3−2−3 調査結果

調査結果の詳細は、巻末付図2付図3に地形分類図および活断層詳細図として表現している。その結果をもとに、当調査地域に認められている活断層に関する特性を整理すると以下のとおりである。

甲陽断層は、上ヶ原から甲陽園にいたる区間においては、直線的なリニアメントとして明確に追跡することができる。この区間においては、低位段丘面を明らかに変位させていることより、断層の活動性は第四紀後期においても継続している可能性が大きいと考えられる。また、甲陽園から神戸・芦屋市境に位置する高塚山にいたる区間については、図3−2−2に示されるように、大阪層群に挟まれているアズキ火山灰やピンク火山灰などが、甲陽断層の北西側において断層に沿って断続していることが確認されている。また、断層付近においては、図中に示したように、地層は断層方向の走向で、南東に30度以上傾斜しており、甲陽断層と斜交する神原断層や、並行する断層がほかにも認められている。したがって甲陽断層は、複数の断層によって形成される断層破砕帯を形成し、大阪層群中部亜層群を著しく撹乱させていることがわかっているが、第四紀後期における活動性は不明であった。しかし、最近の地形学的調査によると、上ヶ原から甲陽園間における甲陽断層の上下変位量は、10〜10数万年前に形成された地形面が30m程度、数万年前前後の地形面が10m程度であることが示され、この断層が第四紀後期においても活動を継続していることが指摘されている。ここに示した図3−2−2は、藤田和夫委員長が昭和30年代に調査した露頭情報をまとめたものであり、現在ではこれらの露頭は人工改変によって、そのほとんどが消滅している。なお、甲陽断層の仁川以北および、高塚山以南の地域への延長については、反射法地震探査によって新しい知見が得られたので、別途に記載する。

西宮撓曲は、甲陽断層の南東側前縁におおむね並行し、六甲山地南東縁を画する地形境界を形成する構造であるが、これまで扇状地の末端部における地形面の撓みによって定義された地質構造であり、その構造を形成した断層の確認がされていなかった。しかし、本調査において実施した反射法地震探査[夙川測線]によって、その断層は基盤岩に500m以上の落差を伴っていることが確認され、その活動性に関する情報を併せて得ることができた。これらの詳細については、反射法探査結果において詳述する。

昆陽池断層帯は、武庫川と猪名川に挟まれる伊丹台地の中央部付近を東西に延びる幅約300mの陥没地形を形成している。この陥没地形は、約5mの落差があることがボーリング資料に基づいて指摘され、空中写真判読においても、断層帯の北縁では、明瞭な複数の断層崖が断続しており、第四紀後期における断層の活動性が高いことが示唆される。さらに、この陥没地形は図3−2−3に示されるように、明治時代に作成された地形図において断層崖の存在が示唆されたり、陥没によって湿地帯が形成されていた事実などによって裏付けられるものである。さらに、断層崖の存在は図3−2−4に示されるように、元文5年(1740)に作成された絵図においても明らかに記載されている。また、図3−2−5に示すように、別途に行われた武庫川沿いのバイブロサイスによる反射法探査においても認められており、この地質構造の存在は明らかである。

当調査では、六甲断層帯の東部地域における断層の活動性把握の一環として、昆陽池断層帯の活動性を明確にするため、断層帯の北縁を対象に2箇所の地点を選定してトレンチ調査を実施した。結果の詳細は後述する。