3−3−2 栃窪北ピット(TN−1,TN−2)調査結果

栃窪北の真野川左岸おいては,L1 面上にLB リニアメントが判読され,その南方延長部では,断層推定位置を横断してA1 面が分布している(図3−6)。このことから,同地点における表層堆積物の分布の確認及び断層の表層部における形態の確認を目的として,まず,ピットTN−1を掘削したが,断層の低下側における地層の分布状況を十分には観察ができなかったことから,さらに,同ピットの北側でピットTN−2を掘削した(図3−6)。ピットTN−1の調査結果を図3−7に,ピットTN−2の調査結果を図3−8に,また,両ピットの南北の法面をまとめて図3−9に示す。

ピットTN−1において,東西幅約1m間の礫に配列の乱れがみられ,礫層上面に鉛直約85cm〜約1.1mの東側が低い撓み状の変位が認められ(図3−7図3−9),ピットTN−2においては,礫層上面に鉛直約90cm〜約95cmの東側低下の断層変位が認められる(図3−8図3−9)。

両ピットにおいて,いずれも,礫層を覆う礫混じり褐色砂質シルト層は,層厚が断層の西側で厚く,礫層上面を埋めて堆積していることから,礫層堆積後の断層活動により礫層上面が変形し,その後に,礫混じり褐色砂質シルト層が礫層の上面を埋めて堆積した可能性が考えられる。このことから,礫層堆積後で礫混じり褐色砂質シルト層堆積前に断層活動があった可能性がある(図3−7図3−8図3−9)。しかし,この断層活動は,礫層とその上位の礫混じり褐色砂質シルト層との構造の差が明瞭なものではないことから,確実なものではなく,礫層上面の形態は,堆積構造である可能性もある。

ピットTN−2においては,黒色土壌「イ」以上の各層はいずれも東落ちの断層変位を受けていることが確認され,黒色土壌「イ」及びその上位の灰色礫質シルト層の鉛直変位量については,断層近傍における撓み状の低下量を含めると黒色土壌「イ」では約90cm〜約1.2m,灰色礫質シルト層では約70cm〜約75cmとなるが,灰色礫質シルト層の上位に分布する黒色土壌「ロ」の鉛直変位量は約40cmであり,灰色礫質シルト層以下の地層にみられる鉛直変位量に比べて明らかな不連続が認められる(図3−9)。このことから,灰色礫質シルト層と黒色土壌「ロ」との間に断層活動の可能性が考えられる。しかし,ピットTN−1においては,黒色土壌「ロ」と灰色礫質シルト層以下の地層とに顕著な構造的差異が認められないこと,黒色土壌「ロ」と灰色礫質シルト層との間に断層活動を直接反映した現象が認められないこと,黒色土壌「ロ」は断層の隆起側では一部で確認されたのみであり,同土壌の鉛直変位量は確実ではないことから,このイベントも確実なものとは言えない。

黒色土壌「ロ」については,ピットTN−2において,明らかな断層変位が確認され,黒色土壌「ロ」形成以降における断層活動があったことは確実である。

両ピットにおける14C年代測定結果によると,黒色土壌「イ」は8380±120y.B.P. 〜8150±120y.B.P. の値を,灰色礫質シルト層は7190±90y.B.P.の値を,黒色土壌「ロ」は3520±80y.B.P.〜2860±80y.B.P.の値を示す(図3−7図3−8)。

以上のように,栃窪北の本地点においては,@黒色土壌「ロ」形成以降すなわち約3000y.B.P.以降における断層活動が確認され,それ以前の断層活動として,A黒色土壌「ロ」と灰色礫質シルト層との間,すなわち約3000y.B.P.から約7200y.B.P.にかけての間における断層活動,B礫混じり褐色砂質シルト層堆積前で礫層堆積後すなわち約8300y.B.P.以前における断層活動の可能性が考えられる。

@の約3000y.B.P.以降における活動については,その年代から,前述の栃窪南のピットTS−1で確認された最新活動に対比される。それ以前のA及びBの断層活動については,上述のように,いずれも確実性に乏しい。