(3)地質構造

布田川断層は、長陽村立野から益城町砥川に至る一連の断層であり、下陳から畑中間で2条に分岐し並走する。この分岐した2条の断層をその分布位置により北側断層、南側断層と区分した。この分岐した区間以外は1条である。

この断層はその走向から北甘木断層に続くと推定され、その長さは長さ23.5kmである。この断層は北西側低下の高角度の断層である。

長陽村立野から西原村大峯間では、布田川断層は山地内を通り、Aso−2火砕流堆積物と先阿蘇火山岩類の境界をなし、西南西に延びる。

大峯山麓付近では時代未詳の厚い扇状地堆積物で覆われ、断層そのものは確認されないが、この急斜面は比高約80〜100mで、既往ボーリング調査から推定される高遊原溶岩基底面の北西側低下約122mの落差と近似し、断層が存在すると推定される。

断層は西原村布田の布田川左岸の麓の直線的山裾を通り、河床のAso−4火砕流堆積物の露頭の南限付近を西南西に延びる。

布田川の峡谷部の露頭(m612)では、断層がAso−2火砕流堆積物と高遊原溶岩が断層で接する。主断層は高角度の断層(N73゜E,82゜N)である(図2−1−13)。この断層は峡谷沿いにAso−4火砕流堆積物とAso−2火砕流堆積物の境をなし西南西に延びる。この間はほぼ1条の断層と考えられる。

布田川の峡谷を抜け、杉堂を過ぎて木山川の低地に至り、空中写真判読では2条ないし3条のリニアメントとなるが、断層は下陳で2条に分かれ、山脚部と山間部と分れ西南西に延びる(図2−1−8−1図2−1−8−2)。

山脚部のLBリニアメントは益城町平田付近でAso−3火砕流堆積物とAso−2火砕流堆積物の境をなす北西低下の高角度断層(露頭m381)として確認される。

山間部側(南東側)の断層は今回の調査で確認されないが、渡辺(1984)は金山川河岸で断層露頭を確認し、断層面は50゜北傾斜の正断層としている。

この断層の南方延長部ではAso−3火砕流堆積物の基底面で約30mの北西低下の変位が推定される(図2−1−9)。

他にAso−2火砕流堆積物の中でL1面堆積物が分布する小規模な地溝を形成する高角度な断層(露頭m364)が確認された。この地溝を形成する断層は派生断層で、南側の断層(N70゜E,88゜N)は北西低下を示し、また、北側の断層(N81゜E,85゜S)は南東低下を示し、L1面堆積物の基底の砂礫層上面で4mの落差を示す。この派生断層の北側には、L1面上に比高約8mの崖が認められ、同様に北東側の下陳ではL2面で5mの高度不連続が見られる(図2−1−10)。

田中付近で、断層は2条であり、1条は山脚部、1条は山間地をさらに南西に向かう。

赤井付近では、2条に分岐、並走した断層が1条となり、益城町砥川を通り南西に延る。その南西延長は、山脚部から沖積層の下を南西に向かい北甘木断層に繋がることも考えられる。また、南南西に延び日奈久断層に繋がるとの見解がある。

本報告書では、北甘木断層の東端がL2面に小規模な崖も認められず、連続性が断たれるが、断層の分布形態から北甘木断層に接続すると推定した。

この断層のさらなる西方延長は有明海での海底探査の段差記録に連続する可能性がある。

北甘木断層は、3〜4条のリニアメントであり、踏査では全て表土に覆われ確認できる露頭はないが、M2面およびL1面が北西側に緩く傾動している。

なお、杉堂付近から木山川の右岸側に直線的な崖が連続し、木山断層が江津湖付近まで延びていると推定されている。しかし、今回の踏査では、断層が予想される急崖の末端付近で、Aso−4火砕流堆積物に小規模な割れ目が僅かに認められた程度(写真2−1−16)で、断層露頭や地質の急変は見られなかった。

写真2−1−16 木山断層が推定される付近でのAso−4火砕流堆積物内の割れ目(益城町木人家裏)