5−4 地震活動関連露頭(地割れ・小断層)

 泉郷付近の地震活動関連露頭は廣瀬ほか(2000)でc−36地点を除き既に報告を行っているが、今までのところ泉郷断層を取り巻く以下の3箇所(図34)で確認されているが、ここでは活断層の変位部そのものに存在するもの(5.3で説明)は区別して取り扱っている。これら3箇所の露頭はいずれも活断層である泉郷断層の周辺に存在することから、同断層の地震活動イベントに関連があるものと考えられる。なお、卯田ほか(1979)の紹介する“Ta−dを切る活断層”は、露頭状況から判断して、おそらくこの種の地震動にともなう小断層と思われる。

 泉郷嶮淵川沿い送電線下(c−29地点):泉郷断層沿いの露頭であるが、それから東へ300m余り離れており、明らかに断層そのものに関係する露頭ではない。写真19に示すように、ここには下位より支笏火山噴出物の二次堆積物(古砂丘堆積物)、En−a、ロームおよびTa−aなどをはさむ腐植が重なるが(巻末資料1)、下位よりEn−aの直上のロームまでを切る小断層群が存在している。断層面の走向は泉郷断層にほぼ直交しており、泉郷断層のEn−a降灰以降の活動による地震動によりもたらされた可能性が高い。

 千歳東インターチェンジ(c−36地点):馬追丘陵中主部ブロックの西半部台地際のキウス4遺跡の露頭で、自動車道工事関連の遺跡調査において大規模地割れ群の報告があり、本調査期間中に観察・試料採取の機会を得た(廣瀬ほか、2000)。地割れは長さ200m以上・幅10〜20m以上、延長方向N50°wの帯状の範囲に分布しているが(財団法人北海道埋蔵文化財センター編、2000;図34)、掘削された深さ2.5mの小ピットにより地割れ群の一部の観察を行った。ピット中には下位より、VIII層(En−a)、VII層(En−aの二次堆積物)、VI層(暗褐色〜黄褐色土層)、 V 層(黒色〜褐色腐植土層)、 IV 層(Ta−c1)、III層(黒色腐植土層)、II層(Ta−a)、 I 層(黒褐〜灰褐色の表土層)が重なるが、観察した地割れの深さは2m以上(下限不明)で、幅はピット基底で1m・上部で1.2m±で、その壁面の走向はN65°Wである(図36)。地割れ内側の地層は、一部はブロック化しながらも著しいじょう乱を受けることなく陥没している。 En−aの下位にくると予想される火山灰質シルト層がN値1〜2と非常に軟弱であること(巻末資料2のOT−c−93)を考慮すると、強い地震動によりこのシルト層が低地際の斜面で塑性変形を起こしてずり下がったために、上位の堆積物ともに開放割れ目群、すなわち地割れが形成されたと考えられる。このような地割れをもたらした地震イベントとしてはピット断面の観察結果からTa−c(2.5〜3ka)とTa−a(1739年)の間と判断される。

 千歳東パーキングエリア(c−37地点):c−36地点の東南東900mの台地上の露頭(キウス7遺跡)で、西田ほか(1996)が自動車道工事の遺跡調査関連で報告を行っている(巻末資料1)。ここではc−36地点ピット内とほぼ同様な層序が確認できる、走向N42°Eの長さ100m程の落差最大80cmの西落ち小正断層群が存在するのが認められた。この正断層群はEn−aの上位のローム層( IV 層)を切り第II黒色土(III層)におおわれている。西田ほか(1996)はこのような断層は泉郷断層などに比較すると極めて短いことから、それらの活動により従属的に形成されたものと考えているが、走向はほぼ90°に異なることなどから、より厳密には地震動によりもたらされたと考えるのが妥当である。露頭での地層と小断層の関係などから地震活動の時期は嶮淵川沿い送電線下のものと同様なことが考えられる。

 図34 泉郷断層北部付近の地震活動関連露頭の位置

 写真18 嶮淵川沿い西岸側送電線下の地震動により発生した小断層群露頭(c−29地点)

 図35 キウス4遺跡の地割れの位置と方向(財団法人北海道埋蔵文化財センター、2000原図)

 図36 キウス4遺跡の地割れのスケッチ図(廣瀬ほか、2000原図;c−36地点)