3−1 地形の概要と地形面区分

 夕張山地の前縁には弧状に西に突出するような形で北より岩見沢−栗沢丘陵および馬追丘陵が細長く配置されているが、石狩低地東縁断層帯はその中〜西部および西側前縁の低地部を占める。これらの丘陵はいくつかのブロックに分けられ(図5)、その特徴は以下のとおりである。なお、丘陵の一部は台地(最高位・高位・中位・低位段丘;t1〜t4)となり、低地の一部には沖積錐などの最低位段丘(t5)が発達するが、それらの内容は項を改めて述べる。なお、地形(段丘)面の分布は構成堆積物(T1〜5およびAl)の分布に基本的に一致するので、付図(活断層図)を参照されたい。

[岩見沢−栗沢丘陵]

 これらの標高は150m以下であり、両者の間には幌向川とその流域(低地)が存在し、分断されている。

 岩見沢丘陵の北側には幾春別川が蛇行しながら南西方向に流れ、流域に低地が広がる。岩見沢丘陵は道央自動車道岩見沢サービスエリア付近から三井グリーンランド付近にかけての中軸部を除くと、広く台地(段丘t1〜t5)となっており、北よりポントネ川、東利根別川、大正池の沢および志文川の谷が横切っている。支庁所在地である岩見沢市街地は低地(幾春別川および東利根別川の自然堤防をともなう蛇行氾濫原面)および段丘上に展開する。

 栗沢丘陵の南側には由仁低地を北に流れた夕張川が西北西に方向を変えて流れており、周囲に沖積段丘(t5)を含む低地が広がる。栗沢丘陵の北西部および西部は広く台地(t2〜t4)となっており、由良川、最上川、加茂川などの谷が横切っている。栗沢市街は低地(最上川の沖積錐)と台地の一部を占めている。

 なお、これらの丘陵の西側低地は美唄原野および幌向原野と呼ばれる、石狩川東岸側の広大な低地でその大半は泥炭地となっている。

[馬追丘陵]

 本丘陵は長沼町・由仁町境界部・千歳市東部、早来町西部および厚真町西縁の一部を占めて長さ40km弱・幅4〜5kmの細長い丘陵で、中軸部(脊梁部)の標高は150〜250m前後である。北より国道274号の沢(ウロレチ川)、嶮淵川および安平川の谷が横断または斜断し、北・中北・中主部・南の4ブロックに分けられるが、これらの一部は地質構造的単元(セグメント)に対応している。

 北ブロックは延長12kmで南北に延び、その中軸部は標高が200〜250m前後に達し馬追丘陵全体の中では最も起伏の大きい所で、そのほぼ全体が馬追山と呼ばれている。中軸部を除いた部分は台地(t1〜t3)となっており、多数の比較的小規模な谷により東西方向に細かく刻まれている。長沼市街は本丘陵西側前縁の低地にある。中北ブロックは延長7kmで北西−南東に延び、その中軸部は標高が70〜130m前後と馬追丘陵全体では起伏が小さい所である。中軸部の一部と周辺部は台地となっている(t1〜t3)。西〜南側を嶮淵川が南西から北西方向にほぼ直角に方向転換して流れるが、その西側の谷部分は構造谷(南長沼断層と泉郷断層の間の沈降帯)の一部であり、南側の谷部分には協和断層(地質断層)が推定されている(岡、1998)。嶮淵川は南の安平川とともに馬追丘陵を完全に横断する河川であるが、その流域は由仁−安平低地内に火山灰台地として広がる。その火山灰台地部分は自然地理的にはその大半が夕張川水系および安平川水系(太平洋)である由仁−安平低地にあって、千歳川水系に属しているが、このことは馬追丘陵の形成に先立って嶮淵川が先行谷として存在していたこと、それ故に馬追丘陵の形成が地質時代的に比較的最近であることを示唆している。なお、この部分は行政的にも東方の由仁町(空知支庁管内)や追分町(胆振支庁管内)ではなく、西方の千歳市(石狩支庁管内)に属している。

 中主部ブロックは延長18kmで北北西−南南東に延びるが、嶮淵川支流シーケヌフチ川とホカンカニ川を結ぶ線によりさらに北西と南西の単元に分けられる。北西単元は中北ブロックに右雁行状に配置し、その中軸部の標高は70〜130m前後で、中北ブロックとともに 丘陵全体の中で起伏が最も小さい所となっており、中軸部を含めて全体の3/4以上が台地(t1〜t3)となっているのが特徴である。その南半部陸上自衛隊東千歳駐屯地により占められる。南西単元は、その東半部は頂面が100〜150m前後で特に中軸部が明瞭に存在しない、最も丘陵的な所である。一方、その西半部はほぼ全体が台地(t2・t3)であり、フモンケ川ほぼブロックの方向に従って南に流れ、南部で南西方向へ横切る。

 南ブロックは延長6kmで北西−南東方向に延び、その中軸部は120〜130m前後の標高があり、中軸部を除いた部分は開析の進んだ台地(t1〜t4)となつている。早来市街は本ブロックと中主部ブロックの間の安平川の谷に沿う段丘(t4)および低地(氾濫原)上に位置している。

 なお、北ブロック・中北ブロックの北半部・中主部ブロックの北部の西側には広く低地が広がり、長沼低地および長都低地と呼ばれているが、その丘陵寄りの部分にはかっては馬追沼や長都沼が存在していたが(図16)、現在では干拓され農地化している。さらに、中主部ブロックの南部および南ブロックの西側一帯は、支笏・恵庭・樽前火山の噴出物(火砕流・降下火砕堆積物)が厚く堆積した火山灰台地で、石狩低地内において日本海側と太平洋を分ける分水界台地ともなっている。