5−1 断層変位地形の分布・位置・延長

 本地域には、第四紀後期更新世以降に活動した岩見沢断層、栗沢断層、泉郷断層、馬追断層および嶮淵断層の5つの活断層が認められる。いずれも西側が上がり、東側が落ちた逆断層で、横ずれを示す現象は見られない。岩見沢断層の東側には岩見沢断層の活動にともなって副次的に形成されたとみられる岩見沢東断層が存在し、岩見沢断層と同様に、西上がり東落ちのセンスを示す。栗沢断層と泉郷断層の間は後期更新世以降も活動している西下りの傾動帯(長沼傾動帯)となっている。このような傾動は東上がりの主スラスト(長沼断層)の活動の反映とみなされるが、主スラストそのものが後期更新世以降に活動したという明確な証拠はないことから地質断層(第四紀)断層として取り扱った。長沼傾動帯の南端部の長沼断層の前縁には、少なくとも第2段丘堆積物の主構成部を変位させる東上がりの断層が存在し、それについては後期更新世に活動の可能性もありえることから、活断層として取り扱った。ただし、1露頭で確認しただけであるため、長さを短く表現した。長沼断層以外にも、東上がりの主スラストとして、栗沢断層の東側に栗山断層が、泉郷断層の東側に南長沼断層が、馬追断層の東側に早来断層が存在するが、これらは同様に地質断層(第四紀断層)として取り扱った。

[岩見沢断層]

 活断層研究会(1980;1991)の岩見沢断層に相当する。

 北北東−南南西の走向で岩見沢市街の北部、労災病院付近から日の出町の西部、岩見沢自動車学校の東側をとおり、北海道教育大学岩見沢校付近、緑が丘墓地南側まで6kmの長さで連続する。東側が落ちた逆向き低崖を示すが、地表踏査によりその特徴を明瞭に確認できる部分は日の出のポントネ川南側〜岩見沢校付近、緑が丘墓地付近の、ほぼ全体の半分である。南方へは幌向川流域の低地下へ続くが、次の栗沢断層とは250m程度くいちがっている。市街地などの条件のため、活断層露頭は存在しなかった。

 岩見沢東断層は岩見沢断層北部に平行して、約2.5kmの長さがある。同様な東落ち逆向き低崖を示し、日の出北付近から日の出町の明成中学校西側、東山町北部まで続き、その南の岩見沢東高校付近で不明瞭となる。日の出より南側でより明瞭で、活断層露頭は存在しない。

 両断層とも段丘3面を変位させている。

[栗沢断層]

 活断層研究会(1980;1991)の栗沢断層に相当する。国土地理院(1996)の都市圏活断層図「 I 札幌地区」の“栗沢断層”は東側西下がりの活撓曲とされており、ここでいう栗沢断層とはセンスが異なっている。さらに、この“栗沢断層”は馬追丘陵北端部の西縁沿いに延び、さらに南へ続くとされており、その実態は活断層研究会の説明とは大きく異なっており、問題がある。

 長さが約10.5kmで、栗沢町由良の栗沢工業団地東側からほぼ南北方向に道立福祉村西側まで続き、その南では北北東−南南西方向になり、エムズゴルフ場まで続き栗丘付近ではやや不明瞭となる。その南では夕張川流域の最低位段丘・低地下に延び川の南側の北長沼水郷公園付近まで達することが、重力調査で示唆される。幌向川流域低地の下へ延びるが、岩見沢断層とは前述のようにくいちがっている。東落ちの逆向き低崖を示すが、北部では段丘3面を、南部では段丘2面を変位させ、いくつかの活断層露頭が存在する。

[泉郷断層]

 活断層研究会編(1980;1991)の泉郷断層、日下ほか(1996)の“コムカラ峠の活衝上断層”に相当する。日下ほかの活衝上断層は活断層研究会の説明に従えば泉郷断層そのものであることは明白であり、この活衝上断層の約100m東側に泉郷断層があるとしているのは明らかな誤りである。国土地理院(1996)の都市圏活断層図「 I 札幌地区」では本断層に相当するものの大部分は推定活断層(今後も活動を繰り返すかどうか不明)とされ、泉郷断層という固有名は付されていない。

 北北西−南南東の走向で、長沼町南端の雪印乳業研究所農場付近から千歳市泉郷の信田温泉、いずみ学園東方、道横断自動車道コムカラ峠付近をとおり自衛隊東千歳駐屯地内まで続き、長さが約9kmで、南端部では約800mの間隔を置いて馬追断層と低角度で交差状となる。東落ちの逆向き低崖を示し、北端部では高位より段丘1面、段丘2面、段丘3面および段丘4面に変位を与え、高位のすなわち、古い面ほど累積変位量が大きいという結果が明らかである。本断層の中〜南部では段丘1面に変位を与えているが、上記のその他の面の部分は通過しない。道横断自動車工事により、コムカラ峠に代表的な活断層露頭が出現した。

 [馬追断層]

 卯田ほか(1979)、活断層研究会(1980;1991)および山岸(1986)の馬追断層に相当する。北部では、主要なものから東へ2つの分岐がある。山岸の報告を除くとこれらでは、馬追断層を安平川より南へ延長させ、源武付近から厚真市街南方へも推定しているが、本調査ではそのような延長は確認できなかった。

 主要なものは活断層研究会編(1980;1991)で「馬追断層a(西側)」として取り扱われている。長さが約13kmで、ほぼ北北西−南南東の走向でコムカラ峠の南東から陸上自衛隊東千歳駐屯地の東部をとおり、早来町富岡のフモンケ川西岸沿いに早来工業団地北東部に至り、そこからやや南東方向へ転換して早来市街西方の鶴の湯温泉付近まで続く.東落ちの逆向き低崖を示し、北部では段丘1面を変位させるが、その北半は追分層泥岩の分布する丘陵域で、三角末端面が連なる。南部では主に段丘2面を変位させ、フモンケ川が断層を横断する部分では段丘5面(河岸段丘)の東下りの微妙な撓みが存在し、南端部の鶴の湯温泉付近では段丘4面に変位を与えている。活断層そのものが現れた露頭はないが、断層活動にともなう撓曲・地震動の発生に関係した地割れ・地すべり現象を示す露頭は多い。

 北部では2つの断層が分岐するが、西寄りのものは活断層研究会編(1980;1991)で「馬追断層b(東側)」として取り扱われている。一部、段丘1面を通過するが、大部分は追分層泥岩分布域に存在し、三角末端面様の崖を東向きに認めることができ、推定活断層とした。東寄りのものは主として軽舞層上部の分布域にリニアメントとして追跡できるもので、推定活断層とした。その南部は南北方向に流れるホカンカニ川沿いの谷底平野状低地の西縁沿いに東向き三角末端面をともなって存在している。

[嶮淵断層]

 卯田ほか(1979)および活断層研究会編(1980;1991)の嶮淵断層に相当する。卯田ほか(1979)は本断層をフモンケ川付近から安平川沿いのJR室蘭本線付近まで延長させているが、本調査では活断層研究会と同様に、フモンケ川以南では不明確として表示しなかった。なお、卯田ほかが嶮縁断層の延長の証拠とした源武付近の“活断層露頭”は廣瀬ほか(2000)の指摘するように活断層そのものではなく活断層の活動、すなわち直下型地震による地震動によりもたらされたものと考える。

 早来町富岡の農林水産省種苗管理センター胆振農場内とその北方地域において、南北方向の遠浅川支流およびフモンケ川の支流の沢の西縁沿いに存在し、長さは伏在部を合わせて5km程度である。馬追断層南部の西側に700〜800mの間隔を置いてほぼ平行して、同様に東落ちの逆向き低崖として示される。