(5)秦野盆地及びその周辺の地形面の区分と年代

秦野盆地東部においては,河成段丘面は,葛葉台面・岩倉面・才ヶ戸面・今泉面群・尾尻面群に区分されている (内田ほか,1981).これらの段丘面は,Y−1番〜Y−141番テフラの降下・堆積時期に形成された地形面である (図1−6).テフラと地形面の分布は,関東第四紀研究会 (1987) の付図 (暫定地質図) に示されている (図1−7).たとえば,Kupと あれば,吉沢ローム層上部 (Y−1〜Y−57) があることを示す.以下には,本地域のテフラ層序との関係 (関東第四紀研究会,1987) とテフラの年代をもとに,段丘面の離水年代を述べる (表1−3).

吉沢ローム層上部 (Y−1〜Y−57) の時期に離水した段丘面は,秦野盆地では葛葉台面と命名されている (内田ほか,1981).葛葉台面は,葛葉第3礫層の堆積面である.表1−2に示したように,Y−57の直上にあるY−58番テフラ層中の大山生竹軽石 (DNP) の年代は,8.4〜9.3万年前 (TL年代及びESR年代;長友,1990) であるので,葛葉台面の離水時期は約8〜9万年前であると考えられる.

岩倉面は,TP (東京軽石) の噴出・堆積直前に離水している (図1−6).TPの14C年代は,約5.2万年前である (中村・岡・坂本,1992;表1−2).したがって,岩倉面は5.2万年前以前に離水していることになる.図1−6のY−11 (Y−65〜Y−58期) およびY12 (Y−79〜YY−66期)に形成された地形面は,関東平野多摩川流域の武蔵野面群に相当する.

才ヶ戸面は,Y−80〜Y−93番テフラの時期に形成された段丘面であり,Y−93期にはほぼ完全に離水している (図1−6).すでに述べたように,Y−77番テフラであるTPの年代は約5.2万年前である.また,後述のY−97' (含黒雲母グリース状Gv) の 14Cが約3.8万年である.これらの年代を内挿すると,才ヶ戸面の離水時期は約4万年前であると推定される.この時期に離水した河成段丘面は,全国的には多数あるが,多摩川流域では立川面が武蔵野面と接する段丘崖 (武蔵野崖線) 近くでしか確認できず,面区分がなされない例が多い(上杉・上本,1993).

今泉面群は,Y−93〜Y−113番テフラの時期に離水した複数の河成段丘面の総称である (図1−6).Y−97' (含黒雲母グリース状Gv) の14C年代は約3.8万年前 (叶内・杉原,1994)であり,Y−113の 14C年代は約2.7万年前 (愛鷹ローム団研グル−プ,1970) である (表1−2).したがって,今泉面群の離水時期は,約3万年前であると考えられる.今泉面群は,多摩川流域の立川段丘面の主部に相当する.

尾尻面群は,Y−114〜Y−141番テフラ期に離水した複数の河成段丘面からなる.Y−117番テフラ中の広域火山灰であるAT (姶良丹沢テフラ) の噴出・堆積年代は約2.4万年前 (町田・新井,1992),Y−130−2及びY−141−3の14C年代は,それぞれ約1.7万年前 (愛鷹ローム団研グル−プ,1970) ・1.1〜1.2万年前 (上杉・木越,1986) である.これらのテフラとの層序関係から,尾尻面群の離水時期は,約1〜2万年前であると考えられる.

表1−3 河成段丘面の離水時期

このほか,完新世に形成されたと推定される河成段丘面も複数認められる.これらは,相模湾岸では4面に区分されているが,秦野盆地周辺では区分未完成である.