2−2 文献調査

1830年の地震について監修 宇佐美 龍夫の日本地震被害総覧から概説する。

 1830年8月19日(天保元年 7月2日、M6.5 東経:135.6゜ 北緯:35.1゜)

 京都および隣国の地震:列強地域は京都市内に限られ、土蔵のほとんどは倒壊など被害を受ける。しかし、民家の倒壊はほとんど無かった。御所、二条城本丸をはじめ、諸建物の被害多く、地割れから噴砂が見られた。また、両本願寺は一尺程度傾むき、愛宕の坊2、3を残して倒壊。京都での死者280人、傷1300人。伏見では町屋の倒壊あり。宇治橋半壊。大阪では大阪城の櫓・石垣破損、領内で潰 4。大津では死者4人、傷2、倒壊した家屋6戸。亀岡では城中はたいしたことはなかったが、町で死者4人、傷5、倒壊した家屋41戸、損所50箇所。 地震は鳴動(弱い前震?)に始まり、その直後大地震となる。上下運動が強かったらしい。余震非常に多く、翌年1月までに635回以上を数える。有感範囲は紀伊、伊勢、大垣、氷見、因幡、丹後、美作、四国の広範囲に及んだ。

 1830年の地震(天保の地震)は文献調査によって余震を含めて数百回の地震が整理されている。亀岡盆地においては有史以来、特筆されている地震はこれのみである。