2−1−1 国府津・松田断層

国府津・松田断層に関しては、町田・森山(1968)は、箱根新期軽石流の堆積面高度が、同断層を境にくいちがっていることから、この断層を活断層とみなし、箱根新期軽石流堆積後の変位量を100m以上と推定した。一方、大磯丘陵における下末吉面相当の海成吉沢面の高度は約100mで、完新世の中村原面(2.2で詳述)の高度から外挿して得られる高度よりも低いことから、新しい時代ほど断層運動が急速化したと考えている。

山崎(1984;1985)は、地形・地質調査及びボーリング調査から、同断層の平均変位速度を求めている。それによれば、約25万年間で足柄平野は約500m沈降していることから、足柄平野の沈降速度を2m/ky以上としている。また、約6万年前に形成された海成三崎面の標高が、大磯丘陵で105mの隆起、足柄平野で30mの沈降を示すことから、平均変位速度は2.3m/kyになるとしている。

山崎(1985)は、足柄平野においてアカホヤ火山灰(K−Ah)層準が沈降し、縄文晩期の沖積段丘面(鴨宮面)が存在するという事実から、関東地震の繰り返しによる隆起の累積と、国府津・松田断層の運動に伴う大規模な沈降が重複していると考えている。そして、鴨宮面が段丘化していることから、足柄平野は最近、国府津・松田断層の運動による沈降運動を受けておらず、同断層は少なくとも2300年間は活動していないと考えている。

Yamazaki(1992)、山崎(1993)は、山崎(1985)の見解を説明するモデル(図2−2)を示し、国府津・松田断層の再来間隔を2000〜3000年と推定している。

国府津・松田断層の最新活動時期に関しては、水野ほか(1996)は次のような見解を示している。トレンチ調査(山田、上曽我、曽我谷津、国府津の4地点)の結果(図2−3図2−4図2−5図2−6図2−7表2−1)から、国府津地点では、地割れと地すべり面が確認され、地割れを充填している土壌の年代が約2900年前、地割れを覆う黒色土最下部の年代が約2800年前を示すことから、地割れと地すべり面の形成時期は約2800〜2900年前(縄文時代後期)としている。この年代は曽我谷津地点でみられた活動時期(縄文時代中期〜弥生時代末期)と一致し、上曽我地点でみられた地割れの形成時期(古墳時代以前)とも矛盾しないことから、国府津・松田断層の最新活動は約2800〜2900年前である可能性が高いとしている。

水野・山崎(1997)では、金子トレンチにおいて約3000〜3500年前とそれ以降の地すべり活動時期を認め(図2−8)、前者が国府津・松田断層の活動によるものとしている。以上の最新活動時期に関する見解は、広域に確認された地すべりの活動時期を根拠にしており、断層本体の変位は確認されていない。

山崎・水野(1999)では、鴨宮付近のボーリングコアの珪藻分析から約3000年前の沈水現象が報告され、それ以降に顕著なイベントが認められないことから、約3000年前を国府津・松田断層の最新活動の結果と解釈している(図2−9図2−10図2−11)。