4−8 段丘1堆積物(T1)

 本堆積物は岩見沢−栗沢丘陵では岩見沢丘陵南部(緑が丘東方)に分布するが、露頭が少なくその詳細は不明である。

 馬追丘陵北部(北ブロック)では航空自衛隊長沼基地の敷地の一部、ハイジ牧場など脊梁西側(地質構造的には馬追山背斜の東翼)に分布し、従来、岩屑堆積物、崖錐堆積物あるいは段丘礫層(礫がち堆積物)とされてきたもの(長尾ほか、1959;松下、1971;経済企画庁、1974)の一部に相当する。断片的な露頭の観察では安山岩塊(脊梁を構成する岩脈に由来)と火山性土壌(ローム)の混合物からなるものが厚さ数m+で観察できるが、詳細は不明である。

 馬追丘陵中・南部ではかなりまとまった分布があり、露頭がある程度存在することから、本調査および関連調査(岡、1998)により、その詳細を把握した。まず、中北ブロックではn−40地点で地表から厚さ2mの部分が観察できる。中主部ブロックではc−32、c−38〜42地点で観察できる。これらのうち、その代表的な露頭である道横断自動車道コムカラ峠の露頭(c−38、−39、−40)では下位の追分層上部を斜交不整合関係でチャンネル状に削り込みながら、下位より i )基底礫層(厚さ0.2〜1.5m)→ ii )含巣孔砂質泥〜極細砂層(5m前後)→ iii )板状泥・細粒砂層(4〜10m)、 iv )斜交葉理砂礫層(3.5〜6m)の順に重なっている。これらのうち、 ii はc−38では欠如し、 iii は泥炭〜泥炭質泥を頻繁にはさみ、ときにレンズ状に礫〜砂礫をはさんでおり、湿原中の蛇行河川を想起させる(写真1)。 iv は構成礫は夕張山地・日高山脈の先新第三系岩起源の円礫が多いが、新第三系の硬質頁岩礫などもかなり含むんでおり、斜交葉理(一部では極めて顕著な斜層理)を示すことなどから、網状河川の堆積環境とみなされる。以上のことから、コムカラ峠付近の本堆積物は内湾(ラグーン)周辺の蛇行河川の流れる湿原が想定され、次第に河川本体の環境へ移行したことが考えられる。コムカラ峠南側のc−41地点では高さ9mの露頭が存在するが、その下部5mは平行〜斜交葉理の発達する比較的淘汰の良い火山ガラス質の極細〜中粒砂相(ときに含細礫・生痕)が発達している(資料1)。自衛隊東千歳駐屯地内のc−48地点では iii に類似した層相の上位にc−41地点の露頭に類似した層相が重なっているのが観察される(巻末資料1)。

 本堆積物は馬追丘陵中・南部では従来、明確に把握されていなかった堆積物であり、コムカラ峠の堆積物について岡(1998)は「東千歳層(中位段丘堆積物)」として取り扱い、最終間氷期から最終氷期初頭に位置づけた。しかし、現時点ではこのような東千歳層に相当するものは後述する段丘3堆積物が該当するとみなされることから、このような位置づけは適当でないと判断される。従って、岡(1998)に示される花粉分析結果(資料8)の解釈も訂正が必要となる。なお、同丘陵南端部の厚真地域の第四系(中・上部更新統)の中の最古の地層とされる早来層(馬追団体研究会、1983)は次の段丘2堆積物に対比されることから、該当するものがない。

 写真1 コムカラ峠の段丘1堆積物中のラグーン周辺の湿地堆積相

 写真2 栗沢丘陵の栗丘砂利採取場(k−20地点)の第2段丘堆積物

 図6 段丘堆積物および沖積層の編年

 図7 栗沢丘陵の主要露頭・ボーリング柱状図(火山灰・花粉・14C年代の分析・測定試料位置)