(2)試料分析結果

本調査地域には広くテフラ層が分布しているが、それらの多くは浅間山を供給源としている。浅間山を起源としているテフラは浅間B(As−B)、浅間C(As−C)、浅間板鼻黄色(As−YP)、浅間板鼻褐色(As−BP)だが、浅間B(As−B)、については1地点でのみ認められ、浅間C(As−C)については3地点でのみ認められた。また,浅間板鼻黄色(As−YP)、浅間板鼻褐色(As−BP)は共に広域的に分布するが、浅間板鼻黄色(As−YP)の層厚は数cmから十数cmに対して浅間板鼻褐色(As−BP)の層厚は1m以上に及ぶ場所がある。一方広域テフラは姶良カルデラ起源の姶良Tn(AT)火山灰が広く分布する。更に、広域テフラではないが御岳起源の御岳−奈川(On−Ng)テフラが発見された。このテフラは当地域では初産出であり極めて貴重なデーターである。

本調査地域に分布しているテフラの絶対年代は、町田・新井(1992)によると浅間B(As−B)1108年、浅間C(As−C)4世紀中頭、浅間板鼻黄色(As−YP)13−14ka、浅間板鼻褐色(As−BP)17−21Ka、姶良Tn(AT)25Ka、御岳−奈川(On−Ng)80Kaである。中でも矢場地区では姶良Tn(AT)、浅間板鼻褐色(As−BP)、浅間板鼻黄色(As−YP)テフラ、が広く追跡できるが、姶良Tn(AT)テフラ降下以降、つまり最終氷期以降の比較的新しい地層が、矢場地区のH8年度ボーリングBk−3では3.79m、Bk−4では4.46m、Bk−5では5.32m、Bk−6では3.94m、Bk−7では4.85m、OBk−6では2.02mと非常に厚く堆積している。一方、矢場地区以外のボーリング及びオーガーポイントでは一般に年代の指標となるテフラの分布が乏しく、ボーリングポイントで確認されたテフラ最下部の深度はそれぞれ、本郷地区Bk−1、Bk−2ではそれぞれ0.72m,1.14m、保美地区Bh−1、Bh−2ではそれぞれ1.18m,1.44m、西平井地区Bh−3、Bh−4、Bh−5、ではそれぞれ1.71m,2.42m,1.88m、多比良地区Bh−6、Bh−7、Bh−9ではそれぞれ1.88m,1.66m,1.71mである。更に矢場地区OBk−6以外のオーガーによるテフラ最下部の深度はOBh−1が1.64m、OBh−2が2.20m、OBh−3が2.33m、OBh−4が0.50m、OBh−6が0.20m、OBh−8が0.40m、OBh−9が0.55m、OBh−13が0.52mであり、かつOBk−1からOBk−5、OBh−5、7、10、11、12にはテフラ層が全く見られない。これらの地点では、テフラ層の直下に年代指標の含まない砂礫層が挟在することから、いずれの地点もテフラにより時間軸の入る地層の分布は0から2m程度である。しかも、西平井地区のBh−3、Bh−5、OBh−2、OBh−3を除き、時間軸となる複数のテフラ層が確認されるのは、保美地区のBh−2、多比良地区のBh−6のみである。

以上のテフラ分析の結果から判断できることは、矢場地区に関しては新しい地層が非常に厚く堆積し、しかも複数のテフラがはっきり確認できること、矢場地区以外の地区では新しい地層の分布が乏しく、しかもテフラの分布も悪いことである。しかし、西平井地区に限っては新しい地層が比較的厚く、複数のテフラ層が観察でき、しかも、OBh−2では本調査地唯一70−80kaに噴出された御岳起源のテフラ(御岳奈川;On−Ng)が確認された。したがって、テフラからは矢場地区、西平井地区がトレンチの適地であると判断できる。

以下に結果の一覧を示す。

表3−3−2−1

表3−3−2−2