変位が卓越する断層として最初に記載された。特に、山崎断層と平行で同じずれ方向をもつことや微小地震の分布と一致することが述べられている。また、1968年にマグニチュード5.6の和知地震がこの断層付近で発生したために注目を浴びた。その後、『日本の活断層』(1980)によって活断層としての性質が記載され、植村(1988)により変位様式や変位速度が明らかにされた。

 三峠断層系とは福知山市長田野付近から、三峠山南麓(瑞穂町域で和知町域は含まない)に達する約18kmの活断層をさすが、広義にはその東延長にある日吉町から京北町周山へ至る周山断層を含む。また、南方へ約6km隔たった丹波町須知付近から日吉町殿田につづく殿田断層、その東延長の八木町神吉から京都市右京区越畑に至る越畑断層、さらに亀岡盆地の東縁を限る亀岡断層などを一括した大断層系とみる場合もある。いずれにしても丹波高地の西南縁付近に位置し、北摂山地や多紀山地など西側の地塊との地形境界をなす。この南西延長は京都盆地西縁の活断層系へつながっていくが、上下変位のセンスが逆になる点で注目される。越畑断層は樫原断層に,亀岡断層は西山断層や光明寺断層などに連なっていき、その南端は有馬−高槻構造線によって切られている。

 ここでは、今回の調査範囲内に分布する神吉・越畑断層および亀岡断層についてその性質を要約する。

○神吉・越畑断層  

神吉・越畑断層は神吉から越畑北方まで北西、そこから南へ原まで南北と走向を変化させ、くの字形をなして約15km連続する。越畑盆地には第四紀中後期の堆積物で埋積されているが、その最上部に大山生竹火山灰(DNP)が、崖錐堆積物には姶良Tn火山灰(AT)が挟まれており、形成年代を確定できる。越畑から原までの間に二本の断層が並走している。西側のものは中位段丘面に急傾斜部が続き、西落ち約20m程度の撓曲変位が認められる。東側の断層は京都市嵯峨から連続する山麓部に分布し、姶良Tn火山灰層を含む中位段丘に、撓曲崖として数メートルの東側隆起の変位が認められる。両断層全体の垂直変位は0.4m/千年程度でB級中位の活動度をもつと考えられる。

○亀 岡 断 層

 園部町船岡付近から八木町日置,亀岡市保津を経て篠付近まで亀岡盆地の東縁を境として、約15km連続する顕著な活断層の地形が認められる。北部で北西、南部で北北西と走向を変え、逆くの字型に折れ曲がる。断層の変位は東側隆起が卓越し、見事な三角末端面の発達を見せるが、新しい時代の変位地形が発達する地域は少ない。断層崖直下の扇状地面に2〜3m程度の東上がりの撓曲状変位を生じているのが、亀岡市旭町から千歳町付近の約3qほどの間に断続的に観察される。さらに、断層崖から0.3〜1kmも離れた盆地内部側にも段丘面をきる低断層崖が発達する。馬路町の東には沖積段丘に比高1m程度の直線状崖が連続し、相対的隆起側面も東に逆傾斜していて、逆断層変位の可能性が高い。川原林町から保津付近へ姶良Tn火山灰を挟む低位段丘T面をきる。比高2〜3mの低断層崖が北西走向で約2kmほど連続する。これらは、いずれも東側隆起を示し、周囲の地形と調和的である。山麓扇状地の年代は不明だが、最終氷期末期の3〜5万年前頃と仮定すると、山側の断層で0.04〜0.1m/千年程度,低地側の断層では0.07〜0.1m/千年程度の変位速度となり、両者ともC級〜B級下位程度の活動度とみなせる。両者を合わせてB級中位程度になるのであろう。

 なお、1830年8月19日の文政地震の震源を亀岡断層または越畑断層にあてようとする見解があり、今後の調査によってその可否を確認する必要がある。