(3)トレンチ調査結果のまとめと解釈

(1)日向トレンチの地層の生成過程 

日向トレンチの地層の生成過程は次のように考えられる。

a.A及びA´の立川ローム層の上面が侵食された後、Bローム質褐色土及びD黒色土が堆積した。<3140〜2770yBP頃>

b.N19〜N20の位置に流水による削り込み谷地形が出現した(削り込みは立川ローム層中の礫層部−@立川レキ層相当−で止まる)。

c.Cの暗茶褐色土が堆積し、その上にD黒色土がすべり落ちた。

d.削りこみ流路がせき止められ、その上流域に池沼が出現した。下位から、E 腐植混じり粘土(S−6−3期のテフラを挟む)及びF泥炭層(S−8,9,10,11,12のスコリア層とKgを挟む)が堆積し、堆積環境は沼地から湿原へ移行した。

e.ほぼ全体に陸化が進行し、富士山起源のスコリア質土壌(G〜K)が形成された。

E暗灰色粘土からS−22スコリア(湯舟第二スコリアでこの上下にシルト層が連続分布する)層準まで、緩い凹状(西傾斜を主体)に堆積した。ただし、I以降には耕作等人工改変が加わったとみられる。さらに宝永スコリア(Ho)がほぼ水平に堆積した。堆積当時、すでに畑と水田を境する人工改変による高低差はあった。

f.E暗灰色粘土層及びF泥炭層は、堆積当時からかなりの圧密沈下が進行し、地盤の傾動(後述)が加わって地層はさらに西側へ傾斜した。地層の傾斜は上位のS−22スコリアまで及んだ。

(2)日向トレンチにおける断層活動の考察

日向トレンチの調査結果のまとめを表2−5−5に示す。

本トレンチでは、小さな亀裂を除けば、伊勢原断層本体、あるいは派生した断層は認められず、断層による地層の切断・変位等の直接的な現象は確認できなかった。しかし、トレンチ壁面には、前述のように地層の亀裂、地すべり、水成層の傾動等、多数の変状が認められた。検討・考察の結果、それらは断層運動、地震等に起因する現象と考えられ、以下のような地盤変動にまとめられる。

立川ローム層TcL及びTcL’に縦亀裂や緩傾斜の地すべりを発生させた。時期は亀裂に落ちこんだ土壌の年代から4660±60yBP頃、及び3140±80yBP頃。

流路がせき止められて、地層C,E,Fの堆積へと転じた(沼・湿地の出現)。せき止めの原因は断層運動に伴う撓曲変形、または地震に伴う崩壊等による流路の閉塞の可能性がある。時期は2900yBP頃。

F泥炭層〜S−22テフラ(H層中)の撓曲変形(圧密沈下と複合)。泥炭層は、ほぼ水平に堆積したと考えられ、また、S−22も上下にシルト層を伴う事からほぼ水平に堆積したと考えられる。しかし、現在は泥炭層で10°前後、S−22で1°(S面)または4°(N面)傾斜している(いずれも見掛)。ただしS−22は分布が小規模でS面とN面の傾斜に違いがあることから確実に傾動しているとは断定できない。時期は、F泥炭層上面堆積(2020±70yBP)以降であることは確実であるが、S−22堆積(約1900yBP)以降である可能性もあり、宝永スコリア堆積(1707AD)以前である。

元々、西から東へ傾斜するはずの扇状地の末端に南北方向の流路が発生し、それがトレンチの南方でせき止められて上流域に沼・湿原が形成されたことや、E粘土層・F泥炭層やスコリア層(S−22)も西側に緩く傾斜することは、断層運動による地盤の傾動と考えられる。したがって、これらの地盤変動の内、は、伊勢原断層自体の活動によるもので、最新活動時期を示すものと考えられる。及びは、伊勢原断層の活動以外の原因(遠地地震等)でも起こり得る現象である。

以上より、日向トレンチ調査の結果では、最新活動時期は約2000yBP以降、1707AD(宝永)以前と結論される。その1回前の活動時期は不明である。

表2−5−5 日向トレン チ調査結果のまとめ

写真1−1写真1−2       <日向> 日向トレンチ壁面写真(N面・S面)

写真2写真3          <日向>

写真4写真5写真6     <日向>

写真7写真8写真9     <日向>

写真10写真11写真12   <日向>

写真13写真14写真15   <日向>

写真16写真17写真18   <日向>

写真19写真20写真21   <日向>

写真22写真23写真24   <日向>

写真25写真26写真27   <日向>