(6)地表地質踏査結果

(1)調査方法

森本断層沿いの幅約1km(23ku)の地域について、地形面構成層の確認・走向・傾斜および断層の分布・形態把握を目的として面的な地表地質踏査(概査)を実施し、踏査ルート図(1/10,000:付図6−1付図6−2付図6−3)、地質平面図(1/10,000:付図7−1付図7−2)を作成した。また、重要な露頭については露頭スケッチを行った。

(2)地表地質踏査結果

調査地域の地質は、下位から音川累層の高窪層(新第三紀後期中新世−前期鮮新世)、氷見累層の大桑層(第四紀更新世前期)、卯辰山層(更新世中期)、高位砂礫層(更新世中期)、中位段丘堆積層、低位段丘堆積層および沖積層(更新世後期〜完新世)から構成される。表1−2−3−2に地質層序表を示す。

表1−2−3−2 地質層序表 

調査地域は、地形的には東部の森本丘陵と西部の金沢平野とに大別され、森本丘陵には高窪層、大桑層、卯辰山層、高位砂礫層、中位段丘堆積層および低位段丘堆積層が分布し、金沢平野には最上位にあたる沖積層が分布する。

@高窪層

高窪層は調査地東部の森本丘陵に広く分布する本調査地域では最下位の地層である。砂質泥岩を主体とし、薄い凝灰岩層を挟在する。砂質泥岩は シルト岩および極細粒砂岩から構成され、暗灰色〜灰色を呈し、一般に塊状無層理〜層理の目立たない地層である。@野義夫(1993)によると、本層の層厚は150〜200mである。

A大桑層

大桑累層あるいは大桑砂岩層と呼ばれることもある。本調査では角靖夫(1978)の津幡シルト岩をも含めて大桑層とし、これと今井功(1959)の大桑層下部を併せて大桑層下部とした。本層は高窪層の上位に位置し、津幡町から金沢市卯辰山東部にかけての森本丘陵に分布する。極細粒砂岩を主体とする下部層と細粒砂岩〜中粒砂岩を主体とする上部層に区分され、大局的には上方粗粒化がみられる。

・大桑層下部

本層は、津幡町〜金沢市森本町にかけて分布する。極細粒砂岩およびシルト岩から構成される砂質泥岩を主体とし、薄い砂岩および凝灰岩を挟在する。暗灰色〜灰色を呈し、おおむね塊状無層理である。地質調査所発行の地質図(津幡図幅および金沢図幅)によると、本層と下位の高窪層は不整合関係であるが、今回の調査では境界は確認できなかった。

・大桑層上部

本層は、津幡町〜金沢市卯辰山東部に分布する。細粒砂岩〜中粒砂岩を主体とし、シルト岩、細礫岩の薄層を挟在する。本層下部では全般に塊状無層理である。調査地全般に風化が著しく、ほとんどの露頭において砂状を呈する。層厚は、一般に150〜200mの厚さを有し、最大250mにおよぶところもあるとされている。

B卯辰山層

本層は、金沢市森本町〜卯辰山にかけての丘陵部、金沢市街地の小立野台地および犀川河床にかけて分布する。砂層およびシルト層を主体とし、礫層を挟在する。砂層は、本層下部では比較的厚い細粒〜中粒砂層からなり、平行葉理、斜交葉理が発達する。上部では比較的粗粒の砂層を主体とし、シルト層および礫層と互層している。

卯辰山層は全般に岩相変化が著しい。今回の地表踏査では、下位の大桑層との層位関係を露頭で確認できなかったが、今井功(1959)によると下位の大桑層を不整合に覆うとされている。

C高位砂礫層

卯辰山・戸室山・野田山および三小牛付近に分布し、標高150〜200mの山頂部に平坦面を形成する礫・砂および粘土からなる地層は、今井功(1959)によって、高位砂礫層と呼ばれている。高位砂礫層は、本調査地では金沢市森本町〜卯辰山にかけての丘陵部に分布する礫層を主体として砂層を挟在する層である。岩相的に下位の卯辰山層内の礫層との区別は困難で、本層を卯辰山層の最上位の礫層とする見解(楡井久,1969)もある。

D中位段丘堆積層

本層は犀川と浅野川に挟まれた小立野台地、浅野川左岸および卯辰山西部山麓に分布している。中礫を主体とする層厚約4mの円礫層から構成される河成堆積物層である。河床からの比高50〜60m程度の高さにやや傾斜した平坦面を形成している。

E低位段丘堆積層

本層は、犀川・浅野川および卯辰山山麓西部に分布する。中礫を主体とする円礫層から構成される河成堆積物層である。層厚は3m程度である。河床からの比高10〜20mの高さにに平坦面を形成している。

F沖積層

沖積層は、犀川、浅野川、森本川、津幡川などの河川沿いおよび調査地西部に広く分布し、金沢平野を形成する。円礫を主体とする礫層、砂層およびシルト層等からなると推定されるが、各河川は護岸工事がおこなわれているため、露頭がなく詳細は不明である。標高15m以下の平坦面を形成する。

G地すべり地

調査地域北部から中部にかけての丘陵部には、尾根筋から西側斜面に多数の地すべり地が存在する。いずれの地すべり地も高窪層とその上位の大桑層下部との境界部付近にあたる。高窪層および大桑層下部の境界部付近には凝灰岩の薄層が存在し、地層の傾斜が西に向かって10〜30°で傾斜する「流れ盤」となっていることから、これらに起因して地すべりが発生していると考えられる。

(3)地質構造

調査地域に分布する第三紀および第四紀更新世中期以前の地層(高位砂礫層以前)の地質構造は、卯辰山東部〜金沢市街地中心部付近を除くと、大局的にはNNE−SSW走向を主体とし、一部ではNE−SW走向を示し、 西に向かって10〜72°の角度で傾斜する。 卯辰山東部〜金沢市街地中心部付近ではNNE−SSW〜E−W走向を示し、西または南へ3〜10°の非常に緩い角度で傾斜している。第四紀更新世後期以後の地層(中位段丘堆積層以後)は平坦面を形成し、やや西に傾く地質構造を示す。

以下、各地層ごとに記述する。

@高窪層

無層理〜層理の目立たない塊状のシルト岩を主体とする岩相であるため、凝灰岩および砂岩の薄層が挟在される露頭でのみ地質構造が認められる。よって詳細な構造は把握できないが、露頭で観察できる限りおおむねNNE−SSW〜N−S走向、10〜20°西傾斜である。

A大桑層

大局的にはNNE−SSW走向を示し、一部NE−SW走向を示す部分を含む。地層の傾斜は、10゜の緩傾斜部分から42°の急傾斜部分までを含み、東から西の丘陵縁辺部に向かうにしたがって急傾斜になる傾向があり、いわゆる撓曲構造を形成する。地層の走向は大きな変化はなくほぼ一定走向を示すが、傾斜は地域ごとに大きく異なる。北端部の津幡町中津幡−浅田付近では10〜12°の緩傾斜で西に傾斜する。北部の津幡町南中条−金沢市森本町付近では、27〜42°で西に傾斜する。区間内では北から南へ、また、東から西の丘陵縁辺部へ向かうにつれて高角度になる傾向がある。調査地中部の金沢市森本町−御所町付近では、10〜36°で西に傾斜している。

B卯辰山層

走向はNNE−SSW〜NE−SWまたはE−Wを示すが、金沢市森本町から卯辰山付近と卯辰山東部および小立野台地−犀川にかけての金沢市街地中心部では傾斜が大きく異なっている。

 金沢市森本町−大樋町付近では25〜72°の傾斜で西に傾斜し、大桑層と同様、東部では緩傾斜、西の丘陵地縁辺部に向かうにしたがって急傾斜になる傾向があり、撓曲構造を形成する。金沢市神谷内町の野蛟神社南方では72°の高角度で西に傾斜しており、今回の調査中で最も高角度の傾斜を示した。

金沢市大樋町−卯辰山付近では10〜33°の低角度で西に傾斜する。卯辰山では大桑層と同様に東部では緩傾斜、西部の丘陵地縁辺部に向かうにしたがって傾斜が急になる傾向がある。金沢市森本町−大樋町付近ほど明瞭ではないが、撓曲構造を形成する。

卯辰山東部および小立野台地−犀川にかけての金沢市街地中心部では、西または南へ3〜10°の非常に緩い角度で傾斜する。この付近の地質構造は、坂本亨(1966)によると「金沢向斜」と呼ばれており、NW−SE方向の伸びを示す向斜構造の北翼をなす。

C高位砂礫層

金沢市百坂町付近ではNE−SW走向、38〜55°の高角度で西へ傾斜する。卯辰山山頂ではNNE−SSW〜E−W走向、北または南へ14〜25°の傾斜となっており、走向傾斜に著しい変化がみられる。これはデルタ的な堆積環境による局所的なものであると考えられ、大局的にはほぼ水平に近い環境で堆積したものが変形を受けたものと考えられる。

D中位段丘堆積層・低位段丘堆積層

中位段丘堆積層および低位段丘堆積層の地質構造はやや西傾斜を示す。 中位段丘堆積層は下位の卯辰山層を傾斜不整合で覆い、低位段丘堆積層は、下位の卯辰山層および高位砂礫層を傾斜不整合で覆う。

E考 察

調査地に分布する第三紀および第四紀更新世中期以前の地層(高位砂礫層以前)の地質構造は、調査地北部から中部にかけては森本撓曲と呼ばれる撓曲構造を形成し、また金沢市街地中心部では金沢向斜と呼ばれる向斜構造を形成している。第四紀更新世後期以後の地層(中位段丘堆積層以後)は、緩い西傾斜の地質構造を示す。

(4)断 層

今回の地表踏査では、地層の境界を形成する、あるいは破砕幅が数10mを越えるような大規模な断層破砕帯はみられなかった。ほとんどが見かけの変位数cm〜数m、破砕幅15cm以下の小断層である。また、第四紀更新世後期以後(中位段丘堆積層以後)の比較的新しい地層を切る断層は認められなかった。以下各地質ごとに記述する。

@高窪層

本層中の小断層は、津幡町浅谷西部、金沢市利屋町および二日市町東方の丘陵部にみられる。見かけの垂直変位は、わかるもので数cm〜数m程度の正断層であり、また破砕幅1cm以下の小断層である。

A大桑層

本層中の小断層は、津幡町−金沢市柳橋町にみられる。小断層の走向は新編「日本の活断層」に示されているリニアメントの方向にほぼ一致する。 見かけの垂直変位は、わかるもので数cm〜数m程度であり、高窪層と同様にほとんどが正断層で、破砕幅15cm以下の小断層のみである。

B卯辰山層

本層中の小断層は金沢市柳橋町でみられる。走向は、大桑層と同様に新編「日本の活断層」に示されているリニアメントの方向にほぼ一致する。 見かけの垂直変位は、わかるもので数cm〜数十cm程度であり、高窪層および大桑層と同様にほとんどが正断層で、破砕幅1cm以下の小断層である。

C第四紀更新世後期以降の地層

今回の地表踏査では、第四紀更新世後期以降の地層である高位砂礫層、中位段丘堆積層および低位段丘堆積層を切る断層露頭はみられなかった。また、沖積層は露頭がないため不明である。

D考 察

今回の地表踏査では直接森本断層本体であることを示す断層露頭は確認できなかったが、断層位置を推定するいくつかの手がかりを得ることができた。

調査地域に分布する第三紀および第四紀更新世中期以前の地層(高位砂礫層以前)の地質構造は、東部で緩傾斜、西の丘陵地縁辺部に向かうにしたがって急傾斜になる撓曲構造を示している。また、丘陵地縁辺部の地層の傾斜が最大72°で、大部分が30〜50°程度の急傾斜を示している。これらのことから、調査地域に分布する地層の撓曲構造を支配する断層は、調査地域東部の丘陵地と西部に広がる金沢平野との境界部付近ではなく、それより西側の沖積層が広がる平野部に伏在すると推定される。

一方、踏査で確認された小断層は、その変位および破砕の程度などが小規模な正断層で連続性に乏しいことや、ほぼ撓曲の軸に平行な方向に発達している傾向があることなどから、褶曲作用により生じた引っ張り力によって形成されたものと考えられる。