4−1 地質・地質構造の概要

 本断層帯は長さが55kmに達し、長いことから、ほぼ同時代とみなされる地層の名称が地域により異なって使用されていることなど、地層対比上の問題が若干存在している。そのため、概要は北部(岩見沢・栗沢)、中部(長沼・千歳市泉郷)および南部(千歳市自衛隊駐屯地・早来)に分けて述べ、それぞれの記述の中で地層対比などについて言及する。

[北部(岩見沢・栗沢)]

 従来の地質文献としては、5万分の1地質図幅「岩見沢」(松野ほか、1964)および同「夕張」(佐々ほか、1964)がある。下位より新第三系の川端層・岩見沢層・追分層・峰延層(清真布層)、第四系の段丘堆積物群(T1〜5)・沖積層(現河川氾濫原堆積物を含む)より構成されている。川端層、岩見沢層および追分層はその年代は中・後期期中新世で全層厚が3,000mに達するほぼ整合一連の堆積物で、タービダイト相を含むいわゆる“石狩トラフ(石狩ベーズン)”の堆積物である(保柳ほか、1986)。峰延層は栗沢丘陵地域では清真布層の名称で扱われている(佐々ほか、1964)。第四系のうち段丘堆積物群については、従来は一括して「茂世丑層」という名称で取り扱われ(松野ほか、1964;佐々ほか、1964)、下部更新統とみなされたこともある。なお、栗沢丘陵とその周辺地域の上部新生界については、近年、椿原(1990)が層序・古生物(主に有孔虫化石)・堆積環境の調査研究、小峰・八幡(1999)が粘土資源調査に関連して第四系の調査を行っている。

 地質構造的には、岩見沢丘陵はほぼ南北方向の背斜構造(岩見沢背斜)を形成しており、その軸部より東西両翼に向かって川端層、岩見沢層、峰延層の順に分布する。両翼の地層の傾斜は50〜60°±でかなり急傾斜である。東側には志文−茂世丑向斜が平行して存在し、茂世丑低地の範囲にほぼ一致している。西翼側では岩見沢駅前で岩見沢ターミナル泉源(掘削深度1、102m)が存在するが、ボーリング結果によれば、深度0〜20m±:沖積層、〜380m±:中〜上部更新統?、〜800m±:峰延層(貝化石にとむ)、以下:追分層という層序が読みとれる。すなわち、同泉源の約1.5km東方の台地の地表付近に存在すると思われる峰延層下限は急激に落ち込み、地表下800m付近に存在していることが明らかになった。栗沢丘陵は同様にほぼ南北方向の背斜構造(栗沢背斜)を形成しており、その西翼側では一般的に岩見沢層を欠いて川端層が追分層と断層関係(栗山断層と呼ばれ東上がりの主スラストの一つ)で接し、その西側に清真布層が分布している。背斜軸部と栗山断層の間には加茂川断層が存在する。岩見沢断層および栗沢断層などの活断層は本背斜の西翼に存在する。なお、岩見沢丘陵と栗沢丘陵の地質構造的関係は岩見沢背斜の軸がやや屈曲しながらもほぼそのまま栗沢背斜のそれに続くことから、ほぼ連続的であるとみなされる。ただし、栗沢背斜の西翼側に存在するような東上がりの主スラスト・逆断層はの存在は確認されていない。

[中部(長沼・千歳市泉郷)]

 本地域については、従来、地質図幅調査および石油資源調査が精力的におこなわれ、それらに関連した次のような文献がある。すなわち、5万分の1地質図幅「岩見沢」(松野ほか、1964)、同「江別」(松下、1971)、同「恵庭」(長尾ほか、1959)、同「追分」(松野・秦、1960)、5万分の1土地分類基本調査「恵庭」(経済企画庁、1974)、石油資源開発株式会社関連の調査報告(吾妻、1961a;b)などである。下位より古第三系の南長沼層、新第三系の滝の上層・岩見沢層・追分層・清真布層、第四系の段丘堆積物群(T1〜5)・沖積層(現河川氾濫原堆積物を含む)より構成されている。南長沼層については、上記文献では川端層に対比されていた。しかし、最近の石油地質学的調査によれば、この「川端層」は微化石(珪藻・渦鞭毛藻・有孔虫・花粉)の解析からその時代は古第三紀末の後期漸新世と判断されるに至った(石油公団、1997;栗田ほか、1997;栗田・横井、2000;岡、1998)。岩見沢層および追分層は全層厚が1,000mあまりの整合一連の堆積物であり、両者の境界部は泥質岩として前者のものがいわゆる硬質頁岩(珪質頁岩)よりなるのに対して、後者のものは珪藻質泥岩よりなり、同時異相関係にある。清真布層は本地域では地表には分布が認められない。第四系のうちT1〜3については、「追分」図幅では「角田層・火山灰層」、「恵庭」図幅では「野幌層・輪厚砂礫層・広島砂礫層」、「江別」図幅では「北長沼段丘堆積物・崖錐堆積物」として取り扱っているが、北川ほか(1974)はほぼこれらに相当するものを「東千歳(砂礫)層」と呼び、岡(1998)の千歳地区表層地質調査報告ではこれに従い同層を採用した。ただし、この際に後期更新世最終間氷期から最終氷期初頭としてこの地層を位置づけており、コムカラ峠のもの(T1相当)などをこれから除去しT3に限定するという、再整理の作業をする必要がある。 地質構造的には地形的な区分の馬追丘陵北ブロックの部分は南北方向に延びる一つの背斜構造(馬追山背斜)を成しているが.その東翼は40〜70°前後とかなり急傾斜であるが、通常の翼部を構成し、東に向かって南長沼層、滝の上層、岩見沢層および追分層の順に分布している。これに対して、西翼は幅1kmほどが80°以上の直立〜逆転帯となっている(北部では南長沼層・滝の上層・岩見沢層を欠如して追分層のみが地表に分布)。そして、両翼は通常の背斜軸部を欠如して断層で接している(栗田・横井、2000など)。この断層は馬追丘陵の主スラスト(東上がり)の一つとみなされ、ここでは長沼断層と新称する。そのほか、断層は東翼に東上がり逆断層が背斜と同方向でいくつか存在する。西翼側は直立〜逆転帯の西側では急激に緩傾斜(西方)へ移行するが、その移行部の長沼市街南東の台地際では温泉ボーリング(長沼町泉源:掘削深度1、500m)が実施されている。その結果によれば、深度0〜10m:沖積層、〜910m:上・中部更新統および清真布層(80〜280m付近所々貝化石含む)、以下:追分層(礫質相)で深度99mおよび227mのスポットコアでは8°程度の傾斜(西?)が示される。同丘陵の中北ブロックにあたる部分は幌加背斜と呼ばれる北西−南東方向の背斜構造を成しており、両翼の傾斜は50°前後で、南長沼層が分布する(石油公団、1997;岡、1998)。その西翼には滝の上層が深度約300m以浅の向斜構造(剣淵向斜、嶮淵の誤用か)取って分布し、その西縁には東上がり主スラスト(南長沼断層)が存在する。南長沼断層は北北西方向に延び、長沼断層と右雁行状に配列し、第17区南長沼用水付近の地下では潜在逆断層として確認されている(佃ほか、1993)。同丘陵中主部ブロックの北部にあたる泉郷地域は、基本的には幌加背斜の西翼部の西半部にあたるが、全体として追分層が西傾斜で分布し、西上がりの活断層(泉郷断層)が存在する。地層(追分層)の傾斜は南部では30°前後Wであるが北方へ次第に大きくなり、北端部では80°±Wとなる。なお、北部地域との関連については、夕張川流域をはさんで中部地域の馬追山背斜が北部地域の栗沢背斜と右雁行状の関係で配列していることが指摘できる。

[南部(千歳市自衛隊駐屯地・早来)]

 従来の地質文献としては、5万分の1地質図幅「恵庭」(長尾ほか、1959)、同「追分」(松野・秦、1960)、同「早来」(松野・石田、1960)、石油資源調査報告(吾妻、1961a;b)および本地域の早来市街付近から由仁−安平低地の第四系の調査研究報告(馬追団体研究会、1983;1987)がある。下位より、新第三系の軽舞層(下部・中部・上部)・萌別層、第四系の段丘堆積物群(T1〜5)・沖積層(現河川氾濫原堆積物を含む)より構成されている。軽舞層・萌別層は下位の振老層を含めて整合一連の地層群でタービダイト相に特徴づけられ、石狩ベーズンの堆積物とみなされる。「追分」図幅の追分市街南西地域で川端層とされているものは(砂岩・泥岩互層)は「早来」図幅では軽舞層中部の砂岩・泥岩互層に対比されている。軽舞層の下部と上部は硬質頁岩を主体とするが、下部は本地域の地表部には分布しない。ここでは「追分」図幅に従い、軽舞層の中部以下の地層(軽舞層中・下部および振老層)を川端層相当層とし扱い、軽舞層上部は岩見沢層相当層として取り扱う。ただし、日本の地質「北海道地方」編集委員会編(1990)は軽舞層をすべて岩見沢層に相当するものとしており、厳密な対比には問題がある。軽舞層上部(硬質頁岩を主体とする)と萌別層の間には北部で述べた岩見沢層と追分層の関係と同様な一部同時異相の関係が存在している。第四系(沖積層を除く)については、馬追団体研究会(1983;1987)は馬追丘陵南端部の調査研究を行い、下位より早来層、厚真層、本郷層および降下軽石堆積物群(鵡川・支笏・恵庭)と段丘堆積物(宇隆・美里)を区分しているが、それらとT1〜5の関係については後で述べる。

 地質構造的には東半部に右雁行状に配列する2つの背斜構造が北北西−南南東方向に延びて存在する。南西部のものは従来、名称が付されていないので、ここではフモンケ背斜と新称する。馬追山背斜と同様に通常の背斜軸部を欠いて両翼が断層(早来断層と呼ぶ、東上がりの主スラストの一つ)で接している。早来断層はシーケヌフチ川沿いに南長沼断層に続く可能性があるが、その詳細は解明できていない。北東部のものはアウサリ背斜と呼ばれ、西翼に西上がりの断層(アウサリ断層)をともなっている。軽舞層中・下部と同上部が分布する。西半部は主に、萌別層の分布域であり、一般に50°±西傾斜の構造を取っており、2つの活断層(馬追断層・嶮淵断層)が並列して存在する。