(2)トレンチの西側のり面における断層性状

(1) 西側のり面における断層性状

西側のり面での断層は,トレンチ最下部で上盤(南)側の初声層と下盤(北)側の宮田層との地質境界となっている。また,下盤側のF2〜F3層,上盤側のF1〜F4層を切って,B5層に覆われている。B5層から上位の地層は,断層による変形は認められない。

トレンチ西側のり面における断層性状を図2−30に示す。

@ 断層の形態

西側のり面における断層の走向・傾斜は,N70°W,70°Sである。標高18mを境に,それより下部標高では70°前後で南傾斜するが,上部ではほぼ垂直に近い傾斜となる。

標高18mより低い位置では,初声層が破砕している。初声層の破砕状況は,約5mmの薄層状の断層粘土を伴い,幅10cm以下で細片状に割れやすくなっている。しかし,断層から10cm以上離れると,初声層の破砕状況は軽微となる。

標高18mより高い位置での断層は,シャープな線として識別できる。断層は,未固結なF層の地層境界となっているため,破砕帯は見られない。

A 谷底堆積物の変形

宮田層より上位の谷底堆積物は,下盤に分布するF2,F3層に著しい引きずり変形が見られる。断層下盤側の腐植質なF3層は,断層によって約1m引きずり上がったような構造が確認される。

トレンチのり面における上盤側のF1〜F4層の変形は,明瞭でない。

B 宮田層と谷底堆積物間に認められたせん断面

西側のり面の最底部では,ほぼ水平なせん断面が宮田層とE2層,F2およびF3層の地層境界となっている。このせん断面は,初声層に接する断層面付近において傾斜が大きくなり,断層に収斂する状態で分布している。しかし,このせん断面は東側のり面では連続していないため,F2ないしF3層中で消滅する可能性が高い。

図2−30 トレンチの西側のり面における断層性状

スケッチの縮尺:1/25

(2) 西側のり面の断層追跡溝における断層性状

断層追跡溝の掘削は,トレンチ西側のり面より,最終的に西側に1.6m掘り込んだ。西側のり面の断層追跡溝位置は,図2−28のとおりである。

西側のり面で行った断層追跡溝の観察結果を,掘削の段階ごとに以下に示す。

@ 掘削中に出現したF層中の埋没木と断層性状

断層追跡溝の掘削中に埋没木が出現している。埋没木は,径約20cm,高さ約30cmであり,淡褐色の色調で生木のような未分解の状態を示した。

この埋没木は前述のように,4,050±590yrsBPという補正14C年代値が得られており,F層の年代値と比べて,極めて若いB層の年代値を示している。したがって,この埋没木は,B層が地表面であった時期に何らかの機構でF層中に根付いたともの考えられる。

F層中に出現した埋没木と壁面の観察結果を,図2−31に示す。

この掘削段階における断層は,追跡溝の底盤から分岐する2条が識別できる。これらの断層は,後述のα断層およびβ断層に相当する。グリッド深度−5より下部で,α断層とβ断層は明瞭に識別できるが,グリッド深度−5より上部において,両者は明瞭に識別できず,α断層に相当する1条だけが識別できる。α断層は,B5層の直下まで直線的に延び,B5層に覆われている。

(参考資料) 埋没木の鑑定結果 

樹種はムクロジ属のムクロジ(Sapindus mukurossi Gaertn.)である。樹皮近くの組織をみたところ,春材部の道管の1列目が形成中であることがわかった。三浦半島でのムクロジの成長に関する資料がないため,明確ではないが,おそらく現在の関東地方の平均的な季節で初春(3月下旬〜4月中旬)くらいに成長を止めたと考えられる。中心が腐っているので,正確な樹齢は不明であるが,残存していた材部分は約6pで,その中には48本の年輪が認められた。

ムクロジは,落葉高木で高さ25m,径1mになる。現在の分布は,本州(茨城県・新潟県以西)・四国・九州・琉球・小笠原である。ムクロジは落葉広葉樹であるが,暖温帯常緑広葉樹林(照葉樹林)の主構成種の一つで,現在の三浦半島でも普通に見られる種類である。三浦半島では,横須賀市久里浜の伝福寺裏遺跡で4900〜5600yrsBPの木材化石群集の調査が行われている(能城ほか:1994)。その結果では,スダジイを主とする暖温帯常緑広葉樹林が復元されており,今回のムクロジもその構成種として出土している。現在わかっている中では,この報告が東京湾沿岸地域で最も古い照葉樹林の存在を示した報告である。実際には照葉樹林の分布拡大については,未だ明確なことがわかっていないのが現状である。おそらく,今回のムクロジも,久里浜の事例と同じくらいの年代になると推定できる。

図2−31 F層中に出現した埋没木と壁面の観察結果

A 掘削途中の壁面観察

断層追跡溝における掘削途中の状況を図2−32に示す。この時点では,後述のγ断層は確認されておらず,α断層およびβ断層だけが識別でき,南側のα断層を最も明瞭なせん断面として評価している。

断層は,断層追跡溝の底盤においてF4層とF2層の地質境界を形成しており,底盤と壁面の境界付近で2条に分かれ,壁面ではα断層とβ断層の並走する2条の断層として識別できる。

α断層は,初声層とその上位のF4〜F1層をせん断し,B5層直下まで明瞭に追跡することができる。α断層はB5層に覆われ,それより上位の地層を変形させていない。α断層に接するF1〜F4層は,北側下方に撓むような引きずり変形が認められ,断層に近接する初声層には,破砕が認められた。

β断層は,F2層およびE2層をせん断し,B5層に覆われる。この掘削段階において,β断層は明瞭な断層として識別できない。

α断層とβ断層の間は幅約10cmであり,淡緑色の砂混りシルトが分布している。この砂混りシルトは未分解の腐植物を含んでおり,β断層下盤(北)側のE2層およびF2層起源と考えられ,その変形程度は低いと判断された。

β断層下盤(北)側の断層追跡溝底盤には,暗青灰色の粘土が不規則に分布した。この粘土の層相は,blB−2孔の断層直上の粘土に酷似していた。断層の追跡作業は,この掘削段階の壁面観察を終えた後に増掘した。

図2−32 掘削途中における西側のり面の断層追跡溝の状況 スケッチ縮尺:1/20

B 断層追跡溝の最終壁面状況

西側のり面における断層追跡溝の最終壁面では,断層が3条に分岐することが確認された。3条に分岐する断層は,南側からα断層,β断層,γ断層と仮称した。

α断層は,上盤側のF層と断層破砕帯の境界を形成するもので,明瞭な面構造を形成し,上盤側の初声層およびF2〜F4層をせん断する。すなわち,F2〜F4層は,α断層に接する地層で下流(下盤)側に大きく撓み変形し,これらの変形帯がα断層で切られている。しかし,α断層の最上部は,F1層とF2層との地質境界に収斂するようにみえる。

F1層はβ断層との間に引きずり込まれているため,F1層の変形形態はF2〜F4層とは異なっている。

β断層は,破砕帯を通るせん断面であり,B5層直下まで直線的に延びる。最終壁面におけるβ断層は,破砕帯内にあるのでB5層から上位の地層を変形させていない。壁面下部におけるβ断層はα断層と合流し,初声層の北縁を画して断層追跡溝の底盤へ連続する。β断層と接する粘土部では,右横ずれを示す引きずり変形が確認される。

γ断層は,宮田層およびE2層の南縁を画し,E2層最上部までを明瞭に切っているが,その上のB5層は全く変形していない。γ断層とβ断層との間に最大幅で約30cmの破砕帯を伴うことが特徴的である。このうち灰白色シルト質砂礫層は,軟質な未固結層であり断層活動に伴い引きずり込まれた谷底堆積物と考えられる。γ断層は,B5層に覆われているという点ではβ断層と同様であり,最新の活動を示していると思われる。

β断層とγ断層間の破砕帯は,20〜30cm幅の断層粘土および変形した宮田層のブロックを含むことから,複数回の断層運動を示唆している。最終壁面では,β断層が破砕帯の南縁を,γ断層が破砕帯北縁を画している。また,α断層はF1層を明瞭に切っておらず,すでに撓み変形していたF2層〜F4層をさらにせん断しているように観察されることなども,複数回の断層活動がうかがわれる。しかし,α断層はB5層上位にまで及んでいないので,最新活動より古い時期に活動した可能性が大きい。

図2−33 西側のり面の断層追跡溝の最終状況 スケッチの縮尺:1/20