2−5 まとめ

●甲陽断層は宝塚市役所の南東部付近から高塚山まで、北東−南西方向にほぼ直線的に延びる断層である。高塚山より南西側ではやや西方に湾曲し、六甲山麓南縁の断層系に連続すると推定される。また、地形面の形成年代と変位量からみて、活動的であることが指摘されているが、反射法探査記録においても、表層地盤の乱れが大きく、活動的な断層と推定される。

●西宮撓曲は、地下深部に潜在する大規模な逆断層の活動による堆積層の撓みである。この逆断層は、基盤岩の上面に約500mの落差を生じさせており、大阪層群下部亜層群を著しく変形させているが、中部亜層群の堆積以降における変位は相対的に小さく、緩やかな撓曲を形成していることが判明した。しかし、西宮撓曲が第四紀後期に形成された地形面を変形させているように、その活動は段丘形成期においても継続していると考えられる。

●深江測線の探査結果と、隣接する既存の芦屋川測線における結果を検討した結果、芦屋川と深江測線の間に急激な西落ちの傾斜構造の存在が推定される。この構造により西宮撓曲は上下変位を解消し、西方には連続していないと推定される。

●昆陽池断層帯の北縁断層系の2地点(西野地区と中野西地区)で実施したトレンチ調査より、この断層系は2本以上の断層構成であり、断層の南側に撓曲を伴うことが確認された。

●西野地区のトレンチでは、南側の撓曲を形成した最新の断層活動は16〜18世紀であることが年代測定および考古遺物鑑定より推定できた。しかし、その北側に潜在する断層は直接確認することができなかった。この地区における伊丹礫層上面の上下変  位量は約5m以上と推定されたため、トレンチで確認された撓曲による変位量よりも大きいことが明らかであるが、その詳細な性状に関しては明らかではない。

●中野西地区のトレンチでは、撓曲とともに北側の断層を露出させることができた。この結果によると、撓曲を形成した断層活動よりもその北側にある断層の活動がより新しく、その最新活動時期は18世紀以前であることが年代測定の結果から得られた。

●西野および中野西地区で見られた各断層系が、最新活動において連動したとするならば、昆陽池断層帯の北縁断層系の最新活動時期は16〜18世紀であったと推定される。これは1596年の慶長伏見地震に対応する可能性が高く、有馬−高槻構造線と連動したものと考えられる。