(2)江別市大麻−元野幌地区

江別市の西方に分布するセグメントdは,西向きの傾動地形をなし,地震探査から西フェルゲンツのブラインドスラストが推定された(北海道,2000).したがって,傾動運動の履歴から地震イベントを読み取ることにした.

1万分の1の空中写真を購入し,詳細な地形判読をおこなった.その結果,撓曲付近では,かつての窯業のための粘土・砂の採掘がおこなわれていたことや,手が加えたあと地形を復帰させていることなど,トレンチ調査にとって致命的な人工改変がかなり著しいことがわかった.

地形は,東側の丘陵地から低地に向かって,地形面が傾動するのが大麻元町付近から元野幌まで追跡されるが,それより北方では見られない.ただし,丘陵地の端は,リニアメント上に連続しており,急崖が形成されている.丘陵地側には地形の変形などはみられないので川崖と判断される.この川崖よりもやや西側の沖積低地面が膨らんでみえる部分があり,傾動構造が伏在している可能性がある.さらに北方の江別市の工業団地では改変が進み地形の状況は不明だが,空中写真からおこした詳細な地形図(北海道教育委員会,2000)をみると,先の川崖の延長よりもやや西側に小規模な崖が北東トレンドで連続しているのがわかる.この部分が本セグメントの北端となっている可能性が高い.それより北には石狩川と篠津低地が広がり,変位地形は認められない.

地表踏査で,改変の状況も含めた検討を行い,改変の少ないとみられる大麻,大麻東中西部,吉井の沢(江別西インターチェンジ),吉井の沢北部の4地区を選んだ.

4地区については,大麻と吉井の沢北(9丁目通り沿い)については露頭調査(水路の側溝)を,大麻東中西部,吉井の沢,吉井の沢北については,検土丈による調査を実施した.

検土杖による調査は,撓曲地形のリニアメントを横切る方向に検縄を貼り,ノンプリズム型測量器(Laser Ace300)と反射板を使用して,水平距離・比高を出し,地形断面を作り,測量点より2m深(一部,3m深)まで検土丈を用いて表層地質を確認する,の作業を繰り返した.なお,測量および検土の間隔は,現地の状況から適時決定した.

大麻地区,永渕牧場付近では,褐色の砂・粘土とクロボク(一部,低地側で泥炭)からなる.クロボク・泥炭層の最上部のテフラ2000,0711−1−1を火山灰分析した結果,Ta−a (1739AD)であることが明らかとなった(表3−1−0−3).Ta−aは,ほぼ水平に分布するのに対し,それより下位の褐色土層とクロボクの境界は,地形変換に対応してたれ下がる撓曲構造が認められた(図3−1−1−5).最下部の真黒に腐食の進んだ泥炭層の厚さは,下盤側に厚くなる傾向(Growth)がある.クロボク層基底から5,250±40yBPの年代を得た(表3−1−0−1).したがって,傾動運動は,クロボク層基底(5,250±40yBP)からTa−aまでの間にあることが明らかとなった.

クロボク・泥炭層の下位の砂質粘土・粘土または礫混じり砂層,細礫層,砂層から5cm間隔で9試料を採取し,花粉分析をおこなった(表3−1−0−2).処理の結果,上位の3点p−7,p−8,p−9は花粉・胞子を全く含まなかった.花粉膜は酸化分解されることから見て,水中に堆積しなかった可能性が指摘される.その他の試料からは,花粉化石は得られたものの花粉,胞子に乏しく,時代論を展開するには危険を伴う.しかし,限られた試料から推定すると,以下のようである.

得られた化石花粉群の特徴は広葉樹が多いことである.特にカバノキ属,ハンノキ属が全般に多く,ついで,コナラ属,クルミ属など冷温帯広葉樹が産出する.針葉樹はエゾマツ,アカエゾマツを含むトウヒ属とトドマツを伴う.非木本類は全般に湿原性のゼンマイ科,オシダ科,ウラボシ科を含む単溝型のシダ類が多い.試料711−2−p−5では,ヨモギ属,キク亜科,タンポポ亜科など乾燥した立地を示唆する花粉も多産する.乾燥した氾濫原,および湿原あるいは湿地が共存したことを示唆する.本試料からは寒冷期を示すトウヒ属の多産やグイマツの産出といった特徴(五十嵐ほか,1993)はみられず,温暖期の堆積物と判断される.また,下位の試料711−2−P3,P2,P1には完新世花粉群の特徴としてのコナラ属が検出されないことから,この層準が完新世初頭(10,000〜8,000yBP)の可能性が指摘される.

したがって,大麻地区の表層の層序は,下位より完新世初頭以降の砂礫および砂質シルト,5,250±40yBP以降Ta−aテフラに覆われるクロボク〜泥炭層からなることが明らかになった.

大麻東中学校西部では,検土杖調査を2測線でおこなった.測線1は,小規模な沢の出口に発達する小規模扇状地の中央に位置し(付図2),リニアメントを横断する方向で実施した.図3−1−1−6に断面図を示す.地形の変換点は801−04と03の間にある.明瞭な変化は,801−03では最上部のクロボク1の厚さが,上位のそれに比して厚くなること,その下位に見られるクロボク2層が,05と06では,厚さも同じで連続するのが,04と03では全く見られないことである.また,04はクロボク直下の地層が,他のサイトに比べて厚く発達し,砕屑物には,クロボクが混じりかなり汚い層相を呈する.

測線2は,測線1の北側に位置する(付図2).小規模扇状地の北端に位置する.図3−1−1−7に断面図を示す.地形の変換点は801−10と09の間にある.最上部のクロボクは07や08に比べると09や10は,倍近い厚さを有している.ただし,07や08では,クロボクを覆う砂層が発達し,人工改変の可能性が高いことを考えると,この厚さの変化には意味がない可能性もある.クロボクの基底を結んだ線は,ほぼ地形なりである.またクロボクの下位にも砂層は分布し,09と10では泥炭が見られる.測線1のように,下位にクロボク層は見ていないが,泥炭層が確認された.泥炭層の上面は低地側に傾動している.昨年のボーリング調査では,泥炭層は深度0.2m(標高6.40m)から深度3.38m(標高3.22m)まで分布しており,基底付近の深度3.35mから5,340±70y.B.P(Beta−138843)が得られている.したがって,傾動の時期は5340±70y.B.P以降と推定される.

吉井の沢の扇状地には,明瞭な撓曲地形は見られず,やや傾斜している様子だけが観察される(付図2).図3−1−1−8に断面図を示す.No.1付近から地形面の勾配が上盤のそれに比べて,やや急になるようにみえるが,明確な変換点は見られない.用水路などの土地改変もある.古い地形の変換点は,No.4付近であり,後退している.クロボクを鍵に対比を行ったが,クロボクの枚数が各地点で異なるため,対応関係は確実性を欠く.しかし,組み合わせがどうであれ,低地側にあるどのクロボク層の出現深度もすべて丘陵地側よりも低いので,勾配は変わるものの傾斜していると判断される.北海道(2000)によれば,江別西ICの南のピット孔よりクロボク層の基底から3770±70yBP(Beta−135037)を報告している.したがって,クロボク層の傾きをテクトニックと考えると,傾動の時期は3,770±70yBP以降と推定される.

吉井の沢北部地区の9丁目通り沿いで,江別市による遺跡予察調査のためのピットが作成されており,その壁面を観察することができた(図3−1−1−9).中期更新統の下野幌層を不整合に覆って,砂や泥炭,クロボクを主体とする沖積扇状地堆積物がみられた.砂層の傾斜層を不整合でおおう泥炭層およびその上位のクロボク層を貫く下方充填型砂脈から4830±40〜4090±70yBPと3080±70y.B.P以降の2つのイベントが識別された.

吉井の沢北部で検土杖調査をおこなった(付図2).撓曲崖にきれこんだ小規模な沢と小規模扇状地からなり,空中写真では白く発色している.図3−1−1−10に断面図を示す.地形の変換点はNo.5である.耕作土下位のクロボク混じりの細粒砂は,扇状地堆積物と考えられる.その下位は,クロボク主体で,No.3−No.6にかけてはその下位に泥炭層が確認された.泥炭層中には,中−粗粒砂が挟まっており(No.5と6),地形とは逆の傾斜になっている.泥炭上面の落差を変位基準とみると約0.5mと求まるが逆傾斜であり確実性を欠く.泥炭層の上面を全体に俯瞰してみると,低地側に傾いていることから,その意味では,大麻東中西部と同様の状況である.

以下に要約する.

@大麻:クロボク(低地側は泥炭質)基底の5,250±40y.B.P以降からTa−a前に傾動した.

A大麻東中西部:泥炭層上面が傾動.泥炭層基底の5340±70y.B.P以降に傾動した.

B吉井の沢:クロボク層基底の3770±70y.B.P(Beta−135037)以降に傾動した

C吉井の沢北部(9丁目通り):4830±40〜4090±70と3080±70y.B.P以降に傾動した.

D 吉井の沢北部:泥炭層上面が傾動.

年代値からみてみると,@とAの年代値と層序はよく一致している.B,Cはそれに比べて明らかに若い年代を示す.模式的な層序として,下位より泥炭層(基底年代,約5300年前頃),クロボク・泥炭層を含む扇状地堆積物,その上位にクロボク層(基底年代,約3,800年前)となる.