(1)プレートテクトニクスと北海道東部の地体構造区分

図3−1に示すように,北海道付近の現在(新生代末)のテクトニクス,すなわちネオテクトニクスについては@太平洋プレートの斜め沈み込み,Aそれに誘発された千島弧外帯の西進運動およびB日本海東縁部を含む北海道西半部における圧縮テクトニクスに基本的に左右されている(岡,1986;1994;1997).そのため,北海道付近はネオテクトニクスの上から6区(T〜Y)に区分が可能である.

本調査地域を含む北海道東部から千島列島南部付近は地質構造的には千島弧にほぼ相当し,北東南西〜東北東−西南西の構造方向(千島弧方向)支配されており,図3−1図3−2図3−3に示すように南から千島海溝島弧側斜面域(上記U区),千島弧外帯(V区),および千島弧内帯(W区)より構成される(岡,1986;1994;1997).各単元の概要・特徴は以下のとおりである.

A.千島海溝島弧側斜面域(U区)

海溝の北縁より水深5,500m付近までの島弧(北海道)側の斜面域で,太平洋プレートの沈み込みにともない,島弧下への消失を免れたいわゆる付加体より構成され,超一級の活断層帯である.音波探査結果によれば,そのような岩体を反映して非成層状態が示され(本座ほか,1978),断層による境いされた多数のかく乱地塊により構成されている.

B.千島弧外帯(V区)

,南から釧路−根室沖大陸斜面域(V1区),釧路−根室先新第三系隆起帯(V2区)および千島弧外帯内帯境界堆積盆列(V3区)に分けられ,さらにこれらの西側の北海道中央部の範囲内に西へ凸の弧状隆起・沈降帯群(V4区)が存在する.V4区は以下で説明しないが,南北に延び西へ凸の白糠丘陵,十勝平野−十勝沖堆積盆,日高山脈−広尾沖褶曲帯,安平−茂世丑低地および馬追丘陵などの新生代末に形成が進んだ沈降盆地や山地が存在し,地殻変動が活発な地帯である.

[釧路−根室沖大陸斜面域(V1区)]

幅100〜120qで帯状に広がり,等深線は千島弧に平行する.千島弧に直交する地形断面で見ると,水深200m付近の大陸棚外縁から2,000m前後の深海平坦面まで急崖状であるが,その後は大陸斜面と深海平坦面を3〜5回繰り返して7,000mを超す海溝底に至るが(図3−3),この間の水深200〜5,500m前後までの部分が本斜面域に該当する.上記の斜面部は傾動地塊または背斜状の高まりであり,平坦部が向斜状の堆積盆群を構成しており,500〜800m程度の厚さの鮮新世(新第三紀末)〜第四紀堆積物が存在する(Honza et al.,1977;本座ほか,1978;Sergeyev and Krasny eds.,1987).このような堆積盆群は,太平洋プレートの沈み込みにより海溝が発展して行く過程で海溝前面に構造的凹地が多数発生し,そのような凹地を埋めたタービダイト盆地とみなされる.斜面部には地塊の階段状変位や海底地すべり現象が存在し,一部では断層をともなって先新第三系があらわれている.本斜面域は島弧−海溝系におけるいわゆる前弧海盆に相当するが,日本海溝の大陸斜面域に比較すると,大陸棚外縁から海溝底までの海底面の勾配が急であり,堆積盆が細切れに発達するのが特徴である.本斜面域の北半部には常呂帯とみなされている道東磁気異常ベルトが潜在している.地震活動の面からは宇津(1977)により三陸沖からウルップ島沖にかけてA〜Fのプレート境界型地震震源域区分が行われている(図3−4).これらの震源域区のうち国後島−択捉島南部沖に相当するD震源域付近では海洋プレート内地震(沈み込む海洋プレートの破断に起因)である1994年北海道東方沖地震に関連して海溝と直交する断層活動の存在が浮かび上がっている(笠原順ほか,1995).

[釧路−根室先新第三系隆起帯(V2区)]

本隆起帯は地形的には釧路付近と根室半島を結ぶ低平な台地状の陸域部,歯舞・色丹などの島列とそれらの沖合(主に太平洋側)の大陸棚部分を含めた範囲の幅50km前後で,日本で最大級の顕著な高重力異常帯であることが明らかになっている(図3−5;森,1965;森尻ほか,2000).とその北東延長の海底の高まりまで続き,その北側の後期新生代堆積盆列(V3区)に対して顕著な隆起帯となっている.台地・大陸棚を覆う第四紀堆積物は薄く,主に先新第三系根室層群・浦幌層群が分布し,根室層群中には粗粒玄武岩の層状分化岩体(アルカリ玄武岩)がはさまれている.Kiminami(1983)によれば,本地域は古千島島弧−海溝系の前弧海盆(堆積物は根室層群)の軸部を占めていたとされる.Sergeyev and Krasny eds.(1987)の地震音響学的解析結果によれば,このような地質構造的高まりは中部千島のウルップ島付近まで続いている.大陸棚部分については,一般に水深150〜200mで区切られるが,色丹島沖では水深400〜500m線が大陸斜面域との地形変換部になっている.

[千島弧外帯内帯境界堆積盆列(V3区)]

千島弧の成立と密接な関連をもって形成された堆積盆列であり,火山弧である内帯と非火山弧で顕著な隆起帯を成す外帯との構造的コントラストまたは差異的構造運動を反映して後期新生代後半に形成されたものとみなされる.西から,根釧堆積盆,国後南方堆積盆および択捉南方堆積盆などが存在する(図3−2).Sergeyev and Krasny eds.(1987)によれば,千島弧内帯と同外帯の境界部は沈降帯を成し,そこには深部断層が潜在し,千島中〜南部においてはこの断層は左横ずれの動きを示すとし,同沈降帯については北海道では西別トラフ,千島では中部千島沈降部などの名称で呼ばれるとしている.

根釧堆積盆:別項で詳しく説明する.

国後南方堆積盆:国後島と歯舞・色丹群島(釧路−根室先新第三系隆起帯)に囲まれる水深100m以浅の範囲で,北東−南西110q,北西−南東40q前後の広がりがある(図3−2).ロシア共和国(旧ソ連)の支配海域ということもあり,日本の地質文献は全くないが,Sergeyev and Krasny eds.(1987)によれば中軸部での音響的基盤への到達深度(海面下)および堆積物の厚さはともに,4q以上に達する.なお,堆積物の時代は国後島の層序などとの対比により,新第三期前〜中期中新世〜第四紀とされているが,知床半島での新第三系の時代論との関連などで判断すると,下限がさらに新しくなる可能性がある.

択捉南方堆積盆:択捉島と釧路−根室先新第三系隆起帯の延長部の大陸棚部分に囲まれる水深300m以浅の範囲で,北東−南西180q,北西−南東50q前後の広がりがある(図3−2).Sergeyev and Krasny eds.(1987)によれば,堆積物の厚さは2,000〜2,500mである.

C.千島弧内帯(W区)

“千島火山帯”と呼ばれる火山活動が活発な火山弧である.北海道東部から千島列島にかけての範囲では右雁行火山隆起帯・堆積盆列(W1区)を形成しており,北海道中央部に入る部分では北東−南西の右雁行状の断層帯となっており,多数の断層に支配された“火山性陥没盆地群”(北見・十勝山間盆地群,W2区)が存在する.ここでは北海道東部に関わる前者(W1区)について,右雁行火山隆起帯列と右雁行堆積盆列に分けて説明する.

[右雁行火山隆起帯列]

後期中新世〜現在の火山活動帯であり,阿寒−屈斜路,摩周−知床,国後,択捉などの火山隆起帯が右雁行状に配列している.前二者の隆起帯は「阿寒−知床火山列」として一連なりのものとして取り扱われるのが一般的であるが,阿寒−屈斜路隆起帯が重力分布などから判断して,斜里平野の地下に延びることから,区別した.これらの火山隆起帯では現在,火山活動が活発であるが,そのことは泉源など深層ボーリングの温度検層・坑底温度測定結果などから算定される地温勾配(100m深度増毎の地温上昇率)が大きいことからも明らかである(若浜ほか,1995;図3−6).

阿寒−屈斜路隆起帯:地形的には約20qの幅で北東−南西方向に60qの長さがあるが,潜在構造としては斜里平野の地下に続き,さらに20km程度延長される.地質構造的には中期中新世後半のイクルシベ層を中核とし,北東−南西およびそれに直交する正断層系が形成されている.後期中新世には夕映川層の堆積相・分布状況から判断して,周囲の堆積盆に対して火山活動場(海底火山活動を含む)として振る舞っていたと判断される.鮮新世〜前期更新世においても,シケレペンペツ層・尾札部層の岩相変化から明らかなように,同様の火山活動場であったと考えられる.中期更新世以降においては陸上火山活動が本格化し,阿寒カルデラおよび屈斜路カルデラが形成された.阿寒カルデラは8×15qの楕円または長方形の広がりを有する.火山構造性大陥没盆地とみなされ(佐藤,1965),重力的には東西に延びた低重力域を示す(大川・横山,1979).付近には浦幌・ウコタキヌプリ・阿寒断層など北東−南西方向の大断層が存在し,これらは陥没に密接に関連したものと思われる.屈斜路カルデラ起源の火砕流が流入しており,地形的に開析がかなり進んでおり,形成時期は屈斜路カルデラより古い.カルデラ形成後に今の阿寒湖より広い水域に古阿寒湖層が堆積し,温泉ボーリングでは300mの深度まで存在するとの指摘もある(早川ほか,1983).屈斜路カルデラは26×20qの広がり(現屈斜路湖水域の約2倍)がある世界最大級のカルデラである.重力的には45mgalも低くなる低重力異常型カルデラの典型とみなされている.このような低重力異常を説明するためには低密度物質が深部まで存在している必要があり,Yokoyama(1958)は低密度物質のfall−backを推定した.これに対して,八幡(1989)は地熱調査・温泉開発のための500〜1,500m級ボーリングの資・試料を詳しく解析してカルデラ内堆積物の性格を明らかにした.すなわち,それは湖沼性堆積物やカルデラ形成後のアトサヌプリなどの火山噴出物であり,陥没発生以降徐々に堆積が進んだとしている.先行する屈斜路火山活動は古梅溶結凝灰岩の流出に始まり約30万年の歴史があるが,本カルデラの形成の最初の陥没の年代については,屈斜路湖成層Tの14C年代と花粉化石より約4万年前と推定され,堆積物の厚さから陥没による垂直変位量は約4万年前以降現在まで1,100〜1,300mと算定されている(八幡,1989).付近には北東−南西,北西−南東,北北西−南南東および西北西−東南東などの断層群が知られているが,特にカルデラ南西を縁取る北西−南東方向の断層はカルデラ形成前から活動を開始しており,カルデラ内堆積物の厚さから判断して本断層を境にしたカルデラ側の落ち込みは1,000mに達する.本断層は重力分布から判断すると,釧路川沿いに南東方向に延びて根釧堆積盆の一画に延びた構造線となっているが,現在でも極めて活動的であり,これに沿って段丘群の変動や地震断層の出現(1938年屈斜路地震;M6.0)が知られている(石川,1938;堀江,1956;北海道防災会議,1986).なお,地震断層は1959年の弟子屈地震(M6.2・6.1の双発型)の際にも弟子屈市街西方の辺計礼山南東山麓部で西北西−東南東方向約2kmの地割れ群として出現している(神沼ほか編,1973).

摩周−知床隆起帯:別項で詳しく説明する.

国後隆起帯(国後島):北東−南西方向に続き,島自体の延長は120qであるが,北東方向に海底の高まりがさらに60q存在し,総延長180q,幅35q前後の広がりがある.Nemoto and Sasa compiled(1959)の25万分の1地質図「根室」,Nemoto compiled(1959a)の「羅臼」およびSergeyev and Krasny eds.(1987)の千島−カムチャッカ地質・地球物理学アトラスにもとづいて地質的把握を行うと以下のとおりである.島北東部を中心に中期中新世の石英閃緑岩体が各所に存在し,骨格となっている.この上に古第三紀末〜中期中新世とされるいわゆる“グリーンタフ”層,中期中新世〜鮮新世の堆積岩層(火山砕屑岩類をともなう)が重なり,全体として複背斜状構造を形作っている.断層は島の延びに平行の北東−南西方向が卓越しており,地質構造的に摩周−知床隆起帯に類似するが,年代論に大きな相違がある.これは放射年代測定・微化石解析などにより今後解決する必要がある.Golovin(一菱内湖カルデラ),Mendeleev(羅臼山),Tyatya(爺爺岳)などの第四紀火山が島の地形的中軸を成して列状に存在する.

 択捉隆起帯(択捉島):北東−南西方向に続き,海底地形などから判断して周囲も含めると総延長200qあまり,幅30〜50qの広がりがある.国後隆起帯と同様に,Nemoto compiled(1959a;b;c)の25万分の1地質図「羅臼」・「内保沼」・「沙那」,Sergeyev and Krasny eds.(1987)のアトラスにもとづくと以下のとおりである.地質構成は石英閃緑岩体の分布が極めてわずかであることの他は国後島に類似している.しかし,地質構造的には第四紀火山の配列に示されるように雁行状に配置する南部・中部・北部の3つの隆起単元より構成されており,知床半島や国後島に比較して複雑である.

[右雁行堆積盆列]

雁行火山隆起帯の各隆起帯にはさまれるように,西から斜里平野・斜里沖堆積盆,知床南東沖堆積盆および択捉北西沖堆積盆が右雁行状に配列している.

斜里平野・斜里沖堆積盆:網走−網走沖褶曲帯および北見大和堆と知床半島・同海域延長部の間にはさまれた堆積盆で,北東−南西方向に170qの長さがある.陸域での幅(北西−南東方向)は40q前後であるが,千島海盆への移行部では幅90qに広がる.地形的には次第に水深を増して千島海盆へ移行するため,北縁では水深2,000m前後となる.詳細説明は省略する.

知床南東沖堆積盆:知床半島と国後島の間に発達した堆積盆であり,北東−南西方向に延び,延長110km・幅30q前後の広がりがある.地形的には南端部(羅臼沖合より南)は水深200m以内のいわゆる大陸棚となっているが,中〜北部は海底谷状の地形を構成し,北東方向に水深を増し北端部では2,500mに達する.本堆積盆の堆積物の厚さについてはSergeyev and Krasny eds.(1987)が音響的基盤の深度と海底面の水深から解析した結果を示している.それによれば,中部では500m以内であるが,北部では1,000m前後になる.日本側の報告としては海上保安庁水路部5万分の1沿岸の海の基本図「知床岬」(海上保安庁水路部,1988)があるが,この報告からは中部についての地質構造・堆積物の様子が分かる.すなわち,中部を広くおおう地層は知床岬付近の中新世合泊層(杉本ほか,1971)に相当する火山岩類であり,谷底にあたる堆積盆中軸部ではこの火山岩類の上位に中新世末〜更新世の砂〜泥質岩相が総計350m程度の厚さで堆積しているとされる.この結果から判断すると,Sergeyev and Krasny eds.(1987)の堆積物はこのような砂〜泥質堆積物に相当するとみなされる.南部の大陸棚部分は根釧堆積盆につながる部分であり,堆積物は厚く,「春苅古丹」図幅地域では後期中新世〜鮮新世の越川層・幾品層・陸志別層の総計の厚さは2,000m以上になる.

択捉島北西沖堆積盆:択捉島の北西側に存在する同島と千島海盆との間の海域であり,北東−南西方向の延長200q・幅約40qの広がりがある.いくつかの谷地形が存在し起伏に富んでおり,全体としては北西に向かって急激に深くなり千島海盆に近接して水深3,000mに達する.海底地形状の谷地形に対応するように6つ程度の沈降域(小堆積盆)に分かれ,これらは右雁行状に配列している.これらのうち最も大きいものは国後水道付近から北東に延びるもので,分布形態・海底地形は知床南東堆積盆に類似する.