6−3−2 岩見沢市街日の出

 ボーリング箇所は岩見沢丘陵内を流れるポントネ川沿いの谷低地(現河川氾濫原面)の国道12号線南東側で西南西−東北東方向の線上に西からH−1孔(孔口標高19.96m、掘進長30m)、H−2孔(同20.06m、同20m)、H−3孔(同21.10m、同30m)、H−4孔(同21.60m、同25m)、H−5孔(同21.97m、同25m)を290m間に配置し掘削した(図43)。岩見沢断層リニアメントはこの線とはやや斜交しており、同リニアメントはH−2孔とH−3の間を通過している。個々のボーリング孔の解析結果の説明は省略し、その詳細は巻末資料5に柱状図集として示し、以下で断面解析の結果にもとづき説明する(図44)。なお、H−1孔は断層西側(西上がり逆断層と想定され、上盤側)の地質層序を確実に把握するために、100%のコア採取を目指し無水掘削を行った。H−2孔粘土〜シルトについては三重管を用いて、砂〜砂礫については無水掘削によりコアを採取し、上盤側の代表孔として電気検層を実施した。H−3孔は断層東側、すなわち下盤側を掘削したもので粘土〜シルトおよび砂〜砂礫はH−2孔と同様に取り扱った。H−4孔は断層下盤側を掘削したものであり、各岩相についてはH−2孔と同様に取り扱い、東側(下盤側)の代表孔として電気検層を実施した。H−5孔はH−1孔と同様に、東側の地質層序を確実に把握するために、100%のコア採取を目指し、無水掘削を行った。

  i )地質は下位から新第三系、更新統および沖積層(現河川氾濫原堆積物)からなる。新第三系は東寄りの部分では上部中新統の追分層泥岩から、西寄りの部分では鮮新統峰延(清真布)層砂岩からなる。

  ii )新第三系を不整合で覆う更新統は、緑が丘の更新統とは異なり火山灰あまりを挟まない。このことから当初、緑が丘のものより新しいとみなしたが、緑が丘のボーリング結果では更新統中にToyaが挟まれていることが明らかになり、一方、日の出の更新統については断層により明らかに変位を受けており、Toyaよりは古く、10万年前より以前と判断した。最終的に周囲に第3段丘が広く分布することから、その構成堆積物T3とみなした。

  iii )コア観察などから判断して、地質構造的に追分層は西側に60°程度で傾斜していると判断される。峰延層の構造はコア観察では不明であるが、緑が丘での浅層反射法地震探査結果などを参考にすると、ほぼ追分層と同様またはそれより緩い西傾斜の構造と推定される。新第三系を直接覆う更新統は西側に数度程度のごく緩い角度で傾斜している。最上位の現河川氾濫原堆積物はほぼ水平に堆積している。

  iv )新第三系上限面(更新統基底)の深度を見ると、H−2孔およびH−3孔の間で10m程度の高度差が認められる。H−2孔の新第三系を構成する地層は清真布層の砂岩で、一方H−3孔のそれは追分層泥岩からなり、両者の間で岩相が異なること、想定される断層の傾斜を低角度東傾斜の逆断層とすると、両孔の間は岩見沢断層リニアメントの延長部に相当することから、この高度差は断層による鉛直隔離であると判断される。コムカラ峠で観察される泉郷断層などの状況を参考にすると、本断層は新第三系内では層面すべり断層に近いものと判断される。なお、断層の変位量(鉛直隔離)は上述したように、更新統(段丘3堆積物)基底で10m程度、その上位の砂礫層基底で3.5m程度となっている。断層面の傾斜を仮に30°と仮定すると、傾斜隔離はそれぞれ20mおよび7m程度となる。一方、断層の上方延長部はは、H−3孔付近に続くと判断されるが、H−3孔には断層は認められないこと、さらに、H−2孔とH−3孔の間の現河川氾濫原堆積物の基底の砂礫層を対比すると、両者はほぼ水平に連続していることから、断層はその基底および同堆積物全体にに変位を与えていないと判断される。

 H−4孔については、いくつかの試料を採取し、14C年代測定を実施した。その結果、深度5m付近の砂礫中に含まれる木片について5、320y.BP、10m付近の腐植物について33、070y.BP、深度20m付近の腐植物について>48、400y.BPという年代値が得られた。H−3孔では更新統中について連続試料により200粒子観察による火山灰分析を試みたが(巻末資料6)、火山ガラスはほとんど認められず、その他の孔の観察結果でも同様であり、一般的に石狩低地帯付近ではToya火山灰の降灰以降には多数の火山灰が分布することから、日の出のボーリング孔中に現れた更新統はToya以前のものと結論付けた。

 図43 岩見沢市街日の出のボーリング調査孔(H−1〜5)の配置図

 図44 岩見沢市街日の出のボーリング調査断面