(9)調査結果と解釈

石川県埋蔵文化財保存協会の梅田B遺跡発掘報告書(未公表)によれば、弥生後期後半の遺構面および同年代の水路遺構(SD−112)が同年代の水路遺構(SD−109)を境として平野側が50cm程度高くなっていることから、地盤の変形時期を弥生時代後期後半〜末と推定している。

今回のトレンチ結果においては、発掘調査等により地表面付近の沖積層が失われ、もしくは乱されていたため正確な活動年代は把握できなかったが、ある程度変位が生じた年代の推定が可能であった。

沖積層の変形は最下部から最上部までほぼ一定であることから、トレンチで確認できる変形は1回の変位によってもたらされたものと考えられる。壁面で観察された最下位の沖積層が形成された年代は、14C年代測定によりB.C.3,050年程度という結果が得られた。また、確実に変形していると確認できる最上位の地層の形成年代はB.C.50年程度である。これよりさらに上位の地層は発掘もしくは耕作により乱されているため、トレンチの壁面観察のみからではその後の活動履歴について詳細な検討を行うことは困難である。しかし、遺跡発掘調査の結果より、古墳時代前期(14C年代測定結果ではA.D.650年前後)に形成された水路遺構の底の標高が断層の上盤・下盤側とも同レベルで、地盤変形以降ある程度時間をおいて構築されたものであることが確実と考えられることから、これが形成されるより前に変位が生じたことは確実である。また、弥生時代後期後半(同A.D.85年前後)に形成された水路遺構は、断層活動によって生じたと考えられる低崖の下端に沿って掘削されていることから、変位が生じたあとに形成された可能性が高い。

これらのことから、今回の調査結果からは、断層変位は少なくともB.C.50年以降、A.D.650年以前に生じたことは確実で、推測を含めるとB.C.50年からA.D.85年の間、つまり現在より2,000年前程度の時期に生じた可能性が高いと考えられる。なお、T−2トレンチでは、B.C.3,050年以降に1回の活動しか認められなかった。