2−1 断層帯とその周辺の地質構造とテクトニクス

 石狩低地(石狩低地帯)東縁部には、馬追丘陵および岩見沢・栗沢丘陵が幅3〜6km、南北60kmの延長で存在しており、その東側には長沼低地が、東側には由仁・安平低地および茂世丑低地が存在している。長沼低地は標高が概ね20m以下(大半は10m以下)で、幌向・美唄原野および旧長都沼・馬追沼(いずれも干拓され農地化)とその周辺を含む長都原野などの泥炭地がその中心であり、石狩川、千歳川および夕張川などの流域となっている。

 石狩低地は地質構造的には西北海道構造区の東部に属し、さらに中央北海道への移り変わりの部分と位置づけられる。構造発達史的には後期中新世以降において千島弧外帯の西進(太平洋プレートの斜め沈み込みに起因する)により中央北海道構造区の南部が西へ弧状に突出したことと、それに対する西北海道構造区の抵抗・反作用(特に樺戸山地の東への圧縮・突き上げ)によりもたらされ、鮮新世以降はこれらの運動に日本海東縁部を主軸としたユーラシ(アムール)プレートの東方への圧縮運動が付加しているとみなされる(岡、1986;1994;1997)。

 本低地の大局的な地質構造は重力分布からとらえることができ(図2)、周辺山地が相対的に高重力であるのに対して低重力をなしている。このことは、本低地では新第三系〜第四系の堆積岩類・堆積物が厚く累積しているのに対して、周辺山地ではより高密度の先新第三系岩石が地表付近に分布または浅在しているためと判断される。石狩低地と茂世丑・由仁・安平低地は、馬追丘陵〜岩見沢丘陵がわずかに高重力を示すことにより区分される。さらに、石狩低地内は重力分布に地域的な差異が見られるが、特に長沼低地、岩見沢西方地域(幌向・篠津原野)および札幌東部・当別地域が相対的な低重力域を示すことが注目される。由仁・安平低地より日高沿岸部にかけて顕著な低重力域(浦河沖で−約200mgal)が存在しており、これらは日高山脈地域が顕著な高重力域(最大+137mgal)であることと好対照をなす。このような顕著な重力的コントラストは両地域が激しい地殻変動(地殻の衝突・めくれ上がりによる山脈の形成、トラフ状堆積盆の形成)を受けた反映である。このことについては、深部反射法地震探査法の成果にもとづく最新の考え方として、「日高山脈付近の地下深部での“デラミネーション−ウエッジ構造(層状分離−楔形)モデル”とその西側に展開するスラスト(低角逆断層)・西フェルゲンツ(西急東緩)褶曲構造」が提唱されている(伊藤ほか、1999;伊藤、2000;在田、1999;図3)。なお、馬追丘陵については、重力的な高まりと地形的・地質的な高まりの間に微妙なずれが生じているが(図4)、このことは6.4で紹介するように、地塁的な下部構造とスラスト的な上部構造の二階建て構造が存在するためと考えられる。

 馬追丘陵は北方に続く岩見沢・栗沢丘陵を含めて、全体として西へ弧状に屈曲し、地質構造的には右雁行状の配列を取る4つの構造単元(セグメント)−南部(アウサリ背斜・アウサリ断層・早来断層など)、中部南(幌加背斜・南長沼断層)・中部北(馬追山背斜・長沼断層など)・北部(栗沢背斜・岩見沢背斜・加茂川断層・栗山断層)−により構成されており、これらの構造単元は地形単元ともほぼ一致している。背斜構造は西急東緩の傾向があり、一般に西翼側にともなわれる地質断層は東上がりのスラスト性の逆断層である。このことから、これらの構造単元は西へのスラスト運動に付随するものではないかとの指摘が古くからなされてきたが(吾妻、1961a;b)、そのことは6.4で示すように近年の石油資源探査関連の物理探査・ボーリングの結果によっても証明されている(図52図53)。

 石狩低地東縁断層帯(馬追丘陵など)を取り巻く地質の概要については、図4に示し詳細は省略する。

 図3 日高山脈付近の地下構造(デラミネーション−ウエッジ構造)および西縁褶曲・スラスト帯の概念図(伊藤ほか、1999原図)。

 図4 馬追丘陵(石狩低地東縁断層帯)とその周辺の地質概略図
岡(1998)原図で破線内は「千歳地区表層地質図」の範囲を示す。