(1)上野山福祥寺(通称須磨寺)

小池義人監修(1989):須磨寺「當山歴代」によると,

「文禄五季丙申潤七月一二日 夜半ノ大地震ニ本堂・三重宝塔・権現,地形供ニ蓮池内迄九輪トヒ候,此堂ハ貞治四季ノ建立堂,堂上山掛リ候,・・・・・」

の記述があり,萩原尊禮編著(1989):続古地震によれば,「真夜中に起こった大地震で,本堂・三重の宝塔・権現は地形(基礎の意)とともに崩壊し,宝塔の九輪は蓮池の内まで飛来した。本堂は貞治四年(1365)の建立に成るが,この地震の際に背後の山の斜面が崩壊し,本堂その他の伽藍に打ち懸かった。」と解釈されている。

また,上記の「當山歴代」には,水害記録も記載されており,万治2年(1659),元文5年(1740),寛延3年(1750)においても,豪雨による斜面崩壊が発生し,本堂などが被災したことが記されている。

以上より,萩原尊禮編著(1989):続古地震では,須磨寺は断層崖の直下に位置することにより,地震や水害などの被害をもともと受けやすい地点であったことも事実であり,慶長伏見地震における須磨寺の倒壊は,むしろ北側背後の山崩れによる2次災害と考える方が妥当であると指摘している。

なお,現在の須磨寺の境内における建築物の位置関係を見ても,寺院の北側には急峻な断層崖がせまり,地震動だけでなく,豪雨時においても不安定な斜面状況になることが容易に想像される