(2)地質調査結果

断層に直交する方向の地形測量の結果を図3−4−1に,主な露頭柱状図を図3−4−2および図3−4−3に,断層露頭のスケッチを図3−4−4および図3−4−5に示す

3.1.3.2.1 セグメントa(当別町当別川上流域)

(1)地形面堆積物

To−t1の構成層は不明である.しかし,To−t1の地形面は,当別川下流域にまで追跡可能である.その地形面は,小松原・安斎(1998)の中位1面に相当しToyaテフラが報告されている.また,Toyaテフラとの関係から,中位1面は北海道開発局(1999)の段丘3に対比される.これらの地形面堆積物は,インブリケーションの発達した円礫層・砂層からなりToyaは有機質泥層または泥炭層中に挟まれているという共通した特徴を持っている.地形面は,下流域では扇状地面からなるが,青山地域は河成面である. To−t2の構成物は,中礫〜大礫を含む良く円磨され,インブリケーションの発達した円礫層を基底とし,約1m程度の褐色ロームに覆われる.ローム中にはテフラが含まれる.断層上盤側では,褐色ロームはほとんど見られない.一番川北方の青山農場(715−2)のピットから,礫層直上においてロームに挟まれる白色細粒テフラを4枚確認した.分析の結果,すべてSpflを検出した(表V−2.6).同一のテフラが累重する理由は,周氷河現象(インボリューション)によるものと推定される.礫層上面にSpfl(41ka)が検出されたこと,これまでの活断層調査の知見(函館平野西縁断層帯および石狩低地東縁断層帯)もあわせると段丘の形成時期は約50ka頃と考えられる.

To−t3堆積物は,中礫〜細礫を主体とし,上部に砂層が見られる場合もある.中礫層には明瞭なインブリケーションが発達する.To−t3においては,C14年代試料やテフラは得られていない.礫層上面には,ロームなどの風成堆積物が見られない.To−t2およびTo−t4との関係から,最終氷期の終わり頃(20〜30ka)と考えられる.

To−t4堆積物は,段丘礫層・砂層・粘土層などからなる.礫層は,大礫を主体とし,インブリケーションが発達する.砂層直上の青灰色粘土層中に植物片が含まれており,そのC14年代は,9,800y.B.Pである.したがって,本層の離水年代は,得られたC14年代値に近いと考えられる.やや古く見積もって約10ka頃としておく.

(2)地質と断層露頭

リニアメント沿いには,下位より新第三系の望来層.金の沢層,当別層が分布する.望来層は,いわゆる硬質頁岩で特徴づけられる岩相を呈しており,安山岩質凝灰岩を一枚はさんでいる.この凝灰岩は色調が黒色で,ラピリであることから鍵層として容易に追跡できる.金の沢層は,シルト岩〜極細粒砂岩で特徴づけられ,望来層と当別層の中間的な岩相を呈する.当別層は,細粒〜中粒砂岩からなり,多くはマッシブ(明らかに生物擾乱によってマッシブに見えるものも含む)であるが,炭質物からなるラミナを持つ場合もある.白色細粒凝灰岩を一枚,確認している.

岡(1997)は,一番川右岸の道路周辺の切り割りから,To−t2面堆積物(段丘礫層)にスラストアップする望来層の逆断層露頭を確認している.望来層は,暗灰色シルト岩で,凝灰質砂岩を含む.地層の分布から,望来層と当別層との地質断層に一致する.断層上盤の望来層の上位をTo−t2面の礫層が覆うのが確認された.

今回の調査では,一番川の左岸にも,To−t2面の段丘礫層にスラストアップする望来層の断層露頭を確認した.断層面付近の段丘礫層には,断層運動による礫層中の礫の回転・定向配列がみられる.また,望来層中には,著しい破断変形が認められる.

(3)変位量と平均変位速度

 大内(1980)は,To−t2の地形面の年代を約3万年前と考え,さらに岡(1997)はより新しくなる可能性を指摘した.しかし,Spfl(41ka)が検出されたことにより,離水年代は,少なくとも約41ka以前となることが確実となった.同様な時代の段丘面は,函館平野西縁断層帯および石狩低地東縁断層帯におけるZ−Mテフラ層準であり,形成時期は50ka頃と考えられている.

To−t2面を変位させる逆向き低断層崖は,青山農場付近でみられる.比高差は,約12mである(活断層研究会1981).東傾斜の撓曲崖であることから,相対的に西側が上昇している.一番川および当別川付近で,To−t3面の逆向き低断層崖がみられる.比高差は,約2.8mである(図3−4−1).

青山中央神社裏では,t6面の逆向き低断層崖がみられる.比高差は,約1.2mである(図3−4−1).ピット調査を青山神社裏で実施した(図3−4−4).ピットは,段丘礫層まで達することはできなかったが,撓曲構造の一部は確認できた.この地点で最新活動期の解明が期待されるが,上部層で炭質物やテフラなどを見つけることはできなかった.

以上を総合すると累積変位量は,To−t2で12m,To−t3で2.8m,To−t4で1.2mであり,平均変位速度はTo−t2で0.24m/kyr.,To−t3で0.14m/kyr.,To−t4で0.12m/kyr.と概算される.

3.1.3.2.2 セグメントb(当別町中小屋付近)

(1)地形面堆積物

明瞭に活断層と判断されるリニアメントは判読しがたく,山地の高度不連続,三角末端崖などが見られる程度である.地形面は,Tn−t0,Tn−t0’,Tn−t1, Tn−t2, Tn−t3および崩壊堆積物Tn−taに分けられる.Tn−t0は,露出がないため堆積物を確認していない.Tn−t1は,硬質頁岩の角礫層と褐色ローム,灰色砂層の互層からなる崖すい堆積物である.いくつかの層準からテフラとおもわれるサンプルを採取したが,すべてリワークした砕屑粒子であった.Tn−t2も同様の崖すい堆積物からなる.褐色ローム層の中に広域テフラが挟まれておりAso−4(88ka)と同定された.Tn−t3は,沖積層であり,砂層と粘土層からなり,最上部にTa−aが見られる.砂層には,木片集合層が見られ,上流域まで追跡可能である.

断層崖背後には,リニアメント付近にのみ多くの崩壊地形が発達している.これらの地形は一義的に地震性とは言えないものの,その可能性を考え,今後検討を行う必要がある.

セグメントbの東側前縁にも,ほぼ並列する走向の撓曲が認められる.これを新たにセグメントb2と呼ぶ.リニアメントは,Tn−t2およびTn−t3を通過する.本中小屋では,Tn−t3が撓曲しているが,その他のTn−t3は撓曲変形を受けていない.今のところ,地形面の形成年代が微妙に異なると解釈しているが,詳細は不明である.また,比高差についても計測を実施しておらず今後の課題である.なお,空中写真を判読した限りでは累積性が確認できる.本セグメントは,累積性があることから活断層の可能性が高い.しかし,Tn−t3の撓曲崖の大部分は侵食を受けており,地形の形状が不明瞭である部分が多いことや,比高差の詳細・断層露頭の未確認を考慮すると確実度Uの断層として今回新たに記載し,今後検討することとする.なお,セグメントb2の北方延長となる,赤間の沢および篠津川上流にも直線的なリニアメントが存在する.しかし,リニアメントの前後に,変位基準面が全くないことから確実度Vの活断層として扱い,今後検討することとする.

(2)地質と断層露頭

下位より須部都層,盤の沢層,望来層,(金の沢層),当別層からなる.須部都層は,シルト岩・砂岩・礫岩・硬質頁岩からなる.盤の沢層は,海緑石砂岩からなる.望来層は,下部が硬質頁岩からなり,上部は暗灰色シルト岩からなる.硬質頁岩中には海緑石砂岩層が挟まれる.シルト岩は,遠目には層理面の風化または侵食のコントラストによると思われる縞状の層構造が見られるが,近くに寄ると測定が困難な場合が多い.石灰質コンクリューションを含む.当別層は細粒砂岩からなり,一部中粒砂岩を主体とする.当別層は,生物擾乱を著しくうけており,層理が明瞭でない場合がおおい.凝灰岩のはさみで層理を計測することができる.石灰質コンクリューションを含む.

断層露頭は,中小屋温泉入り口より南側の中小屋スキー場の緩斜面でみられた.露頭底部および滑走面には,暗灰色シルト岩が露出している.シルト岩層を不整合に覆う,角礫層および角礫混じり褐色シルト層がみられる.礫種は,“硬質頁岩”で,片状に角張った形態で,円磨をうけた様子はない.これらの地層に“硬質頁岩層”が傾斜30°Wでスラストアップする.“硬質頁岩”の内部には,節理が発達する.また,節理は開いており,岩塊全体が緩んでいる.断層面にそって,“海緑石砂岩”が見られることから,断層は層面すべりに起因したものと考えられる.下盤側の角礫層および角礫混じり褐色シルト層中からは,年代を示す試料は出ていないので,活動時期については不明である.米軍1万分の1を再判読したところ,この露頭の位置にあたる低断層崖を確認したが,現在はスキー場整備改変のため,断層崖の地形は失われている.

断層崖の位置は,硬質頁岩とシルト岩の分布境界付近に一致する.このことは,1地点しか確認していない上記断層露頭との関係とも調和的である.したがって,セグメントbは須部都層(または望来層)の中で断層が生じており,セグメントaの当別層と望来層との関係とは異なる.

セグメントbの南方延長部は,低地下に埋没し,伏在する.既存の地下地質資料から撓曲構造が推定された(北海道開発局,1999).撓曲上盤側では泥炭層は薄くなっているが,これがテクトニックなものかどうかは不明である.南4号線沿いで実施された地震探査のショットホールログから作成した地質断面図を示す(図3−4−6).断面図から,砂質粘土層の厚さはほとんど変わらないのに対して,泥炭層の厚さは極端に変化していることがわかる.また,地表面は地下の凹凸に比べると平坦である.表層部は,泥炭からなることより後から侵食を受けた可能性もない.泥炭層下限の年代は,4,000〜5,000年前と推定されている(松下ほか,1985).したがって,伏在撓曲は,泥炭堆積開始以前の4,000〜5,000年以前か,その前後近傍の時期に形成され,そののち,全体が泥炭層に埋積されたと考えられる.

セグメントb2付近の地質状況は,露出状況が極めて悪いために不明な点が多い.地形面からはTn−t1,Tn−t2,Tn−t3が分布している.ただし,Tn−t3の大部分には撓曲が見らないことから,今後撓曲したTn−t3堆積物を検討する必要がある.本セグメントの北方延長部は,当別層が分布する.したがって,断層があるとすれば,当別層中に生じている可能性がある.

(3)変位量と平均変位速度

セグメントbのリニアメントが通過するのは,Tn−t1面である.この地形面は,Aso−4を含むTn−t2より分布高度が高い事から,少なくとも88kaより古い地形面であることは確実である.

崩壊堆積物を切断する関係から,C14年代法により,ある活動時期の下限がわかる可能性はあるが,活動間隔や変位量を系統的に知ることは困難である.一応,Tn−t1の形成年代を200kaとして試算した結果を示すが,断層露頭や変位量が明かになっているわけではなく,あくまでも参考値であることを強調しておく.

セグメントbの南方延長部では,ボーリング資料から変位量を読むことはできるが,どの資料も古い上に年代学的・層序学的検討が行われているわけではなく,さらにボーリング位置(高さ)の制度が悪いために,それから変位量および平均変位速度を読み取ることは危険であり,今回はあえて行わない.今後の調査で,伏在撓曲の実体を明かにしていく予定である.

セグメントb2のリニアメントは,Tn−t2およびTn−t3を通過する.少なくともAso−4前後より以降の地形面を撓曲させ,累積性がある点から,今後,平均変位速度や最新活動期が判明する可能性がある.活動間隔については,テフラが少ない事,最終氷期の段丘がないことから,解明は困難と考えられる.

3.1.3.2.3 セグメントc(江別市トマン別〜北広島市)

(1)地形面堆積物

Np−t1面堆積物は,北広島市竹山より北北西の地点:1028−1で観察される.円磨した大礫層からなる.竹山に分布することから,竹山礫層に相当する.

Np−t2面堆積物は,音江別川層に相当する.現在はゴルフ場で芝が貼られており観察することができない.北広島市裏の沢の地点707−1で,相当層を確認できる.しかし,従来の層序では小野幌層に対比されている.707−1地点では,下位より砂礫層,灰色粘土層,斜層理砂礫層,褐色ローム層からなる.最上部の風成褐色ローム層からToyaおよび未同定火山灰1を確認した.約100kaのテフラ降灰時には,完全に離水していたことより,地形を作った堆積物の時代は100kaより確実に古いことが判明し,小野幌層(Toya以降Spfa−1以前の堆積物)ではないことは明かである.また,Toyaの下位に所属不明のテフラが多数確認された.それらは,いずれもこれまで知られているテフラ(Kc−Hbなど)と対比されるものは1つとしてなかった.

Np−t3面堆積物は,下位より軽石の散在する砂質シルト(基底にシルトの角礫層),シルト質細粒砂層,平行層理砂層,泥炭層,茶褐色シルト層からなり,茶褐色シルト層は最上部の土壌である.昭和の森,地点709−2では,泥炭層中にToyaおよび未同定火山灰1を確認した.このように泥炭層中にToyaをはさむ関係は,早来地域の本郷層の特徴に類似する.したがって,泥炭層より下位の地層は,早来地域の厚真層に対比される.ただし,本層が海成層である証拠は得られていない.軽石が散在し,淘汰度が悪い点から,少なくとも波浪などのない,エネルギーレベルの低い環境(例えばラグーンなど)が主体であったと推定される.今後,微化石などから検討する必要がある.

Np−t4面堆積物は,北広島市中ノ沢合流点1028−3でみることができる.下位の下野幌層を不整合に覆う段丘礫層で,その上位はSpflに覆われる.この関係から少なくとも41ka以前に形成されたと考えられる.

Np−t5面堆積物は確認していない.しかし,既存文献から,Spfa1・Spfl以降の堆積物からなる可能性がある.年代は20〜30kaを示す.広島砂礫層に対比される.

(2)地質および断層露頭

音江別川ルートでは,かつて下位より裏の沢層,下野幌層,音江別川層,竹山礫層が観察された.しかし,地形面区分と堆積物の確認,テフラとの関係を総合すると,層序関係に誤りがあることがわかる.音江別川層の上位に竹山礫層が覆う関係は,地形関係からはありえない.竹山礫層のNp−t1は最も高い地形面であり,音江別川層のNp−t2とは明瞭な高度差が存在する.したがって,音江別川でみられた礫層は,竹山礫層ではない.したがって,層序は裏の沢層,下野幌層,竹山礫層,音江別川層となる.さらに全域を対象とすると,もみじ台層相当層,未詳地層(Spfl以前のNP−t4は認識されていない),広島砂礫層(Np−t5)の順となる.

裏の沢層は,高温型石英を含む軽石層を主体とした地層で,他に斜層理の発達した砂岩層からなり,潮汐卓越の浅海環境が推定される.軽石の年代は1.4Ma(FT年代)である.

下野幌層は,主に炭質物を多く含むラミナの発達したシルト,細粒砂の互層よりなる.ラグーン環境である.一部,斜層理砂層がみられるが,内湾の口(inlet)の環境の可能性がある.

竹山礫層以降は,前述したとおりである.

裏の沢層・下野幌層には背斜・向斜構造が認められ,これが従前から活褶曲帯であるとの指摘の根拠となっている.

撓曲付近は,市街化のため露頭はすでに失われている.現時点では,断層露頭は1つも確認していない.

(3)変位量と平均変位速度

南の里において,Np−t2が15mであるので,15m/200ka=0.08m/kyr.となる.また,Np−t5が3mであるので,3m/20ka−30ka=0.1−0.15m/kyr.と概算される.

セグメントcの北方延長では撓曲と判読される地形はさらに不明瞭になり地形面の傾動のみが認識される.西野幌・トマン別付近の露頭および既存ボーリングコア試料の再検討でNp−t3面堆積物からToyaテフラを確認した(図3−4−7).その結果,Toyaテフラの層準は東へ緩く傾動していることが明かになった.Np−t3面の堆積物は,元野幌付近では海成の「もみじ台層」であるが,トマン別付近では堆積相が異なり,海成である明かな証拠は得られていない.したがって,Toyaテフラ層準が,同一の離水時期を示すとは限らないことから,得られる速度は上限値を示すと判断される.以上を考慮した,平均変位速度は<0.2m/kyr.と概算される.

 

3.1.3.2.4 セグメントd(江別市大麻)

(1)地形面構成物(段丘堆積物)

地形面は,セグメントcと同じで,さらに扇状地面のNp−t6が加わる.リニアメントは,Np−t3,Np−t6を通過するが,Np−t6に明瞭な撓曲地形は認められない.Np−t3面堆積物は,海成のもみじ台層に相当し,今回Toyaテフラに覆われる関係も確認した.ピット(手掘り)調査から,Np−t6面堆積物の表層部分は,クロボク層とその下位に細粒砂層からなる.クロボク層の基底から,3.7kaが得られた.したがって,3.7ka以降,この扇状地形が安定したと考えられる.

(2)地質および断層露頭

高速道路の調査では,撓曲付近で下野幌層をチャネル状にけずりこむ,もみじ台層が確認されている.もみじ台層上面の分布高度は,地形なりの構造を示しており,活褶曲であることがわかる.また,一部には裏の沢層も窓状に露出する.もみじ台層は,西野幌では5°W,江別西ICでは10°Wと傾いている.断層露頭は確認していないが,明らかに最終間氷期以降に変動をうけていることは確認できる.

(3)変位量と平均変位速度

これまでに,低地下にもみじ台層が分布しているという確実な証拠は得られていない.貝化石を含む砂礫層の存在は確認されているが,テフラ層序からの追試がなければ確実とは言えない.一方で,もみじ台層が低地方向に傾斜していることが確認されることから,埋没していると仮定して以下議論する.

野幌高校測線で,Np−t3は比高差18m,札幌盲学校測線で26mである.Np−t3の形成年代を125kaとすると,平均変位速度は>0.14−>0.21m/kyr.となり,B級の活動度を示す.