3−1−2 プレート境界に関する議論

杉村(1972)はプレート境界として相模トラフ、国府津−松田断層、駿河トラフを結ぶ線を想定し、国府津−松田断層をフィリピン海プレートとユーラシアプレートとのプレート境界とみなした。その後、さまざまな説が提案されている。たとえば、石橋(1976)は国府津−松田断層がプレート境界ではなく、西相模湾断層をプレート境界と考えた。その後、石橋(1988)はこの断層をフィリピン海プレート内の左横ずれ断層と考えを改めて西相模湾断裂と改名した。多田(1977)はプレート境界が熱海付近で伊豆半島を横切ると考え、大河内(1990)は真鶴海丘南縁の海底断層をプレート境界と考えている。小山(1995)は丹那断層と平山断層を結び、その東側を真鶴マイクロプレートと呼び、そのマイクロプレートの東は西相模湾断裂で限られ、国府津−松田断層をプレート上盤の覆瓦スラストのひとつと考えた。このようにこの地域のプレート境界については現在も議論が続いている。