(2)完新世段丘の旧汀線分布調査

海水準に支配される海岸地形として、岩石海岸ではベンチ・ノッチなどが、砂浜海岸では旧汀線付近の微地形等があげられる(図2−2−1−2図2−2−1−3図2−2−1−4)。

越前岬から甲楽城間では、中位段丘群が、北部の越前岬付近ではM2面で90m前後に、M1面で110m前後に分布しており、南部の今泉付近でもM2面が58mに、M1面は96mに分布していることから、少なくとも中位段丘形成以降は隆起を続けてると考えられる。このように、継続的な隆起傾向にある海岸地帯では、過去の海水準が地形的に記録されていると考えてよい。

岩石海岸では、ベンチあるいはノッチが過去の海水準を示す。砂浜海岸では一般に過去の海水準を示す汀線付近の微地形は保存されにくいため、その認定は困難である。しかし海岸平野の標高は海水準に支配されているため、離水した段丘面は過去の海水準を示すと考えられる。

(a)調査方法

約6,000年前の高海水準期に形成された旧汀線を示すものとして、岩石海岸ではベンチ、ノッチの標高を、その他の海岸線は海成段丘の段丘面標高を測定した。計測には、携帯型気圧計を用いた。国土基本図(縮尺5千分の1)の地図上に示されている既知の気圧の高度を補正し、同時に気圧も読みとり、その後、計測点で高度と気圧を計測した。室内で、基準点と計測点の気圧差を補正して標高を求めた。

(b)計測結果

各海岸における調査結果を南から順に述べる。なお、現地で測定した標高、およびそれらの補正の結果は巻末に資料−1としてまとめた。

1)河野地区

現在の河野川は、人工改変により基盤岩の小山を横断して集落南部で海に流入しているが、以前は現在の国道305号の位置を北西に流れて、集落の北端で海に流入していた。したがって、河野の集落が形成されている平坦地は、主として河野川の氾濫原である。標高は2.3〜2.7mであり、現在の高潮位の標高とほぼ同じである。得られた標高は、6,000年前の高海水準期の汀線高度を表しているとはいえない。

集落の北部には、河野川の影響を受けない、沿岸流によって形成されたと思われる平坦面が離水した、海成段丘と思われる平坦地がみられる。この面の標高は3.9mである。海岸に沿って礫浜がみられる(巻末資料−1.図1表1)。

2)今泉地区

海岸に沿って延びる平坦地は、沿岸流によって形成された思われる平坦面が離水した、海成段丘と考えられる。今泉の集落の東部の大部分は、この平坦面上に形成されている。

海成段丘(L面)は上下の2段に分けることができ、下位のL2面の標高は4.3〜4.5m、上位のL1面は4.7〜5.3mで、L2面は海側に、L1面は山地側にみられる。L2面とL1面の両者の間には0.8m程度の差が認められた。

現在は人工改変により道路となり認められないが、集落の前面には礫浜が存在した(地元の人の話)。

今泉の集落の北部では小河川が海に流入しており、その河口部では、L2面より低い面がわずかではあるが認められる。その標高は3.1〜3.9mである(巻末資料−1.図2表2)。

3)甲楽城地区

海岸に沿って延びる平坦地は、沿岸流によって形成された思われる平坦面が離水した、海成段丘と考えられる。甲楽城の集落は、この平坦面上に形成されている。

海成段丘(L面)は海岸線に平行に上下2段に分けることができ、下位のL2面の標高は3.9〜4.0m、上位のL1面は6.2〜6.4mで、L2面は海側に、L1面は山地側にみられる。L2面とL1面の両者の間には2.2m程度の差が認められた。

現在は人工改変により船揚げ場となっているが、集落の前面には礫浜が存在した(地元の人の話)。その高潮位の標高は2.6m程度である(P8)。

したがって、L2面の標高は、現在の高潮位の標高と比べて有意に高い。

集落の北端には下長谷の洞窟がある。洞窟底はやや平坦な岩が2段になって露出している。下段の標高は2.1m(C11)、上段の標高は3.8m(C12)である。洞窟の形状は幅より上下方向に長い縦長で、上部ほど狭く、斜交する亀裂の下部が抜け落ちたようにみえる。ノッチがさらに進行した海食洞のようにはみえない(巻末資料−1.図3表3)。

4)糠(ヌカ)地区

集落は糠川の両岸に沿って発達する平坦面上に形成されている。平坦面は糠川に平行に上下2段に分けることができ、L2面は河川沿いに、L1面は山地側にみられる。下位のL2面の標高は河口部では2.8m、上流部では17.4mである。上位のL1面は3.9〜4.3mである。

いずれも河川に沿って上流に行くにしたがって高度を増すことから、得られた標高は、糠川による河成面の標高であり、6,000年前の高海水準期の汀線高度を表しているとはいえない。L2面の河口部の標高は、現在の高潮位の標高とほぼ同じである。

集落南東部の海岸線にそって一列に並ぶ家並は、山地の崖裾を切り開いて形成されており、沿岸流によって形成された平坦地とは異なるので、海成段丘のL面として認めなかった(巻末資料−1.図4表4)。

5)米ノ(コメノ)地区

集落は、海岸に沿って延びる平坦地と米ノ川沿いの平坦地とに形成されている。

前者の平坦地は、沿岸流によって形成された思われる平坦面が離水した、海成段丘(L面)と考えられる。海成段丘は海岸線に平行に上下2段に分けることができ、下位のL2面の標高は4.8〜5.5m、上位のL1面は6.4〜9.3mである。L2面は主として海側に、L1面は山地側にみられるが、米ノの集落の南部と西部では、L1面が海に面している。L2面とL1面が接するところでは、両者の間には1.5m以上の差が認められた。

現在は人工改変により道路となっているが、集落の前面には礫浜が存在したと考えられる。

一方、米ノ川の両岸に沿って発達する平坦面も、米ノ川に沿って3段に分けることができ、上位のものほど山地側に、L2面は河川沿いにみられる。下位のL2面の標高は5.9〜11.0m、上位のL1L面は15.5〜19.6m、L1H面は24.4〜31.2mで、いずれも河川に沿って上流に行くにしたがって高くなっている。したがって、これらは河成面といえる(巻末資料−1.図5表5

6)高佐(コウサ)および白浜地区

野島崎より北側の海岸に沿って延びる平坦地は、沿岸流によって形成された思われる平坦面が離水した、海成段丘と考えられる。高佐の集落は、この平坦面上に形成されている。

海成段丘(L面)は、上下2段に分けることができ、下位のL2面の標高は4.7〜5.4m、上位のL1面は6.0〜6.3mで、L2面は海側に、L1面は野島崎の付け根部分および山地側にみられる。L2面とL1面の両者の間には0.5m以上の差が認められた。

現在は人工改変により船揚げ場および道路となり認められないが、集落の前面には礫浜が存在したと思われる。

野島崎の南側にも、海岸線に平行にわずかな平坦地がみられ、その標高は5.4〜6.3mであることから(P11、P12)、L1面として区分した。その南側の図9中に城崎南小学校が載っている面は、標高が10m以上ある。

一方、白浜の集落の南半分が載る平坦地は、海岸に沿って延び、沿岸流によって形成された思われる平坦面が離水した、海成段丘と考えられる。

海成段丘(L面)は、上下2段に分けることができ、下位のL2面の標高は4.8〜4.9m、上位のL1面は5.8m程度で、両者の間には0.6m程度の差が認められた。集落の部分は主としてL1面からなる。現在も集落の前面には礫浜が存在しており、L2面の標高は、現在の高潮位の標高と比べて有意に高い。

集落の北半分および中程の山麓には、海成段丘面に比べて明らかに傾斜が急な緩傾斜面が認められ、崖錐堆積物によると考えられる(巻末資料−1.図6表6)。

7)茂原地区

茂原の集落の南半分が載る平坦地は、海岸に沿って延び、沿岸流によって形成された思われる平坦面が離水した、海成段丘と考えられる。

海成段丘(L面)は海岸線に平行に上下2段に分けることができ、下位のL2面の標高は4.0〜4.7m、上位のL1面は4.9〜5.5mで、L2面は海側に、L1面は山地側にみられる。L2面とL1面の両者の間には0.5m程度の差が認められた。

集落の北半分および山麓には、海成段丘面に比べて明らかに傾斜が急な緩傾斜面が認められ、崖錐堆積物によると考えられる(巻末資料−1.図7表7)。

8)厨(クリヤ)および道口地区

海岸に沿って延びる平坦地は、沿岸流によって形成された思われる平坦面が離水した、海成段丘と考えられる。厨および道口の集落は、この平坦面上に形成されている。

厨では、海成段丘(L面)は海岸線にほぼ平行に上下2段に分けることができ、下位のL2面の標高は3.8〜4.6m、上位のL1面は5.5〜6.3mで、L2面は海側に、L1面は山地側にみられる。L2面とL1面の両者の間には1.2〜2.4m程度の差が認められた。

現在でも集落の前面には礫浜が存在しているが、L2面の標高は、現在の高潮位の標高と比べて有意に高い。

集落の中程で鈴間川が、北端では別所川が海に流入しているが、鈴間川沿い、別所川沿いにも平坦地が認められる。鈴間川は、海成のL2面上に扇状地を形成しており、その扇端部の標高は5.8mである。鈴間川に沿って広がる平坦地は、上流に行くにしたがって高度を増しており、このことからこれらの平坦地は鈴間川による河成面と考えられる。また、別所川も海成のL2面上に扇状地を形成しており、その扇端部の標高は5.5mである。別所川に沿って広がる平坦地は、上流に行くにしたがって高度を増しており、このことからこれらの平坦地は別所川による河成面と考えられる。

道口では、海成段丘(L面)は海岸線にほぼ平行に上下2段に分けることができ、下位のL2面の標高は3.7〜5.2m、上位のL1面は5.2〜5.4mで、L2面は海側に広くみられ、L1面は山地の基部にわずかにみられる。L2面とL1面の両者の間には0.5〜0.9m程度の差が認められた。

現在でも集落の前面には礫浜が存在しているが、L2面の標高は、現在の高潮位の標高と比べて有意に高い(巻末資料−1.図8−1図8−2表8−1表8−2)。

9)大樟(オコノギ)

海岸に沿って延びる平坦地は、沿岸流によって形成された思われる平坦面が離水した、海成段丘と考えられる。大樟の集落は、この平坦面上に形成されている。

海成段丘(L面)は海岸線に平行に上下2段に分けることができ、下位のL2面の標高は4.5〜5.3m、上位のL1面は6.9〜7.3mで、L2面は海側に、L1面は山地側にみられる。L2面とL1面の両者の間には2.5m程度の差が認められた。

現在は人工改変により船揚げ場となっているが、集落の前面には礫浜が存在したと思われる。

集落の中央部で大樟川が海に流入しており、大樟川に沿っても平坦地が認められるその標高は、6.6〜16.9mと上流に行くにしたがって高度を増しており、このことからこれらの平坦地は大樟川による河成面と考えられる(巻末資料−1.図9表9)。

10)小樟(ココノギ)地区

海岸に沿って延びる平坦地は、沿岸流によって形成された思われる平坦面が離水した、海成段丘と考えられる。小樟の集落は、この平坦面上に形成されている。

海成段丘(L面)は海岸線に平行に上下2段に分けることができ、下位のL2面は3.5〜5.6mで、L2面は海側に、L1面は山地側にみられる。L2面は海に向かって緩斜面を形成している。

現在は人工改変により船揚げ場となっているが、集落の前面には礫浜が存在した(地元の人の話)。L2面の標高は、現在の高潮位の標高と比べて有意に高い。

集落北側の北側の黒崎では、巨大なノッチがみられる(P17)。ノッチ底の標高は14.4mである。また、黒崎の北側基部付近には洞窟がみられるが(P18)、内部はかなり埋まっており、洞窟の成因を検討することは出来なかった(巻末資料−1.図10表10)。

11)城ヶ谷、新保および宿地区

海岸に沿って延びる平坦地は、沿岸流によって形成された思われる平坦面が離水した、海成段丘と考えられる。城ヶ谷、新保および宿の集落は、この平坦面上に形成されている。

海成段丘(L面)は、海岸線にほぼ平行に広がっている下位のL2面と、山地の基部にわずかに分布する上位のL1面に区分できる。城ヶ谷ではL2面は4.3〜5.3m、新保および宿ではL2面は4.5〜5.7mである。L2面は海に向かって緩斜面を形成している。

現在は人工改変により船揚げ場および埋立地となっているが、集落の前面には礫浜が存在したと思われる。L2面の標高は、現在の高潮位の標高と比べて有意に高い(巻末資料−1.図11表11−1表11−2)。

12)梅浦

集落は梅浦川の両岸に沿って発達する平坦面上に形成されている。平坦面は梅浦川に沿って3段に分けることができ、上位のものほど上流側にみられる。下位のL2面の標高は海岸よりにみられ4.6〜10.4m、L1L面は8.9〜11.5m、上位のL1H面は11.8〜28mで、いずれも河川に沿って上流に行くにしたがって高度を増すことから、得られた標高は、梅浦川による河成面の標高であり、6,000年前の高海水準期の汀線高度を表しているとはいえない。L2面の河口部の標高は、現在の高潮位の標高よりも高い。

集落の東部と西部載っている平坦地は、海岸線に沿って延びており、梅浦川によって形成されたとは考えにくい。これらの面は、沿岸流によって形成された思われる平坦面が離水した、海成段丘と考えられる。その標高は、4.8〜7.2mであり、海成のL1面に相当すると思われる(巻末資料−1.図12表12)。

13)梅浦〜玉川

梅浦から玉川間は、岩石海岸(磯)であり、海岸沿いに平坦地はみられない。隆起傾向にある岩石海岸特有の地形(ベンチ、ノッチ等)が多数の地点で認められる。

ベンチおよび海岸線付近に点在する上面がベンチ状に平らな岩の標高は、4.8〜5.0mと概ね揃っている。ノッチの標高はあごの部分で測定したが、4.9〜7.0mであった。

また、穿孔貝の生痕もみられた(P20)。穿孔貝は海面付近から海面下かなりの深度まで生息し、種によってその範囲が異なるため、参考程度に測定した。

洞窟も4カ所で確認できたが(P21、P24、P28、P30)。P21地点の洞窟は、上部が崩壊して抜け落ちており、それらの落下物が底に堆積しており、正確な洞窟底はわからなかった。周囲の状況から見て、岩盤の裂果によって形成されたと考えられ、海食洞の可能性は薄い。P24地点の洞窟の形状は幅より上下方向に長い縦長で、上部ほど狭く、斜交する亀裂の下部が抜け落ちたようにみえる。ノッチがさらに進行した海食洞のようにはみえない。洞窟底には、細礫径の角礫が認められた。P28地点の洞窟は、山腹の崖がえぐられた様な形状である。洞窟底はコンクリートで埋められているため不明であるが、その形状から海食洞とは考えにくい。

P30地点の洞窟は、洞窟の奥を道路がトンネルで通っている大きな洞窟である。大きな洞窟の壁面が窪んで、さらに小さな洞窟状になっており、それらは上下2段みられた。P21、P24地点とは異なり、洞窟底は海に向かって緩傾斜しており、全体に丸みを帯びた形状である。海食洞と考えられる。洞窟底の最奥部での標高を測定した(巻末資料−1.図13表13)。

14)玉川

集落は玉川川の両岸に沿って発達する平坦面上に形成されている。平坦面は上下2段に分けることができ、L2面は下流の海岸沿いに、L1面は上流側にみられる。下位のL2面の標高は4.3〜5.3m、上位のL1面は7.4〜19.1mである。

いずれも河川に沿って上流に行くにしたがって高度を増すことから、得られた標高は、玉川川による河成面の標高であり、6,000年前の高海水準期の汀線高度を表しているとはいえない。現在は人工改変により船揚げ場となっているが、集落の前面には礫浜が存在した(地元の人の話)。(巻末資料−1.図14表14)。

15)玉川〜越前岬〜左右(ソウ)地区

玉川から越前岬を経て左右間は、岩石海岸(磯)であり、海岸沿いに平坦地はみられない。隆起傾向にある岩石海岸特有の地形(ベンチ、ノッチ等)が多数の地点で認められる。

ベンチおよび海岸線付近に点在する上面がベンチ状に平らな岩は、上下2段みられ、下位のものの標高は3.1〜5.2m、上位のものは10mである。ノッチも同様に上下2段みられ、標高はあごの部分で測定したが、下位のものの標高は5.3〜5.8m、上位のものは10〜12mであった。

また、欧穴(ポットホール)もみられた。ポットホールは海面付近から海面下かなりの深度まで形成されるが、いずれにせよ過去には海面下であったのが確実なため、海岸が隆起している証拠となる(巻末資料−1.図15表15)。

16)左右(ソウ)地区

海岸沿いにわずかに広がる平坦地は、沿岸流によって形成された思われる平坦面が離水した、海成段丘と考えられる。左右の集落は、この平坦面上に形成されている。

海成段丘(L面)は、海岸線にほぼ平行に広がっている下位のL2面と、山地の基部にわずかに分布する上位のL1面に区分できる。L2面は4.4〜5.4mである。

現在は人工改変により船揚げ場および埋立地となっているが、集落の前面には礫浜が存在したと思われる。L2面の標高は、現在の高潮位の標高と比べて有意に高い(巻末資料−1.図16表16

(c)結果(図2−2−1−5

越前岬から河野までの海岸は、その形態により次の3種類に分けられる。

1.海岸に沿って平坦地がある海岸(その前面は礫浜になっていることが多く、仮に礫浜とする.)

2.ベンチ・ノッチが発達する岩石海岸

3.平坦地もベンチ・ノッチもみられない海岸(人工改変により観察できない岩石海岸を含む.米ノ浦〜糠間)

(イ)礫浜

本海岸は、河野〜糠までと、米ノ〜梅浦、左右でみられるが、このうち海成段丘と認められた平坦地は今泉、甲楽城、米ノ、高佐、白浜、茂原、厨、道口、大樟、小樟、城ヶ谷、新保・宿、左右の14地域である。その他の5地域(河野、糠、米ノ、梅浦、玉川)の平坦地は河川によって形成された河成面である。

礫浜での海成段丘は、面の標高によりL2面とL1面に分類できた。一般に、L2面は海側に、L1面は山地側に分布している。L2面は3.7〜5.7m間に、L1面は4.7〜9.3m間に分布しており、両者の間には0.5〜2.4m程度の段差が認められた。

L2面、L1面ともに海に向かって緩やかに傾斜しているが、各面の傾斜および同一面内の高度差は、各地域ごとにかなり異なる。そのため、中位段丘面高度(特にM2面)でみられたような北部と南部での有為な高度差は認められず、むしろ各地域ごとの差のほうがL2面、L1面ともに大であった。

L2面、L1面のどちらが6,000年前の高海水準期に形成されたものであるかは、年代測定試料を得ていないので、結論できない。L2面のほうが面の拡がり、保存状態がよいようである。また、L2面、L1面の違いが、隆起時期の異なる2面を表しているのかは疑問が残る。例えば、L1面は、L2面上に背後の崖より供給された崖錐崩落土などを人工的に平坦地化した可能性も考えられる。各面の形成年代を何らかの方法で得る必要がある。

(ロ)岩石海岸

岩石海岸は、越前岬〜梅浦間で典型的に見られ、連続的にベンチやノッチが分布する。ベンチの高さは、3〜5mと10m程度のものに2分され、ノッチのあごの高さも5〜7mと10〜12mに2分される。ベンチの低位のものとノッチの低位のものがセットと考えられる。同様に高位どうしがセットと考えられる。また、現在の汀線付近には、新たなノッチが形成され始めている。

このようなベンチとノッチは、梅浦以南ではほとんど認められなかった。しかし、城ヶ谷・小樟間の黒崎では巨大なノッチが認められ、その高度は14.4mと非常に高い。