4−7 清真布層および峰延層(Km)

 清真布層は「夕張」図幅で栗沢市街(旧、清真布)東方の鈴木の沢(道立福祉村南側)を模式地として命名された地層で、下位の追分層砂岩・泥岩互層から漸移し、塊状砂岩の卓越する部分をもってその基底とされる(佐々ほか、1964)。層厚は250〜300m+であるが、模式地の南方の加茂川および栗丘川沿いでの観察によれば、生物かく乱を受けた極細〜細粒砂岩を主体とし、ときに泥まじり・含貝化石・含巣穴(サンドパイプ)である。下部で厚さ45cmの軽石質火山灰、中部に同30m+の白色細粒の斜交葉理ガラス質砂層をはさんでいる。栗丘川では下部に含木片の炭質泥岩または亜炭層を頻繁にはさみ、ときに砂礫質となる。このような岩相から、本層は浅海〜内湾(ラグーン)成の堆積物とみなされる。

 「岩見沢」図幅では清真布層は峰延層と呼ばれ、その模式地は本調査地域の北端部に隣接する峰延市街南東の丘陵地である。上記の清真布層とほぼ同様な岩相・層厚状況であるが、岩見沢丘陵では南部の緑が丘付近にわずかに分布する。

 峰延層はFortipecten takahashii(Yokoyama)に代表される貝化石群(“滝川−本別ファーナ”)を産出することから(松野ほか、1964)、清真布層を含めて、その年代は鮮新世とみなされる。

 なお、清真布層は馬追丘陵においては地表には分布せず、その西縁部でのボーリング坑井(長沼町泉源・道横断自動車道調査ボーリングなど)でその存在が確認できる。