7−3−2 フモンケ川沿いトレンチ

[調査概要]

 トレンチ掘削箇所は馬追丘陵の中主部ブロックの南西端の台地(段丘2面)を横切るフモンケ川沿いの河岸段丘面(段丘5面)上である(付図)。トレンチ位置の選定にあたっては、段丘2面(t2)の示す馬追断層リニアメント部(逆向き低崖)をつなぐ部分で、完新世に形成された段丘5面(t5)の東下がりの微撓曲部が存在することに着目した。トレンチ箇所の最終確定にあたっては、その微撓曲部を横切るようにボーリング調査(西から直線上に西からNo.1、No.2、No.4、No.3孔を配置)を実施し、No.2孔とNo.4孔の間に第四系と新第三系の境界面(不整合面)の15mあまりの東への落ち込みを確認し、両孔を結ぶ線の北側に隣接して長さ14m×幅11m×深さ4m(法面傾斜40°程度)のトレンチを掘削した(図64写真29)。東西南北の全面について写真撮影・観察・スケッチを実施した(写真30図65)。さらに、地質年代を明らかにするために火山灰分析と14C年代測定を実施した。

[トレンチ内の層序]

 下位より新第三系および段丘5堆積物(T5)より構成され、上位より I a〜 I e層とVI層(新第三系)に区分される。それらの詳細は以下のとおりである。

  I a層(Ta−a〜cおよび泥炭・腐植・腐植質シルト):上位からTa−a、腐植、Ta−b、泥炭、Ta−c、泥炭および軽石まじり腐植質シルトからなる。Ta−aは層厚25cm・軽石質で、上部は土壌化している。Ta−bは層厚10cm±で、有色鉱物を多く含む径0.3〜1cmの灰白色軽石からなる。泥炭は層厚20cm±で、帯黄灰白色の極細粒火山灰をレンズ状にはさむ.試料(Tm−Tr−T1)を採取し火山灰分析を行った結果、B−Tm(白頭山−苫小牧火山灰)に対比できた(資料8)。Ta−cは層厚30cm±で、中〜粗粒の暗褐色スコリア質軽石(下部には径0.5cm±の低発泡のもの含む)からなる。泥炭は層厚10〜30cmで一部は腐植質シルトである。軽石まじり腐植質シルトは層厚20cm以下で北面のみで分布する。径0.3〜0.8cmの亜角〜亜円の軽石および頁岩礫を含み、基底面は波状にうねっている。

  I b1層(泥炭):トレンチの東半部に分布し、層厚は2m±であり、植物片を含む褐灰〜暗褐色の泥炭・粘土からなり黒色薄層が縞状に多数はさまれる。北面で観察すると、分布の西部では大きく屈曲し、その東部は緩く東へ傾斜するのが明らかである。緩傾斜部の下部では緑灰色の極細粒砂を多く含む砂質部を層状にはさむ.最下部には径0.5〜1cmの軽石(Ta−d起源)を多く含む中粒砂とその上位の腐植質粘土が合わせて10〜20cmの厚さで分布する。屈曲部では下部が50〜90°で東へ急傾斜し、黒色部が下位 I c層の境界に沿って薄く引きのばされている。上部はこのような変形が及ばず、急傾斜する下部の地層に対してアバットするように見える。

  I b2層(中粒砂):西面の上部に下位の I c・ I d層を削り込んで南北方向に延びたチャンネルを形成して分布する。主として葉理のある細粒砂(比較的淘汰良好)からなり、腐植質シルトや軽石(En−a起源)薄レンズ状にはさむ.最下部は中〜粗粒砂、径1〜2cmの軽石円礫(Spfl・En−a起源)、シルト岩の亜角礫を含む.層序関係からトレンチ東半部の I b1層とほぼ同時期の地層と推定できる。

  I c1層(軽石まじり砂):本層はトレンチ中央部において、撓曲によりほぼ直立した層厚1.5m程度の岩脈状の地層として分布し、西側には断層がある。軽石質礫層と砂層の互層、すなわち葉理の顕著な軽石まじり砂層である。礫は径0.5〜2cmの軽石(種類多様、Spfl・En−a起源を含む)の亜角〜亜円を主とし、泥岩・チャートなどを少量ともなう。礫層の基質は中〜粗粒砂からなり、植物片を含み腐植質である。砂層は灰色の細〜中粒砂で、角張った石英・長石片を主とし、黒色岩片濃集層葉理が見られる。

  I c2層(軽石質粘土〜中粒砂):北・南・西面撓曲部の西側に水平〜緩い東傾斜で、層厚1〜1.5m程度で分布する。軽石質粘土部と砂質部が斜交葉理を成して錯綜する。軽石質粘土部は径0.5〜2cmの軽石角礫(En−a・Spfl起源)を多く含み、基質は黄灰色の火山灰質粘土からなる。砂質部は灰色中粒砂を主体とし、黒色葉理が見られ、径5cm程度の硬質泥岩礫をわずかに含み、腐植質粘土薄層をはさむ.南面では上部に腐植質薄層をはさむ緑灰〜灰色の砂質シルトが一部周囲と指交状に分布している。 I c1層とは部分的に断層関係で接しているが、層相の類似性から同時期の堆積物とみなされる。

  I d層(腐植質シルト、礫まじり砂および礫層):南面では下位の I e層をチャンネル状に削り込んで堆積している。西〜北面の観察では、下部の礫まじり中〜粗粒砂層と上部の腐植質シルト層から構成されている。下部砂層は径1〜2cmのシルト岩亜角〜亜円礫を多く含み、上半部は軽石礫にとむ.軽石は白〜黄白色発泡の良いSpfl起源のものと発泡が悪い有色鉱物を含ものからなる。上部のシルト層は下半部では砂質シルトと互層し葉理が明瞭である。その上半部は弱腐植質で軽石密集部をレンズ状にはさみ、最上部は褐灰色粘土である。

  I e層(腐植質シルトおよび礫層):トレンチ内西半部で新第三系 IV 層を削り込み、斜交不整合関係でほぼ水平に重なり、層厚は1m±である。下位より礫層、中粒砂・礫の葉理状互層、腐植質細粒砂・シルト細互層、腐植質粘土層の順に、河川の河道から後背湿地に至る上方細粒化を示す層相変化で重なる。礫層は径3〜10cmの硬質泥岩角礫が卓越し、径0.5〜1cmの軽石円礫、木片を含み、その基質はスコリア質で有色鉱物にとむ粗粒砂である。

IV 層(新第三系シルト岩):トレンチ基底付近の西寄りの部分に分布する。主として灰色の塊状泥岩からなり、断層に隣接する部分では暗灰色の極細粒砂質泥岩が幅40cm程度で分布する。全体に幅1〜10cm程度の岩片状に剥離し、一部に断層破砕部が認められる。

[トレンチ内の構造]

 北面・南面の写真・スケッチに見るように、15°程度の傾斜で東に傾くIa層(斜面を覆う火山灰・腐植層でほぼ4,000年前以降)がその下位の撓曲するIb〜e層(完新世の河川氾濫原堆積物で段丘5堆積物)をマントル状に覆うのが明瞭である。トレンチ基底付近の西寄りの部分には追分層が分布し、その東端部より断層が馬追断層リニアメントとほぼ同じ走向でIc〜e層中へ延びている(N12°E72° E, N6° W82°E)。断層はときに分岐状となり、南面ではIe層中で折れ曲がるようになっている。

[総合解析]

 トレンチ内に現れた地層の年代は次のようである。Ia層は斜面を覆う降下火山灰・腐植層でB−Tm(947年)およびTa−c[2.5〜3ka)などの火山灰を挟み、Ta−cの下位の腐植で3,030±60y.BPおよび4,070±70y.BPの14C年代値が得られていることなどから、ほぼ4,000年前以降の風成・斜面堆積物であることが明白で、撓曲構造を切って蓋をするように分布することから、その堆積開始時期は地震イベントを読む上で重要である。Ib〜e層は、Ib1層に4,500〜5,000年前前後の14C年代が測定されていること、Id層にTa−d(8〜9ka)起源軽石が豊富に含まれることなどを考慮すると、5,000〜9,000年前、ほぽ完新世前半の堆積物である。各層の記載でも明らかにしたように、蛇行河川とその後背湿地の堆積物であることは明白で、支笏・樽前火山噴出物起源の砂礫に富むことから、火山灰台地が形成されて以降のフモンケ川の河川氾濫原堆積物(段丘5堆積物)であると断定できる。

 断層活動については、本トレンチ内では断層本体の現れはわずかであり、撓曲構造とそれを覆う地層の関係、東側前縁に存在するイベント堆積物の存在などから解明した。

 馬追断層の地震活動を示すイベントは、新しい方から、i)Ia層下部、ii)Ib層中、iii)Ic層堆積中の4つのものが認められる。

 iはIb以下の地層が顕著な撓曲構造を示すのに対して、それを切って斜交不整合関係で約4,000年前以降の火山灰・腐植層がマントル状に覆う関係からとらえられ、馬追断層の最新活動を示す。マントル層中で最も古い測定値はTm−Tr−C7の4,070±70y.BPであるが、この値は下位のTm−Tr−C3の値に比べて古く、その試料が軽石混じり腐植質シルトであることから、凍上などにより下位のものが混入している可能性が考えられる。そのことを考慮すると、活動時期としてはTa−c降灰以前のIa層中の3,030±60y.BとI bl中の最新の3,560±90y.BPの各測定値の間に推定できる。

 iiはトレンチ東半部で、 Ib層の下部が撓曲によりほぼ直立し、かつ引き延ばされたように変形しているのに対して、その下部がアバットするように見えることからとらえられる。下位の引き延ばされている部分の最上部と撓曲部でも厚さの減少が少ない上部の最下部からそれぞれTm−Tr−C5およびTm−Tr−C4の14C年代測定試料を採取しており、イベントの時期としてはこれらの各測定値、4,980±70y.BPと4,490±70y.BPkの間が推定できる。

  iii はIc層と追分層の境界付近に存在する断層がIc層中に延びIb層中に延びていないこと、北面のId層中に撓曲によって生じたと思われる楔状の割れ目が存在し、その割れ目にIc層中の砂が流入していることなどからとらえられる。割れ目を形成されたId2層およびその上位で断層が途中で途切れるIc1層最上部からTm−Tr−C8およびTm−Tr−C9の14C年代測定試料を採取しており、イベントの時期としてはこれらの各測定値、6,690±50y.BPおよび5,880±50y.BPの間が推定できる。なお、南面でIc層中に延びる断層が折れ曲がるように見えることは、iおよびiiのイベントで撓曲が進行したためと考える。

 以上のことから、本トレンチ内ではほぼ7,000年前以降、3,300年前頃、5,000年前頃および6,500年前頃の3回の地震活動の存在が把握できるが、その変位量は新しい方の2回については、Ib層下限面の示す撓曲による垂直変位量が約3.5mであり、それぞれの単位変位量はその半分の1.7mと算定できる。古い方については変位基準が不明確で直ちに変位量を確定することはできない、

[北側大露頭・ボーリング調査の結果を合わせた総合解析]

 ボーリング調査での予想のとおり、トレンチ調査ではNo.2孔とNo.4孔の間で撓曲構造の存在が確認でき、トレンチ西半部(断層上盤側)では追分層の存在も確認できた。そして、地形地質調査で完新世の段丘5面に認めた軽微な撓みは、数千年前以降の馬追断層の活動(地震)の反映であることが裏付けられた。トレンチ箇所北側には農地造成などによる大露頭(h−10)があり、その露頭の下限付近に分布するKt−1とボーリング調査で下盤側(No.3孔)に確認できたKt−1の間には、おなじ河川的堆積物中ながら、約12rnの垂直変位が認められ、その年代(39〜41ka)を考慮すると、トレンチ内で確認できた以外にもさらに5回程度のイベント(地震活動)の存在が予想できる。

 写真29 フモンケ川沿いトレンチの全景

 図64 早来町富岡フモンケ川沿いトレンチ箇所の測量図

 写真30 早来町富岡フモンケ川沿いトレンチの法面写真展開図

 図65 フモンケ川沿いトレンチのスケッチ・解釈図(試料採取位置も示す)