(5)地質断面の検討

地質踏査の結果をベースに、熊本市水道局(1990)の既往ボーリング資料を用いて、地質断面図(図3−1−7)を作成した。北あるいは北西側低下の断層(落差は少なくとも 50〜100 m 程度)が推定される。各断面線は図3−1−6 地質平面図に示した。

(1) A−A’ 断面

調査地域西方の権現山から御坊山(阿蘇宮神社)にいたる北西−南東方向の断面である。坪井川の地下部では基盤岩である金峰山火山岩類の凹地を埋める有明粘土層や Aso−4 火砕流堆積物等の分布が推定される。御坊山の南の平野地下部にも、有明粘土層や Aso−4 火砕流堆積物が分布すると考えられる。御坊山の北西部に断層が推定されるが、地表では断層は確認できない。

(2) B−B’ 断面

金峰山から城山に至る北西−南東方向の断面である。坪井川の地下部あるいは城山の南の平野地下部に、有明粘土層や Aso−4 火砕流堆積物等の分布が推定される。城山北西斜面の末端に立田山断層が推定される。空中写真判読ではかなり明瞭なリニアメントが認められるが、地表では断層は確認できない。

(3) C−C’ 断面

独鈷山を通る北西−南東方向の断面である。独鈷山北西斜面の末端に立田山断層が推定されるが、地表では確認できない。井芹川の地下部あるいは独鈷山南の平野地下部に、有明粘土層やAso−4 火砕流堆積物等が存在する。

(4) D−D’ 断面

花岡山を通る北西−南東方向の断面である。花岡山北西斜面の末端に立田山断層が推定され、基盤岩類(金峰山火山岩類)が金峰山側で深いことが認められる。しかし、ボーリング資料は乏しく確定的な断面ではない。D−D' 断面付近から北東にかけて、Aso−4 火砕流堆積物が地表部に出現する。

(5) E−E’ 断面

熊本城を通る北西−南東方向の断面である。Aso−4 火砕流堆積物からなる台地面に立田山断層が推定され(藤崎台球場の北西側崖地形)、立田山断層を挟んだボーリング資料の比較から北側低下の断層構造(Aso−3・4 間堆積物の分布標高差)が把握される。

(6) F−F’ 断面

立田山の南側を西北西−東南東方向に切る断面である。立田山北西斜面の末端に立田山断層が推定され、断面線近傍では断層露頭(走向・傾斜は N 15°E・70°N)が確認されている(図3−1−13)。立田山の火山岩は、高角度で地下深部へ落ち込んでいる。また、断面図左側では北西側低下の F−1 断層が、右側では北西側低下の F−3 断層が認められる。

(7) G−G’ 断面

立田山の中央部を通る北西−南東方向の断面である。地表に露出する金峰山火山岩類は断層で切られ、北側では地表面下まで落ち込む。したがって断層により託麻砂礫層との地質境界が形成されているが、地表部の断層露頭は確認できなかった。立田山断層を挟んでAso−3 火砕流堆積物の分布高度には、50 m 近い高度差が生じていることが理解される。また、断面図右側では北西側低下の F−3 断層が認められる。

(8) H−H’ 断面

立田山北側の清水町新地から御領町八反田までの北西−南東方向の断面である。阿蘇火砕流堆積物(Aso−3 および Aso−4 火砕流堆積物)とその上位に分布する託麻砂礫層で分布標高を違えているのが、立田山断層である。かつて、渡辺(1987)はこの付近で断層露頭を記載しており、今回の調査においてもリニアメントが判読され、また派生断層と考えられる露頭(走向傾斜は E−W・80°N)が観察されている(図3−1−16)。また、断面図右側では北西側低下の F−3 断層が認められる。