7−1−5 遺跡による地震記録

図7−5−1図7−5−2は,神戸市街地域周辺に分布する遺跡や遺構において,噴砂のような液状化などの地震の痕跡が見られた遺跡と,地震が発生した可能性のある年代幅を,寒川ほか(1999)などをもとに作成したものである。

この図に示されるように,1995年の兵庫県南部地震に対応する地震痕跡は,いずれも軽微であるが,3遺跡で確認されている。

また,1596年に発生した慶長伏見地震に関係すると考えられる地震痕跡が各所で観察されている。時期としては,鎌倉時代より新しく江戸の前期までが多いが,兵庫津遺跡では安土桃山時代と認定された火災の焦土が噴砂を直接覆っている。したがって,確認された焦土と噴砂は,1596年の地震とそれに伴う火災の痕跡であると考えられる(寒川ほか,1999)。西求女塚古墳は,墳丘が滑り落ちて当時の水田を覆い,この水田から16世紀後半の土器が検出されたことより,地震による地滑りは16世紀後半に生じたことは確実である(寒川,1995)。芦屋廃寺は江戸時代に存在しなかったことは確実で,大きな地割れが見つかっており,この地割れに安土桃山時代を含む中世の遺物が大量に検出されたことより,1596年前後に起こった地震により甚大な被害を受けて廃絶したと推測されている(寒川ほか,2001)。

これらの他,6世紀前後にも軽微な地震痕跡が神戸市で確認されている(寒川,1995;寒川ほか,1999)。また,弥生時代中期の軽微な痕跡も発見されており,これは野島断層の一つ前の活動によるとも考えられる。

ただし,これらのデータはいずれも地震の直接的な記録ではなく,地盤を介した間接的なものであるため,地震の大きさによっては,地震痕跡が確認された地点が必ずしも活動した断層の近くであるとは限らない。

図7−5−1  神戸市周辺の地震痕跡の見られる遺跡位置図(寒川(2001)をもとに作成)

図7−5−2 神戸市周辺の遺跡に見られる地震痕跡より推定される地震発生時期(寒川原図)