2−3−1 千代南原遺跡

千代南原遺跡の基本層序は上位からT層〜W層に区分され、T層は耕作土、U層は西暦1707年(宝永4年)の火山灰を含み、V層は弥生時代から平安時代の遺物包含層、W層はローム層で縄文晩期、後期の火山灰を含むことがあるとされる。この遺跡の第W地点B、C、D地区では断層あるいは背斜構造が報告されている。A〜D地区は千代台地の西縁に推定される断層に沿ってNW−SE方向に並んでいて、AとB地区はほぼ断層推定位置上にある。

B地区ではW層を切る逆断層がみられ上盤側は褶曲変形を伴うようにみえる。図2−26からはV層最下部(第15層:弥生時代?)まで断層変位を受けていると読み取れる。逆断層の走向/傾斜は確認できない。上本・上杉 (1998)によるとB地区と思われる箇所にはE−W/70Sの断層が記載されており、断層活動時期は古墳時代中・後期〜平安時代とされている。

C地区では断層が記載されているが、これは地表部の耕作土まで切っていて構造運動に起因したものと思えない。しかし、ここでもB地区と類似した背斜構造がみられ西暦800年(延暦19年)とされる火山灰の下位で、図2−27の34〜27層:弥生〜古墳時代が変形している。

D地区では宝永火山灰を変形させる断層があると記載されている。スケッチ(図2−28)をみると宝永火山灰付近の土層までがクサビ状の変形をしており、地割れ、あるいは高角度の断層である可能性がある。これに対応する地震としては天明小田原地震(1782)、嘉永小田原地震(1853)、大正関東地震(1923)がある。遺物としては弥生時代から古墳時代前期を中心に出土しており、これらの土層はすべて切られているように見える(図2−28)。

以上から千代南原遺跡では@弥生〜古墳時代、A宝永火山灰以降の2つのイベントがみられる。