2−1−6 地質および地質構造

地質層序については表1−1に,地質図(分布,構造)については図1−1に示した.以下に,地質および地質構造について述べる.

上磯層群

石田ほか(1975)命名.大野町大野川上流部〜上磯町戸切地川周辺および上磯町湯の沢川上流〜木古内町亀川上流部などに分布する.また,大野町健康センター泉源(せせらぎ温泉)では,深度1325m(標高−1298.59m)で本層群に逢着している.石灰岩からはトリアス紀の化石が報告されているが,近年ジュラ紀付加体と考えられている.

おもに泥岩・砂岩・石灰岩および少量のチャートからなり少量の玄武岩質火山岩をともなう.戸切地川周辺には,露出の幅が東西4kmにおよぶ巨大な岩体−上磯石灰岩体―がある(峩朗鉱山).

基盤岩の分布はほぼ南北に細長く分布しており,南北性の地質断層によって切られている.

戸切地川層

三谷ほか(1966)命名.戸切地川中流域を模式地とし,戸田川上流,峩朗鉱山付近,戸切地川上流の北側支流など分布は基盤岩周辺に限られている.層厚20〜250m.新第三紀中期中新世.新第三系の基底層をなす.おもに礫岩および粗粒〜中粒の砂岩から構成される.

戸田川層

三谷ほか(1965)命名.三谷ほか(1966)再定義.調査地域西側の戸田川流域を模式地とし,広く発達している.調査地域では,文月川・戸切地川・宗山川・流渓川の上流部に分布する.下位の戸切地川層とは整合である.層厚500m以上.新第三紀後期中新世.

いわゆる“硬質頁岩”からなるとされているが,珪質化はほとんどしていない.ほとんどが,板状層理が明瞭な硬質泥岩または細粒砂岩の級化層と葉理泥岩の硬軟互層で特徴づけられ,凝灰質砂岩や凝灰岩を挟む.硬軟互層または級化成層した砂岩はturbidity currentによって形成された細粒タービダイトの特徴と一致している.

戸田川層上部から鮮新世をしめす珪藻化石Denticula kamtchaticaが報告されている(押井・宇野,1971)ことから,本層は新第三紀後期中新世〜鮮新世を示すと考えられる.

 地質構造は,走向NE〜NWで,50〜60°程度の東傾斜が多い.文月川上流では90°に急立している.

茂辺地川層

茂辺地川および大釜谷川流域を模式地とする.層厚800m以上.調査地域の北側の文月川流域では,含礫粗粒砂岩から粗粒砂岩,細礫岩といった粗粒堆積体からなる.一方,調査地域の南側の富川流域付近では砂質シルト岩〜シルト岩といった細粒堆積体をなし,岩相変化が著しい.酸性凝灰岩を頻繁にはさむ.茂辺地川層基底から7.8Ma(F.T),上部凝灰岩からは3.8Ma(F.T)(鴈沢ほか,1988)と新第三紀後期中新世〜鮮新世を示すが,層序から大部分は鮮新世をしめすと考えられる.

文月川や宗山川の上流域では,茂辺地川層に接して流理構造が明瞭な流紋岩が分布する.三谷ほか(1966)では,流紋岩は戸田川層,茂辺地川層を貫く「貫入岩体」としており,茂辺地川層との関係を断層関係に描いている.茂辺地川層の礫岩の礫種に流紋岩礫が存在すること,同層において北から南まで広く酸性凝灰岩層が分布すること,流紋岩の一部はパーライト化していること(宗山川など)などからみて同層堆積時にも水中での酸性火成活動があったと思われる.また,文月川では,最上部には安山岩質火山角礫岩が発達する.この火山角礫相は(水中)土石流堆積物と考えられる.さらにこの岩相は北方に厚層化し峠下火山砕屑岩類へ移化する.

本層には変形構造が多数みられる.特に変形構造は北側ではおおく観察された.北方の文月川流域では,マッシブな砂岩に発達するweb structure(黒い網目状のすじ)や砂層のリストリックな回転構造のほか共役断層などの小断層が発達する.一方,南方の万太郎沢では変形構造はほとんどみられないが富川層基底付近の最上部にvein structureがみられるなど古地震動を示唆する変形がみられる.

地質構造は,NE〜NWのトレンドで40〜60°前後の傾斜を示すものが多いが,ところによっては,80°以上に急立する部分もある.

峠下火山砕屑岩類

三谷ほか(1966)命名.大野川北部から函館平野の北側の木地挽山周辺から北東の横津岳山麓地域におよぶ広大な範囲をしめて発達している.

おもに,変質した安山岩,火山角礫岩,凝灰角礫岩を主体とし,火山砕屑岩類をふくむ.安山岩の角礫は特徴的な黒色を呈する.大野川上流北岸の支流の小熊の沢では,酸化度の異なる岩片(赤,黄,黒色)のマトリックスと黒色安山岩の角礫からなる火山角礫岩や安山岩の同質岩片からなるクリンカーがみられる.安山岩溶岩などは仁山スキー場周辺でみられる.

以上の特徴は,同層の形成場が陸上火成活動であることを示唆し,前記の茂辺地川層との関係から茂辺地川層の陸成相と推定される.

地質構造を測定できる岩相がなく測れなかった.

富川層

金谷・須鎗(1951)命名.模式地は上磯町の富川海岸.模式地から大野町市街地西方にかけての平野西部の丘陵地に分布する.金谷・須鎗(1951)は長尾・佐々(1933)の瀬棚層に対比した.新第三系の茂辺地層(金谷・須鎗,1951)を不整合におおう.第四紀前期更新世.層厚400m以上.

富川層は,大きく礫岩主体の下部,細粒砂岩主体の中部,巨礫岩層からなる上部の3部層に分けられる.下部層は厚いフォアセット礫岩・砂岩層とインブリケーションの発達した礫層からなる.中部層は貝殻混じり不淘汰礫岩層,礫支持礫岩層(インブリケーションあり),平板〜くさび状斜交層理粗粒〜中粒砂岩・礫岩層,含礫砂岩層(生痕化石多い)など多様な岩相が繰り返し出現するサイクリックな地層である.宗山川など南部では細粒砂岩の量が増し,特にハンモック状斜交層理砂岩を含む.万太郎沢では大野川の中位にみられた貝殻混じり不淘汰礫岩層厚く発達し,平板〜トラフ型斜層理砂岩層(生物擾乱の激しい部分もある)に変わる.富川では,下位より巣穴生痕化石Rosseliaを多産する不淘汰砂岩層,平行葉理砂岩層が厚く発達し,上位では炭質物を含むラミナをはさむ細粒砂岩層にかわる.上部層は大礫〜巨礫層からなる.大礫〜巨礫層は,亜炭をともなうシルト層をはさむ.礫層中には,チャンネル構造やインブリケーションが発達する

なお,下〜中部の含礫砂層は貝Acila sp. Mizuhopecten yessoensis. Macoma sp.などの化石を含む.細礫から中礫混じりの淘汰不良砂岩中にはRosselia を多産する.

地質構造は,基本的にはNW〜NEのトレンドで東傾斜の同斜構造をとる.しかし,多くの地点で,活断層と関係が深いと思われる構造を確認した.大野変電所の裏の山中に向野産廃処理場では,地層が波長10mオーダで激しく褶曲し,ところによっては垂直に急立するのが観察される.大野川では,1C・1D断層(逆向き低断層崖)では緩傾斜となり,1E・1A−3断層で急傾斜となる.戸切地川では,1A−4・2A−1断層の間に背斜・向斜構造の繰り返しからなる500mオーダの波長の褶曲構造がみられ,活断層による短縮変形を示唆する.2A−1・2C−1断層(添山)周辺では地層に小断層が発達し,富川層の急立,上位を覆う礫層の撓曲,2A−1・2C−1の間に背斜構造がみられるなど逆断層を示唆する地質構造が多数観察される.万太郎沢では,本層がNNE方向に撓曲しているのが観察された.ただし,この撓曲地点は地形から得られるリニアメントよりもかなり西側になる.また,万太郎沢から富川付近にかけては茂辺地川層・富川層ともNWのトレンドで20〜40°東傾斜の同斜構造をしめし,2C−2断層に対応する西側への撓曲構造は見られない.しかし,リニアメントと地層境界が一致することや,茂辺地川層にくらべて富川層の方が軟弱な地層であるにもかかわらず富川層側の地形面が高いことなどを考えると,2C−2断層は不整合面上に一致している可能性が高い.

文月層

三谷ほか(1966)命名.模式地は大野町文月付近.大野町の大野川流域から西方丘陵地に分布.富川層を不整合におおうことから中期更新世.層厚約150m.

おもに未固結〜半固結の礫層・粘土層からなり,亜炭・火山灰層などをはさむ.粘土層は特徴的な淡青灰色を呈する.文月川流域では,1ユニットが下位からマッシブ礫層(インブリケーション発達)または斜交層理礫層,斜交葉理〜マッシブな砂層,植物根痕をふくむ砂質シルト層(亜炭層をはさむ)の上方細粒化シーケンスをしめす.砂岩では木片を多数混在した層相もみられる.このような堆積相は蛇行河川堆積物のセクションをしめすと考えられる.すなわち,インブリケーション発達したマッシブ礫層は,縦州堆積物に,斜交層理礫層は河道を充填したチャネル充填堆積物に,斜交葉理〜マッシブな砂層は突州堆積物に,亜炭層をはさみ植物根痕をふくむ砂質シルト層は氾濫原堆積物に対応すると考えられる.本層はこれらユニットの複合体からなる.

活断層に対応した活褶曲構造は,文月川で観察される.走向はNW〜NEで,背斜・向斜構造の繰り返しで,東または西に10〜30°程度傾斜する波長200〜300mの褶曲構造がみられる.各褶曲軸のトレンドは観音山の高まりの方向やその背後にみられる1C・1D断層の逆向き低断層の方向に一致する.また,八郎沼よりも背後は緩い波状構造がNEE系のトレンドが続き大野変電所付近では,東傾斜で西落ちの逆断層がある.これは80°近い東傾斜・東上位である.松前戸切地陣屋の東の1A−4断層の撓曲崖周辺では4〜7°東傾斜しており,撓曲の傾きに調和的である.