6−3−3 岩見沢市街緑が丘(ピット箇所付近)

 ボーリング箇所は岩見沢丘陵の南西端の台地(段丘3面)上で市道18号線南西側で北西−南東方向の線上に南東からM−1孔(孔口標高31.17m、掘進長25m)、M−2孔(同31.57m、同23m)、M−3孔(同32.34m、同25m)、M−4孔(同32.72m、同42m)を180m間に配置し掘削した(図45)。岩見沢断層リニアメントはこの線とはほぼ45°の角度で斜交しており、同リニアメントはM−2孔とM−3孔の間を通過している。同様に詳細は巻末の資料5に示し、以下で断面解析の結果にもとづき要約的に説明する(図46)。なお、M−1孔は岩見沢断層リニアメントの南東側、すなわち下盤側の最もそれより離れた位置で掘削したもので、粘土〜シルトについては三重管を用い、砂〜砂礫については無水掘削によりコア採取を行ない、下盤側の代表孔として電気検層を実施した。M−2孔はリニアメント東側で掘削し、各岩相についてはM−1孔と同様に取り扱った。M−3孔はリニアメントの北西側、すなわち上盤側を掘削し、各岩相についてはM−1孔と同様に取り扱い、上盤側の代表孔として電気検層を実施した。M−4孔は北西側(上盤側)を掘削したものであり、各岩相については、M−1孔と同様に取り扱った。

  i )地質は下位より新第三系および更新統からなり、沖積層(現河川氾濫原堆積物)は分布しない。新第三系は上部中新統追分層の泥岩および鮮新統峰延(清真布)層からなり、新第三系を明瞭な斜交不整合関係で覆う更新統はToyaあるいはSpfa 1と推定される火山灰をはさむことから、その時代は10数万年前以降で、ほぼ後期更新世とみなされる。ボーリング箇所の属する地形面などを考慮して最終的に段丘3堆積物と判断した。

  ii )地質構造については、まず第一に、追分層はコア観察などから50°程度の角度で西方へ傾斜していることは確実である。その上位に分布する峰延層も、日の出でのボーリング調査結果と同様な理由により、追分層と同様またはやや緩い構造で西方へ傾斜していると推定される。新第三系中では、浅層反射法地震探査結果なども考慮すると、両者の間には西上がりの層面すべり断層的な逆断層が推定される。なお、M−3孔の新第三系は追分層(泥岩)と鑑定でき、推定断層の位置は少なくとも新第三系中ではリニアメントが走るとしたM−2・M−3孔の間ではなく、M−3・M−4の間にあると予想される。

  iii )図46に示すように、リニアメント延長部はM−2孔付近に位置するが、M−1〜M−4の更新統(段丘3堆積物)基底はほぼ水平で、大きな高度差(変位)は想定できない。また、調査箇所の地表下5m付近に存在するToyaにも有意な高度差は認められず、断層の存在を示す結果は得られていない。これは日の出のボーリング結果と大きく異なることで、段丘3堆積物基底に変位を与えている断層は、同堆積物中のどこに存在するか(推定可能か)ということが大きな問題となる。

 いずれの孔についても14C年代測定は実施しなかったが、地表下5m付近に連続性の良い火山灰が見いだされ、火山灰分析を行った結果(巻末資料6)、Toyaに同定できた。さらに、H−2孔のToya直下の泥炭中にはさまれる火山灰は厚真4(Aafa 4)であることが判明した。

 日の出でのボーリング調査の結果を合わせて岩見沢断層の活動について言及すると、日の出の更新統(段丘3堆積物)中には断層による変位が明瞭に確認できるが、緑が丘ではそれは確認できないということが大きな問題となる。その理由としては「日の出ではToya降灰以降活動したが、緑が丘ではそれ以降活動しなかった」および「日の出の更新統は緑が丘のそれより古い」が考えられる。前者の考えについては、日の出と緑が丘は約3.5kmしか離れておらず、両者で活動時期が異なるという可能性は低いと考えられる。一方、後者については、両地域ともに段丘3堆積物とみなした場合、日の出の更新統はToya降灰時以降の部分が浸食により削りされているとすれば問題はない。いずれにしても、ボーリング調査結果だけからでは、Toya降灰以降に岩見沢断層が活動したかどうかの結論は下せない。

 図45 岩見沢市街緑が丘のボーリング調査孔(M−1〜4)の配置図

 図46 岩見沢市街緑が丘のボーリング調査断面と試料採取位置など