(3)古文書解読結果

古文書の記載内容をまとめ、被害箇所を現在の地形図(金沢城内:1/2,500、旧城下町:1/10,000,石川・河北郡:1/25,000,広域:1/500,000)上にプロットして被害分布状況を把握した(図1−2−2−1付図2−1付図2−2付図2−3)。この結果、数ヶ所の記載について寒川(1986)の解釈との相異点や新たな事実が明らかになった(表1−2−2−1)。これらの他にも、城下の被害状況について詳細に把握できた。

表1−2−2−1 寒川(1986)と本調査の解釈の相異点と新たに明らかになった事項

被害は金沢城下全域に及んでおり、金沢城より北側の地域(現:大手町、尾張町、近江町、横山町、大樋町など)、小立野欠原町(現:金沢市石引2丁目)、海岸部に位置する宮腰、粟ヶ崎、黒津船(現:金沢市金石〜内灘町宮坂)などで特に被害が大きかったようである。

 広域的に見ると、石川・富山県境の倶利伽藍峠付近から金沢にかけての揺れが大きく、それより離れるにしたがって揺れは次第に小さくなっていったようである。京都や高山、甲府でもゆれを感じたとの記録が残っている。

図1−2−2−1 1799年金沢地震による金沢城内の被害状況図