2−4 トレンチ調査

トレンチ調査は、第四紀後期における断層活動が明らかな昆陽池断層帯を対象としたが、ここは甲陽断層あるいは西宮撓曲の延長線上に位置し、東西性の陥没地帯を形成し、既往の調査によって地質構造的な背景が把握されている地点である。この陥没地帯の南北両縁の断層は、一連の断層系によって形成された地質構造であると考えられるので、本調査では断層帯北縁断層系を対象としてトレンチ調査を実施した。

これによって得られた断層の活動履歴に関する情報をまとめると以下のとおりである。

伊丹市内の西野地区と中野西地区の2地点において実施したトレンチ調査によると、そのどちらにおいても、この断層系は2本以上の断層より構成されることが確認された。それらはいずれも断層の南側に撓曲を伴う地質構造となっている。西野地区においては図2−4−1に示すように、南側の撓曲は約1mの落差を有し、その活動時期は炭素による年代測定および地層に含まれる考古遺物の鑑定結果などより16〜18世紀であると推定することができた。しかし、その北側に潜在する断層は、西野地区において確認することができなかった。図2−4−2に示すS波を用いた反射法探査結果によると、この地区における伊丹礫層上面の上下変位量は約5m以上と推定されたため、トレンチに表れた撓曲による上下変位量よりも大きいことが明らかである。しかし、その詳細な性状に関しては明らかでない。

一方、中野西地区においては図2−4−3に示すように、撓曲とともに北側の断層を露出させることができ、2段構成による構造を観察することができた。それによると、南側の撓曲を形成した断層活動は、火山灰分析より24000年以前であり、その北側にある断層の活動がより新しいことが明らかになった。その断層の最新活動時期は18世紀以前であることが年代測定より得られ、西野地区における結果と矛盾はないといえる。

以上より、西野および中野西地区で見られた各断層系が、最新の活動において連動したとするならば、昆陽池断層帯の北縁断層系の最新活動時期は16〜18世紀であったと推定される。これは1596年の慶長伏見地震に対応する可能性が高く、有馬−高槻構造線と連動したものと考えられる。また、その活動に際しては、西野地区では断層南側の地層を撓曲させたが、中野西地区では断層そのものが活動したと考えられる。