(2)地形地質

活断層研究会(1980,1991)は,当別川の河岸段丘を4つに区分し,上位から2段目の地形面の鉛直断層変位量が12mであることより,B級の活断層が存在することを示した.

平野(1980)は月形町周辺の地形面を,T面(分布高度70〜140m),U面(分布高度20〜40m(月形以南),40〜80m(月形以北).月ヶ岡付近で最も発達),V面(扇状地面でT・U面を開析する河川沿いに発達)に区分したが,年代学的なデータは得られていない.小松原・安斎(1998)は,石狩沿岸から当別川付近の地形面を,高位1面(分布高度110〜120m),高位2面(分布高度(旧汀線高度)110〜120m),高位3面(旧汀線高度,約80m),中位1面(旧汀線高度,約40m),中位2面および低位面に区分した.このうち,中位1面の灰色泥層下部より,最大30cm厚のToyaテフラを報告し,酸素同位体ステージ5に対比した.北海道開発局(1999)は,小松原・安斎(1998)の調査範囲の東部を含む月ヶ岡周辺の地形面を調査し,段丘1面(分布高度100m付近(伊達山)),段丘2面(分布高度20〜50m付近),段丘3面(分布高度20〜40m,最高で80m付近),段丘4面(段丘2〜3面を開析する地形面)に区分した.このうち,段丘3面の礫層上面直上,または上面より泥炭〜泥炭質シルトをはさんで約3m上よりToyaテフラを報告した.

このように最近になって,地形面堆積物の年代資料は,Toyaテフラの新たな採集地報告により,充実してきた観がある.特に,最終間氷期の地形面は,地形面区分における重要な基準面となることから,石狩沿岸の海岸段丘と内陸部の河岸段丘との対比は,Toyaテフラを基準として,正確に組み立てることが可能となった.

しかしながら,活断層の活動度を明らかにする上で重要な最終氷期に形成された河岸段丘については,段丘の編年は不十分なままであり,今日に至るまで年代資料の蓄積がない.

活断層としての当別断層は,もともと地質断層としてのそれであり(垣見・植村,1958),望来層と当別層が断層関係で接する関係が図幅で示されている.垣見・植村(1958)は,当別断層は正断層関係で接するとし,地質断面図も正断層で描いている.

江別市対雁(ついしかり)の対雁2遺跡調査地において,砂脈が確認されたとの連絡を札幌市および北海道埋蔵文化財センターから受けた.場所は,江別市の国道337号線沿いの石狩川河川敷緑地である.砂脈は,縄文晩期から続縄文(約2,000年〜1,200年前)の初期にかけての遺物包含層を切る関係が確認されている.札幌市近郊の液状化の調査を総合すると,液状化のイベント年代の特定には,Ta−aテフラ(AD1739年)とB−Tmテフラ(900年前)と砂脈・噴砂(丘)との切断・上下の関係の解明が鍵となる.しかし,両テフラとも遺跡内から確認されていない.北海道埋蔵文化財センターによれば,河川敷緑地は発掘前に対象とするレベルまで一気に剥ぎ取ってしまったので,表層数10cmの状態の詳細な検討が行われていないとのことである.ただし,続縄文文化層のレベルを同心円状の砂層が覆っており,もしそれが噴砂丘であるならば,イベントの時期が確定する可能性がある.今後は,慎重に発掘作業が展開されるとのことなので,今後の遺跡調査の進展に期待したい.

北海道庁が(株)石油資源開発に委託した地震探査の断面図をしめす(図3−1−1).地表踏査および地下探査から推定されてきた,当別向斜および金沢背斜が捉えられている.金沢背斜を中小屋の中小屋半ドームに対応すると考えると,金沢背斜東翼は,当別断層の南方延長と考えることができる.当別断層より東側,新篠津村付近では,反射面は水平となっおり,褶曲構造などが全くみられなくなる.

 地下地質の資料としては,深部の情報として石油探査に基づく地質断面図および柱状図が公表されている.地盤ボーリングの柱状図を図3−1−2−1図3−1−2−2図3−1−2−3,に示す.位置は付図2−1付図2−2に示す.