4−3−4 成果

本年度調査を実施した3孔と平成12年度調査結果を合わせると、会津地震時に形成された湖成堆積物(縞状粘土層T)は、断層から西側に約350m、東側に約230mにわたり、ほぼ水平であることが確認された。

会津地震に関する歴史史料の調査結果、@塞き止め湖(山崎新湖)のできた主な理由は、大川への崖崩れと考えられること、A「山崎新湖」の水抜きの普請は、34年間継続的に行われたのではなく、大がかりな普請は、地震直後、地震から17年後及び同34年後の3回行われていること、B34年目の水抜きの普請により、新田が開かれたとの記述から、地震前にも山崎には湖〜湿地が存在し、前述の縞状粘土の基底面のゆるやかな傾斜は地震前の地形を反映している可能性があることが明らかとなった。

以上のことから、会津地震時(1611年)には、本断層帯の地表変位はなかった可能性が高い。

なお、縞状粘土層Tの勾配(0.9/600)と調査位置付近の大川の現河床勾配(1/533)とを考慮すると、縞状粘土層Tの基底は調査範囲において約2m西側が高いことから、会津地震時に幅600mにわたって撓曲変形が生じた可能性を否定できないとの見解も残された。