(3)地表踏査

判読による地形面区分に基づき,現地にて地形面構成物を確認し,地形面形成年代(離水年代)の推定を行なった.また,各断層の変位量を推定するためスタッフ,巻尺とハンドレベルによる簡易断面測量を実施した.

(1)地質層序

本地域の地質の層序は,新第三紀中新世の軽舞層・萌別層を基盤として,第四紀の早来層・厚真層を含む段丘堆積物が分布する.ただし,本報告では,地形面と地形面構成物との関係が重要であることから,第四系に関しては馬追団体研究会(1983)および同(1987)で再検討された早来層・厚真層などの地層区分は用いず,各地形面に対応した地形面構成物として取り扱う.すなわち,t1面(地形面)に対応したt1堆積物(地形面構成物)とする.

なお,地形面構成物の用語は,いわゆる狭義の段丘堆積物(例えば,段丘礫層などと使う)とその被覆層を含む全体をさす,より広義の意味で用いる.

地形面に対応した地形面構成物は,t1堆積物,t2堆積物,t3堆積物,t4堆積物,,t4面,a1堆積物,a2堆積物と称する.

主な地質柱状図を図3−1−3−6に示す.

軽舞層

露頭番号:37(K2),3,4,11,23,

軽舞層は,松野・石田(1960)によれば,下部硬質頁岩(K1)・砂岩泥岩互層(K2)・上部硬質頁岩(K3)の3つの部層に区分される.このうち,本調査地域に分布するのは,K2とK3である.

K2は,オークウッドゴルフ場への道路(露頭番号37)で観察した.層厚約30cmで細礫から細粒砂への級化層のユニット(3m),塊状またはクロスラミナの発達する砂岩層を伴う泥岩砂岩互層(泥勝ちな部分が多い)からなる.構造は,N6°W,49〜56°Eである.

K3は,いわゆる硬質頁岩であり,10cm厚の板状層理を示す,珪質頁岩からなる.

萌別層

露頭番号:1,2(M2),9,15,16(M3)

萌別層は,松野・石田(1960)によれば,シルト岩砂岩硬質頁岩互層(M1)・砂岩シルト岩互層(M2)・礫岩(M3)・砂質シルト岩(M4)の4つの部層に区分される.このうち,本調査地域に分布するのは,M2とM3である.

M2は,珪藻質シルト岩を主体とする.M3は,平行葉理の発達した砂岩・生物擾乱の著しい砂岩,クサビ型斜層理の発達した礫岩層を主体とする.

t1堆積物

露頭番号:5

露出状況は,降下火山灰およびその2次堆積物に厚く被覆されるため極めて悪い.現況では,陸上自衛隊東千歳駐屯地内で1ヶ所確認した.

下位より,青灰色シルト層,平行葉理砂礫層,礫層,生痕(泥管)のみられる中砂層,細砂・中砂層互層,細砂層,これら上位に不整合でKt−3,Spfa−5混じりのローム,Kt−1,Spfa−1,Spfa−1混じりのローム,これらの上位に不整合で,En−a,ローム,クロボク(Ta−cおよびTa−aを含む)が累重する.

化石など時代・環境を,特定できるものは検出されなかった.ただし,ロームより下位の堆積物については,堆積相から内湾〜前浜環境が示唆され,海成の可能性が高い.

コムカラ峠の道路開削現場では,基底に礫層,中部に泥層,上部に砂層〜砂礫層が卓越するシーケンスが確認された(中部を参照).このような,地層の累重様式は,沿岸沖積層にみられる,海退→海進→海退によって形成されたシーケンスの累重様式に酷似する.したがって,ロームより下位のt1堆積物も,海進によって形成された可能性が高いと判断される.

地形面を形成した離水時期は,Kt−3,Spfa−5以前,確実にはKt−1以前である.不整合の存在から,Kt−1降灰以前に既にこの地点は斜面化していたと考えられ,この点から,後述するt2堆積物とは形成時期よりかなり古い可能性がある.

t2堆積物

露頭番号:58−1,61,62−1,62−2,46,47,31

Kt−6テフラ降灰以前の堆積物の特徴について記す.青灰色シルト層の挟在を特徴とする細粒堆積物の上位に,Kt−6(Kt−8は未確認)以降のテフラが被覆する.

露頭58−1では,礫層が厚く発達しているなかに薄層の青灰色シルト層を挟む.露頭61では,下限はKt−6?までを確認した.その対面の露頭62−1および−2では,同様に礫質堆積物からなる.上面を,輝石を多く含む火山灰と白色細粒火山灰がみられる.

露頭46および47では,青灰色シルトを主体とし,生痕化石がみられることから,海成の堆積物と考えられる.すなわち,安平

地形面を形成した離水時期は,Kt−6?以前,確実にはSsfa以前である.

t3堆積物

露頭番号:55,53

Toyaテフラ降灰以前の堆積物の特徴について記す,

青灰色の細粒堆積物を特徴とする.露頭53の早来町源武では,クロスラミナ薄層を挟む青灰色極細砂層,ラグ堆積物を含む砂層,砂シルト級化層,泥炭・泥炭質粘土からなる.泥炭・泥炭質粘土には,Aafa−4,Kc−HbおよびToyaが確認された.

地形面を形成した離水時期は,Aafa−4以前である.Kc−Hbが10〜12kaと推定されていることから最終間氷期に形成された堆積物と考えられる.

既存ボーリング資料(図3−1−3−3)から,松野・石田(1960)が報告したOstrea gigas Thunbergの化石密集帯は,発見された場所から推察して,第V面(本報告のt2面に相当)を構成する地層ではなく,その下位のt3堆積物に相当すると考えられる.

t3堆積物

露頭番号:29

Spfa−1以降の堆積物からなる.したがって,少なくともSpfa−1降灰以前につくられた地形面と判断される.露頭54では,Ssfa降灰以降Kt−1降灰前に網状河川堆積物と判断されるSsfaのリワーク堆積物が厚く発達する.また,Spfa−1降灰以降,En−a降灰以前にもチャネル充填堆積物で示される堆積物が発達する.すなわち,表流水が卓越した時期が,Ssfa〜Kt−1,Spfa−1〜En−aの2つあったと読み取れる.これは,それぞれ,t3およびt4堆積物に相当すると考えられる.

t4堆積物

露頭番号:45

Spfa−1混じりの白色粘土および泥炭質粘土,その上位にSpfa−1の砂質リワーク堆積物,ロームからなる(上下の地質は,未露出で不明).

Spfa−1降灰時には,まだ堆積作用が継続していた可能性がある.しかし,粘土層であることから,地形面を形成した時期は,もっとさかのぼる可能性がある.

f堆積物

露頭がないため不明である.

a1堆積物

露頭がないため不明である.

a2堆積物

露頭番号:34

下位より青灰色クロスラミナ細粒砂層,Ta−cを挟む有機質土,Ta−a,bをレンズ上に挟む粗粒砂礫層(洪水堆積物)からなる(露頭??).

少なくとも,Ta−c(2.5−3ka前)降下前までは,河川の堆積作用が継続していたことから,Ta−c以前(5ka?)が離水時期と考えられる.

(2)火山灰分析

本地域に分布するテフラの多くは,図3−1−3−1および以下に示すように,肉眼的な特徴(構成物の量比,色・粒度・発泡様式など)に基づき野外において容易に識別可能であり,記載岩石学的性質(鉱物組成・火山ガラスの形態・屈折率など)を併用すればほとんどのテフラを識別可能である.このため,本調査では,野外において鍵層となる特徴的なテフラ(Ssfa, Toya, Kt−1, Spfa, Ta−d, Ta−c)との層位関係およびそれぞれのテフラの岩相から各テフラの識別を行い,露頭ごとにテフラ柱状図を作製した.さらに,必要に応じて実験室内で斑晶組み合わせおよび火山ガラスの形態の記載を行い,層位関係・肉眼的特徴のみからは識別困難なテフラの認定を行った.図3−1−3−7に本調査地域の主要露頭における火山灰層序柱状対比図を,表3−1−3−5に,本調査において採取した火山灰試料についての鏡下観察結果を示す.

以下に,調査地域内の主要なテフラないし地形面の形成年代・活断層の活動時期を評価する上で重要なテフラについて述べる.

なお,ここで言う"テフラ"とは,堆積物観察において時間間隙が認められず,一回の噴火輪廻に伴って空中ないし陸上を運搬され堆積した噴出物を指す.また,それぞれのテフラ中で色調・岩質・粒度組成など,噴出物の岩質が大きく異なる部分が認められる場合は,それらをユニットと呼ぶ .

Aafa 4(厚真降下火山灰堆積物:春日井ほか, 1980)

噴出源不明ながら,石狩低地帯南部に分布するとされる白色の降下火山灰層である.これまでの研究では分布域の詳細は明らかではなかったが,本調査において地点807−2(千歳市泉郷),地点807−4(千歳市共和)などで認められ(図3−1−3−7表3−1−3−5),既存文献による分布域(鵡川〜厚真:春日井ほか,1980)と合わせると調査地域全域に分布することが明らかとなった.一般には,地点807−4(千歳市共和)のように本郷層中の粘土に夾在する(春日井ほか,1980)が,地点807−2(千歳市泉郷)では東千歳層中の粗粒凝灰質砂に夾在されている.火山ガラスの屈折率は1.490−1.507前後であり,鏡下において強い多色性を持つ緑色角閃石に著しく富むことが大きな特徴である.噴出年代はこれまでには報告されていないが,Toya(洞爺火山灰),Kc−Hb(屈斜路羽幌火山灰)の直下の粘土・泥炭中に認められることから,最終間氷期〜最終間氷期直後の湿地帯に降下したと考えられる.

Toya(洞爺火山灰:町田ほか, 1987)

西南北海道,洞爺カルデラから噴出し,北海道全域〜東北日本北部にわたり分布する広域テフラである.洞爺カルデラにおける大規模火砕流の噴出に伴い形成された灰かぐらから降下したcoignimbrite ashであるとされる(町田ほか, 1987).地点53(早来町源武),地点807−2(千歳市泉郷),地点61(早来町安平)において,火山ガラス・細粒の軽石に富む白色火山灰として広く認められ(図3−1−3−7表3−1−3−5),調査地域全域に分布すると考えられる.最大層厚は30cm前後であり,多くの場合,本郷層中の泥炭質シルトや粘土層に夾在されるが,千歳市泉郷では東千歳層の砂層に二次堆積物として夾在される(図3−1−3−7).記載岩石学的には,軽石型・バブルウォール型の火山ガラスに富み斑晶鉱物に乏しいこと,ユーライト質の斜方輝石(エンスタタイト成分:En=30〜12)および緑褐色の角閃石を斑晶として含むこと,火山ガラスの屈折率が1.494〜1.498と非常に低いことがあげられる(町田・新井,1992).

洞爺火山灰の噴出年代は,明らかに14C年代の測定限界(6万年前後)を超えるために,層位学的手法から後期更新世と考えられてきた.しかし近年になり,14C年代以外の手法により年代測定が試みられ,これまでに0.103〜0.134 Ma (TL年代:高島ほか, 1992),0.13±0.03 Ma (FT年代:奥村・寒川, 1984)の年代値が得られている(表3−1−3−3−1表3−1−3−3−2).最終間氷期〜最終間氷期直後の湿地帯に降下したと考えられる.

Ssfa(支笏降下スコリア堆積物:勝井, 1959)

支笏カルデラから噴出し,石狩低地南部〜日高〜十勝平野にかけて分布するテフラである.地点53(早来町源武),地点61(早来町安平),地点15(千歳市自衛隊駐屯地)など調査地域全域で認められる(図3−1−3−7).従来Mpfa1,2,3,4とされたクッタラ・羊蹄火山起源のテフラおよび褐色火山灰土を覆う.従来はSpfa 7,8,9,10の独立した4テフラに分かれると考えられていたが(佐藤, 1969b),現在は,有意な時間間隙なしに連続的に堆積したテフラであると考えられている (山縣, 1994).以下,山縣 (1994)の再定義に従い,Ssfaを岩相の異なる4つのユニット (Ssfa 10, Ssfa 9, Ssfa 8, Ssfa 7)に区分し,記載する.

Ssfa 10は,白色〜淡黄色で発泡の悪い細粒な軽石(平均粒径は数mm〜1cm)と黒色〜褐色の岩片および結晶片からなるゴマ塩状の外観を呈する特徴的なユニットである.最下部には,しばしば層厚数cmの粗粒火山灰層,アズキ色火山灰層が認められる.Ssfa 9は,Ssfa 10の上位に火山灰土をはさまずに降下した細粒な降下火山灰である.色調(褐色〜暗紫色)の異なる数ユニットに区分される.Ssfa 8は,Ssfa 9同様に,色調(褐色〜黄色)・粒度の異なる数ユニットから形成される降下火山灰・降下軽石層である.最下位に降下軽石層,上位に数枚の降下火山灰層が認められる.Ssfa 7は,黒色で発泡の悪いスコリア(平均粒径は数mm)が卓越し,スコリアに比べやや粗粒でオレンジ色〜褐色を呈しやや発泡した軽石(平均粒径は数mm〜1cm)を伴う特徴的なユニットである.粒度・色調・構成物の割合の異なる十数枚のフォールユニットが確認でき,下部には細粒火山灰を特徴的に夾在する.層厚は,地点53(早来町源武)において,Ssfa 10は120cm,Ssfa 9は3cm,Ssfa 8は5cm,Ssfa 7は 265cmであるのに対し,地点15(千歳市自衛隊駐屯地)ではSsfa 10 cm,Ssfa 7 cmである.すなわちSsfaは北方で薄い傾向があり,Ssfa 8および9は地域北方では認められなくなる(図3−1−3−7).記載岩石学的には,単斜輝石・斜方輝石を斑晶に持ち,火山ガラスの屈折率は1.713−1.718である(町田・新井, 1992).

噴出年代は,これまでに36,520 ± 1,780 y. B.P.(岩見沢団研, 1984a),40,290 ± 1,950 y. B.P.(岩見沢団研, 1990),およびAMSによる49,800 ± 3,100 y. B.P.(加藤ほか, 1995)が報告されている(表3−1−3−3−1表3−1−3−3−2).しかし,これらの年代にはより若い14Cの影響による年代値の若返りの可能性が否定できない.

これまでの研究では,支笏カルデラにおける巨大噴火は,Ssfa以前には知られていない.Ssfaの噴出年代をより厳密に決定することは,石狩低地東縁活断層帯の変位量・活動履歴を評価する上で極めて重要なだけでなく,大規模カルデラ火山としての支笏カルデラの初期の活動史を検討する上で必要不可欠である.特に,Ssfa 10基底部に伴われる細粒火山灰を大規模なマグマ水蒸気爆発に伴う降下火山灰であるならば,Ssfaの活動以前にも大量の水を湛えたカルデラ地形が存在していた可能性が高くなる.今後AMSを用いた14C年代および他の手法による年代値とのクロスチェックを行うとともに,噴出物のより詳細な岩石学的な検討が必要であろう.

Kt−3(クッタラ第3:山縣, 1994)

西南北海道北部,クッタラ火山群を給源とし,石狩低地南部〜日高〜十勝平野にかけて分布する.繊維状によく発泡した黄白色〜淡桃色の軽石からなる降下軽石層である.調査地域内では,地点53(早来町源武),地点61(早来町安平)などで認められる(図3−1−3−7).薄い褐色火山灰土をはさんで直下に認められる降下軽石層(Spfa 5)とは,有色鉱物片に乏しく,軽石が黄白色〜淡桃色(Spfa 5は濃燈色)を呈し発泡も良いことで区別される.軽石の粒径は最大4 cm,平均1 cm前後である.下部の軽石は黄白色だが,上部の軽石は下部よりも発泡が良く淡桃色を呈する.記載岩石学的には,斑晶として単斜輝石・斜方輝石を含み,火山ガラスの屈折率は1.509−1.513前後である(山縣, 1994).

噴出年代として,十勝平野においてKt−3に対比されるOp−1(十勝団研, 1972a)から,35,750 ± 1,350 y. B.P.の14C年代(十勝団研, 1972 b)が得られている(表3−1−3−3−1表3−1−3−3−2).しかし,層位的にKt−3の上位にあるSpfa 1およびKt−1が39〜42 ka前後のテフラと考えられることから,Kt−3の時代論も今後より詳細な検討を要する.

Kt−1(クッタラ第1:山縣, 1994)

クッタラ火山群を給源とし,石狩低地南部〜日高〜斜里平野まで広域的に分布するテフラである.調査地域内においても,地点53(早来町源武),地点807−2(千歳市泉郷)などほぼ全域にわたって認められる(図3−1−3−7).層厚は地点53(早来町源武)では115cm,地点61(早来町安平)では200cm,地点807−2(千歳市泉郷)では25cmであり,南部で比較的厚い傾向がある.Kt−3およびその直上の降下スコリア層(Kt−Tk)を,厚い褐色火山灰土(地点61で70cm)をはさんで覆う.斜長石・石英の結晶粒(粒径1 mm前後)と黄白色〜白色でスポンジ状に発泡した軽石,および岩片からなるゴマ塩状の降下軽石堆積物である.軽石は1〜10 mm前後の細粒なものが多く,上部は下部に比べ細粒になる傾向がある.一部に,灰色〜青灰色,粒径1〜10 mm前後の軽石も認められる.斑晶鉱物として,単斜輝石・斜方輝石・石英・角閃石を含み,上下のテフラに比較して,石英斑晶が非常に多く認められる点が大きな特徴である.火山ガラスの屈折率は1.502−1.504前後である(町田・新井,1992;山縣,1994).

 噴出年代として,これまでに,> 35,500 y. B.P.(河内ほか, 1982),40,190 ± 2,590 y. B.P.(山崎ほか, 1983),> 40,000 y. B.P.,41,600 +1,300/−1,100 y. B.P.(胆振団研, 1987),41,200 ± 1,180 y. B.P.(勝井ほか, 1988),39,290 ± 970 y. B.P.(加藤ほか, 1995)の14C年代が得られており(表3−1−3−3−1表3−1−3−3−2),39〜42 ka前後に噴出したと考えられる.

Spfa 1(支笏第1:佐藤,1969b)

西南北海道,支笏カルデラから噴出し,石狩低地南部から北海道北部・東部までのほぼ全域を覆う大規模な降下軽石層である.本調査地域においても全域に分布し,地点53(早来町源武)では265cm,地点61(早来町安平)では200cm以上,地点807−2(千歳市泉郷)では130cmと非常に厚い降下軽石層として認められる(図3−1−3−7).最大4 cm,平均2 cm前後の粒径の著しく発泡し絹糸状の光沢を持つ白色〜桃色の軽石と,石英・角閃石の結晶片を伴う軽石質な基質からなる降下軽石堆積物である.粒径などの岩相の異なる十数枚のフォールユニットから構成される.特に基底部には,ピンク色を呈し粒径1 mm以下の比較的淘汰の良い粗粒降下火山灰およびその上位のピンク色の細粒火山灰が特徴的に伴われる.

斑晶鉱物として斜方輝石・角閃石を伴い,軽石タイプ(一部バブルウォールタイプ)の火山ガラスが多い.火山ガラスの屈折率は1.500〜1.505前後である.

Spfa 1については,これまでに非常に多くの14C年代測定が試みられてきた.それらのほとんどは2万5000年〜3万5000年前前後に収束し,噴出年代は3万年前前後と考えられていた.しかし近年,AMSを用いた年代測定により,42,000 ± 1,800 y. B.P.(柳田, 1994)が報告された(表3−1−3−3−1表3−1−3−3−2).Spfa 1の直下に厚さ数cmをはさんで存在するKt−1からも40 ka前後の年代値が報告されていることから,Spfa 1の年代は40 ka前後と考えられる.

Spfl(支笏火砕流堆積物:山縣, 1994)

Spfa 1と時間間隙無しに噴出した大規模珪長質火砕流堆積物であり,給源である支笏カルデラから最大60 km遠方まで達している.調査地域の西方においてよく発達し,平坦な火砕流台地を構成する.調査地域内では,早来町富岡など西部で発達し,フモンケ川では厚さ約10mに達するが,その他の地域では谷など地形的低所で局所的に認められるにすぎない.繊維状によく発泡した白色〜桃色の軽石(平均粒径数cm前後)を伴い,淘汰の悪い細粒な基質に富んだ桃色〜淡桃色の火砕流堆積物の産状を示す.基底部には比較的岩片に富んだ層がしばしば認められる.記載岩石学的には,下位のSpfa 1とほぼ同様の性質を示す.

調査地域内には,絹糸状によく発泡した軽石を含み,SpflおよびSpfa 1を母材とする風成二次堆積物が非常に良く発達する.重鉱物に富んだ薄層と軽石片に富んだ層が斜交層理を成し,地点26(早来町富岡)で300cm以上,地点807−1(千歳市共和)で120cm以上と非常に厚く発達する.Spfa 1, Spfl, およびその二次堆積物は,それぞれが数m以上の厚さを有し,本地域における各地形面の主要な構成要素となっている.

En−a(恵庭 a:春日井ほか,1968)

支笏カルデラの北西,恵庭火山を給源とする降下軽石堆積物である.Spfa 1,Spflの上位に,厚い褐色火山灰土(平均層厚30〜40cm,最大85cm)をはさんで堆積する.本調査地域においては,地点53(早来町源武)では60cm,地点43(早来町富岡)では230cm,地点15(千歳市自衛隊駐屯地)では240cmと,北部でより厚く発達する(図3−1−3−7).黄色〜黄白色で,輝石斑晶に富む発泡の悪い軽石からなり,下部の粗粒なユニットと上部の比較的細粒なユニットに大別できる.丘陵地〜斜面上では土砂移動のためにEn−a起源の軽石を交えた褐色火山灰土としてみとめられる.記載岩石学的には,単斜輝石・斜方輝石斑晶に富み,火山ガラスの屈折率は1.503−1.510前後を示す.噴出年代は,13〜19 ka前後の14C年代が報告され(表3−1−3−3−1表3−1−3−3−2),最終氷期後期に噴出したと考えられる.

Ta−d(樽前 d:佐藤,1969b)

支笏カルデラの南東,樽前火山を給源とし,石狩低地南部〜日高〜十勝平野に分布する降下スコリア層である.本調査地域においては,地点53(早来町源武)では170cm,地点43(早来町富岡)では110cmと南部で厚いが,北部の千歳市自衛隊駐屯地および泉郷では全く認められないかスコリア混じりの黒色火山灰土層となっている(図3−1−3−7).En−aの上位に,En−a混じりのローム,薄いクロボク土をはさんで累重する.下部は,黄燈色のよく発泡した風化スコリア,上部は赤燈色〜オレンジ色でよく発泡し下部に比べやや細粒の風化スコリアから構成される.記載岩石学的には,斜方輝石・単斜輝石・まれにかんらん石斑晶を持ち,火山ガラスの屈折率は1.533−1.537と,石狩平野南部に分布する他の後期更新世テフラに比べ非常に高い.噴出年代は,14C年代から8〜9 kaとされる(表3−1−3−3−1表3−1−3−3−2).

Ta−c(樽前 c:佐藤,1969b)

支笏カルデラの南東,樽前火山を給源とし,石狩低地南部〜日高〜十勝平野〜斜里・根釧原野まで広域的に分布する降下火山灰・スコリア層である.下位から,岩片と赤褐色〜青灰色スコリアに富むTa−c1,淡黄色軽石からなるTa−c2の2ユニットに区分される.Ta−c1は地点15(千歳市自衛隊駐屯地)では20cm,地点808−7(千歳市自衛隊駐屯地)では20cmと北部で発達し,地点53(早来町源武)など南部では認められない(図3−1−3−7).一方Ta−c2は地点53(早来町源武)では20cm,地点616−2(早来町富岡)では30cm,地点15(千歳市自衛隊駐屯地)では40cmと,全域でよく認められる(図3−1−3−7).斑晶鉱物として単斜輝石・斜方輝石を含む.

噴出年代は,14C年代から2.5〜3kaとされる(表3−1−3−3−1表3−1−3−3−2).鈴木(1994)は,Ta−c1とTa−c2の間に腐植層を認め,両者の間に30年の時間間隙があるとしたが,本調査では,こうした腐植層は発見できなかった.

Ta−b(樽前 b:佐藤,1969b)

樽前火山を給源とし,石狩低地南部〜日高〜十勝平野にかけて広く分布する降下軽石層である.石狩低地では苫小牧市美々以南で発達する.地点53(早来町源武)では層厚40cm前後だが,北方へ薄化し,地点43(早来町富岡)では10cm,地点15(千歳市自衛隊駐屯地)ではまったく認められなくなる(図3−1−3−7).地点53(早来町源武)ではTa−c2の上位に厚さ30cmのクロボク土をはさんで堆積している.白色〜淡灰色,平均粒径1cm前後の輝石斑晶に富む発泡の良い軽石からなり,斑晶鉱物は単斜輝石・斜方輝石である.

噴出年代は1667年である(表3−1−3−3−1表3−1−3−3−2).

Ta−a(樽前 a:佐藤,1969b)

樽前火山を給源とし,石狩低地南部〜日高〜十勝平野・大雪山地域〜根釧台地まで広く分布する降下軽石層である.Ta−bとの間には厚さ5cm以下の黒色火山灰土が認められる.調査地域のほぼ全域で認められ,地点53(早来町源武)では層厚7cm,地点43(早来町富岡)で15cm,地点808−7(千歳市自衛隊駐屯地)で25cmと,北部でよく発達する(図3−1−3−7).千歳市泉郷および自衛隊駐屯地では,8枚のフォールユニットに区分可能である.粒径数cm以下,白色で輝石斑晶に富んだ発泡の良い軽石からなる.

噴出年代は1739年である(表3−1−3−3−1表3−1−3−3−2).

(3)断層露頭および変位地形

結論からのべると,断層露頭は確認されなかった.しかし,いくつかの地点で断層運動に関連した正断層が確認された.

露頭17は,馬追断層の逆向き低断層崖にあたる.写真3−1−3−1に露頭写真を示す.いずれも北向きに撮影している.写真3−1−3−1aの左側(西側)にはSpflが露出し,東側に撓み下がる.すなわち,西側隆起を示している.しかし,ここでは西傾斜のスラストは見られない.写真に示したように,東傾斜東落ちの正断層群がみられる.この正断層は,En−aの基底では変位は明瞭である.Ta−dは斜面上部に,地溝状の窪地に偏在している.このことは,Ta−d降下後に斜面化したために,斜面状のTa−dが失われたためと考えられる.Ta−cおよびTa−aはマントルベッディングを示し,全く変位が及んでいないことから,Ta−d降下以降Ta−c降下以前にイベントが推察される.

これら正断層群の成因は以下のように考えられる.通常,斜面方向への正断層群は地すべりと捉えることができる.本露頭も地すべりと考えられる.ただし,発生誘因として考え易い「降雨」によるものではないと考える.このような,「中途半端」な地すべりの誘因として地震が考えられる.すなわち,断層運動にともなう隆起のために位置エネルギーが増大するために,地すべりが発生したと考えられる.

Ta−d降下以降Ta−c降下以前のイベントによると思われる撓曲崖を写真3−1−3−2に示す.地主から調査拒否のため,この撓曲を測量することは残念ながらできなかったが,写真から3mのスタッフと比較すると比高1〜2m(1.5m?)はあるようである.崖の規模からみて,単位変位量に相当する高さと考えられる.なお,沖積層には,Ta−c以降の火山灰が含まれている(露頭34).

後述するが,極浅層反射法地震探査を写真3−1−3−2の右側にみえる道路で実施し,見事に逆断層を捉えることができた.

(4)変位量と平均変位速度

簡易断面測量を各地形面で実施し,垂直の比高差を計測した(図3−1−3−8図3−1−3−9図3−1−3−10図3−1−3−11図3−1−3−12図3−1−3−13図3−1−3−14).また,地形面および地形構成物から推定される形成年代と比高差のクロスプロットから回帰して得られる垂直平均変位速度を算出した(図3−1−3−16).

地形面の形成年代

活断層の活動度を試算するためには,地形面の形成年代を明らかにすることが重要である.本報告では,以下のように,地形面の形成年代を推定した.

t3面を構成する堆積物のうち,Kt−8以前の堆積物は,厚真層および本郷層と呼ばれる地層である.厚真層は,本郷層中に,Kc−Hbテフラを含む事,海成層であることより最終間氷期の堆積物と考えられている(馬追団体研究会,1983).したがって,t3面の形成時期を最終間氷期最盛期の125kaに設定する.平均隆起速度は,みかけの旧汀線高度38mより0.3m/kaと試算される(図3−1−3−15).この上昇速度が一定と仮定すると,t2面およびt1面の年代は220ka,330kaと試算される.これらは,それぞれ酸素同位体ステージ区分のそれぞれ7および9の間氷期に相当する年代である.

また,河成面のt3面は,Ssfa以降Kt−1以前から50kaに,t4面はSpfa−1を含むことから40kaとした.また,完新世の面の年代(a2面)は,Ta−c以前としかわかっていないが,仮に6kaとする.なお,今回の調査では,地主の調査立ち入り拒否のため,完新世の面の比高差を測量することができなかった.近傍で,スタッフ(3m)をたててみたところ,1〜2m程度は比高差があるようなので,今回は便宜上1.5mと仮定して用いることにする.

馬追断層

馬追断層では,以下の3つの地形面で計測した(図3−1−3−8図3−1−3−9図3−1−3−10図3−1−3−11).

t2面での比高差は測線U−1,U−3で,t4面は測線U−2で,t4面は測線U−4で実施した.測線を活断層図に示す.

各面の比高差は,t2面で9m,t3面で4m,t4面で3mとなった.したがって,平均変位速度は,0.03m/kaとなる.

嶮淵断層

t2面の開析を受けている.また,嶮淵断層については第2段丘面の比高差について,側線K−1,K−2,K−3(図3−1−3−12図3−1−3−13図3−1−3−14)で実施した.

K1測線は,現況から侵食の影響が大きいと判断される.

平均変位速度は,0.02m/kaとなる.ただし,t4面には変位を与えていないことを考慮すると,馬追断層と同程度の0.03m/kaをしめす.

平均変位速度と平均隆起速度

両断層とも平均変位速度から活動度はC級と結論づけられる.

平均変位速度と平均隆起速度を比較すると,断層による変位速度は隆起速度のおよそ10分の1と非常に小さい.

山地の隆起運動は,東傾斜のスラスト運動が想定される.報告した断層は,その運動方向とは正反対のバックスラストであることから,この事は理解される.