本層は石狩低地帯とその周辺地域の石油・天然ガス探査の一環で実施された平成8年度基礎試錐「馬追」の調査結果の取りまとめの中で新たに滝ノ上層から切り離されたものについて、提唱された地層名である(石油公団、1997;栗田ほか、1997;栗田・横井、2000)。関係調査報告によれば、模式地(模式ルート)は長沼町南長沼第十七区東方の沢(馬追丘陵北ブロック南部)で、層厚870mで、下位より順に(東に向かって)、有孔虫化石Elphidiumを特徴的に多産し生物攪乱の顕著な外側陸棚成の暗灰色シルト岩(180m)→陸棚成の砂岩・シルト岩互層(100m)→外浜〜内側陸棚成の平行層理・塊状砂岩(150m)→石炭をはさみシジミ化石密集層ともなう河口〜河川成の砂岩・泥岩互層(440m)の順に累重し、上限は滝ノ上層基底の火山性礫岩・溶岩層に不整合で覆われている。なお、本調査地域周辺から苫小牧東部(勇払地域)にかけての石油天然ガス探査ボーリングの坑井地質によれば、地表で確認できる最下位のシルト岩層の下位に、火砕岩を含む粗粒な砂岩・礫岩層が存在し、幌内層を不整合で覆っている覆っているとされており、これらの坑井地質の中で従来「滝ノ上層」と呼ばれてきた地層の中〜下部の大部分は本層に属するとされている(栗田ほか、1997)。珪藻化石は後期漸新世を指示するLisitzinia ormataを特徴的に含むこと、渦鞭毛藻化石は道東の上茶路層(上部漸新統)との類似性が高く、Williamsidinium sp.Aなど上部漸新統に特徴的な種の群集を含むこと、花粉化石はTaxodiaceaeおよび落葉広葉樹に富み温帯性の古植生を示唆すること、放射年代は27.4±1.7Ma、24.4±1.0Ma(1Ma=100万年前)などを示すことから、地質年代は古第三紀末の後期漸新世と判断されている。
「夕張」図幅(佐々ほか、1964)の馬追丘陵北端部の川端層、「江別」図幅(松下、1971)の川端層から本報告の追分層相当部を除いたもの、「恵庭」図幅(長尾ほか、1959)の川端層に馬追山層の一部を合わせたものおよび「追分」図幅(松野・秦、1960)の馬追丘陵の嶮淵川付近以北の川端層に滝の上層を合わせたものに相当する。本調査および関連調査(岡、1998)では、n−2、−10、−24、−31、−33、−34、−39などの露頭で観察したが(巻末資料1)、凝灰質な砂質泥岩・板状泥岩、極細〜細粒砂岩およびこれらの互層を主とし、石炭・炭質泥岩をはさんでおり、断層(スラスト)活動により圧縮・剪断を受け破砕が進み、n−33露頭ではわずかな油徴も認められる。