(3)地質構造

調査地域に分布する第三紀および第四紀更新世中期以前の地層(高位砂礫層以前)の地質構造は、卯辰山東部〜金沢市街地中心部付近を除くと、大局的にはNNE−SSW走向を主体とし、一部ではNE−SW走向を示し、 西に10〜72°の角度で傾斜する。調査地域東部から西部の丘陵縁辺部に向かうにしたがって急傾斜になる、いわゆる森本撓曲(今井,1959)、森本急斜帯(坂本,1966)あるいは森本急傾斜帯(北陸第四紀グループ,1968)と呼ばれる撓曲構造を形成する。

卯辰山東部〜金沢市街地中心部付近では、NNE−SSW〜E−W走向を示し、西または南へ3〜10°の非常に緩い角度で傾斜し、金沢向斜(坂本,1966)と呼ばれる向斜構造を形成している。図2−4−5−1に調査地全域における第三紀および第四紀更新世中期以前の地層の層理面のシュミットネット下半球投影図を示す。

第四紀更新世後期以後の地層(中位段丘堆積層以後)は、やや傾斜した平坦面を形成している。

以下、各地層ごとに記述する。

図2−4−5−1 調査地域全域における第三紀および第四紀更新世中期以前の地層の層理面のシュミットネット下半球投影図

(1)高窪層の地質構造

高窪層を構成する地質は、無層理〜層理の目立たない塊状のシルト岩を主体とする岩相であるため、凝灰岩および砂岩の薄層が挟在される露頭でのみ地質構造が認められる。このことから、詳細な構造は把握できないが、おおむねNNE−SSW〜N−S走向、10〜20°西傾斜である。

(2)大桑層の地質構造

本層は、大局的にはNNE−SSW走向を示し、一部NE−SW走向を示す部分を含む。地層の傾斜は10〜42°で、東部から西部の丘陵縁辺部に向かうにしたがって急傾斜になる、いわゆる撓曲構造を形成する。地層の走向については大きな変化はないが、傾斜は地域ごとに大きく異なる。以下に各地域ごとに記述する。

@調査地域北端部(津幡町中津幡〜浅田付近)

走向はNNE−SSWでほぼ一定しており、傾斜は10〜12°で西に緩く傾斜している。

A調査地域北部(津幡町南中条〜金沢市森本町付近)

走向はNNE−SSWを示し、北端部同様にほぼ一定している。傾斜は27〜42°で西に傾斜する。北端部の中津幡付近よりも傾斜が急になっており、南へ向かうほど高角度になる傾向がある。また、東部では緩傾斜であるが、西部の丘陵地縁辺部に向かうにしたがって急傾斜になる傾向がある。

B調査地中部(金沢市森本町〜御所町付近)

走向はNNE−SSW〜NE−SWを示す。傾斜は10〜36°で西に傾斜し、調査地北部と同様に東部で緩傾斜、丘陵地縁辺部に向かうにしたがって急傾斜になる傾向がある。

(3)卯辰山層の地質構造 写真2−4−7

本層の地質構造は地域によって大きく異なっている。以下に各地域ごとに記述する。

@金沢市森本町〜大樋町付近

地層の走向はNNE−SSW〜NE−SWを示し、25〜72°で西に傾斜している(写真U−4−5−15)。大桑層と同様に東部では緩傾斜、西部の丘陵地縁辺部に向かうにしたがって急傾斜になる傾向があり、撓曲構造を形成する。金沢市神谷内の野蛟神社南方では、72°の高角度で西に傾斜しており、今回の調査では最も高角度の傾斜を示した(写真U−4−5−16)。

A金沢市大樋町〜卯辰山付近

地層の走向はNNE−SSWを示し、10〜33°の低角度で西に傾斜する。卯辰山では、@の地域ほど明瞭ではないが、大桑層と同様に東部で緩傾斜、丘陵地縁辺部に向かうにしたがって傾斜が急になる撓曲構造となっている。

B卯辰山東部および小立野台地〜犀川にかけての金沢市街地中心部

地層の走向はNNE−SSW〜E−Wを示し、西または南へ3〜10°の非常に緩い角度で傾斜している。この付近の地質構造は、坂本(1966)によって金沢向斜と呼ばれており、NW−SE方向の伸びを示す向斜構造の北翼をなしている。

写真U−4−5−15  金沢市小坂町  卯辰山層の砂層とシルト層の互層。N11°E/40°W

写真U−4−5−16

 金沢市神谷内町

 野蛟神社南方

 卯辰山層の砂層と礫層。72°の高角度で西に傾斜する。

(4)高位砂礫層の地質構造

 本層は、金沢市百坂町付近ではNE−SW走向、38〜55°の高角度で西へ傾斜する。卯辰山山頂ではNNE−SSW〜E−W走向、北または南へ14〜25°の傾斜となり、走向傾斜に著しい変化がみられる。これはデルタ的な堆積環境による局所的なもので、大局的にはほぼ水平に近い堆積環境で形成されたと考えられる。

(5)中位段丘堆積層、低位段丘堆積層の地質構造 写真2−4−8

 中位段丘堆積層および低位段丘堆積層の地質構造は、西側に緩く傾斜している。中位段丘堆積層は、下位の卯辰山層を傾斜不整合で覆い(写真U−4−5−17)、低位段丘堆積層は下位の卯辰山層および高位砂礫層を傾斜不整合で覆っている(写真U−4−5−18)。

写真U−4−5−17

 金沢市百坂町採土場跡

 卯辰山層の砂層とシルト層を不整合に覆う中位段丘堆積層。

写真U−4−5−18

 金沢市百坂町採土場跡

 高位砂礫層の礫層と砂層を不整合に覆う低位段丘堆積層。

(6)考 察

 調査地に分布する第三紀および第四紀更新世中期以前の地層(高位砂礫層以前)の地質構造は、調査地北部から中部にかけては森本撓曲と呼ばれる撓曲構造を形成し、金沢市の中心部では金沢向斜と呼ばれる向斜構造を形成している。第四紀更新世後期以後の地層(中位段丘堆積層以後)は、緩い西傾斜の地質構造を示す。以上のことから、地質構造を形成した大きな地盤変動は、高位砂礫層堆積時かあるいはそれ以降に始まり、中位段丘堆積層が堆積する頃にはほぼ終了していたと考えられる。この地盤変動は、金沢市南部の富樫山地西縁に因んで富樫変動(北陸第四紀グループ,1968)と呼ばれている。