(2)本調査結果

平成9年度に実施された「中央構造線断層帯(愛媛北西部)に関する調査成果報告書」(愛媛県,平成10年度3月)では,川上断層と伊予断層との連続性について,空中写真判読調査から,次のように報告している。

『@川内町北方から松山市高井町にかけて,重信川の沖積面にリニアメントが分布する。

AこれらのリニアメントはENE−WSWの方向で,川上および北方断層と同系列の活断層によって形成されたと推定される。

B松山市高井町から伊予市八倉にかけての重信川の旧河道には,リニアメントは判読できない。

Cこれらのリニアメントは,伊予市八倉付近の横“し”の字型に湾曲するリニアメントに連続する可能性が高い。

D伊予市八倉付近の横“し”の字に湾曲するリニアメントは,NE−SW方向の伊予断層の延長ではなく,川上,北方断層群の西側末端(圧縮性バリア)に相当する可能性がある。

Eこの場合,伊予断層と川上断層のセグメント境界は伊予市八倉付近に当たり,伊予断層の陸上延長は約12kmとなる。』

このうち,松山市高井町から重信町西田にかけてのリニアメントは,愛媛県(1998)では高井断層と仮称していたが,後藤ほか(1998),国土地理院(1998)によって重信断層と命名されている(図4−3−6)。

重信断層と伊予断層との境界部周辺に広がる,重信川によって形成された沖積平野には約3.5kmにわたってリニアメントが判読できない。

そこで,重信断層の西方延長について既存のボーリング調査資料によって検討した。検討に使用したボーリング調査資料は,日本道路公団松山自動車道,建設省国道32号線重信大橋の調査ボーリング資料である(図4−3−7)。

松山自動車道のボーリング調査資料によれば,B2−68とB2−68−2の間において,地表付近の粘性土の基底に約1.5m北西上がり(下流上がり)の高度差が認められる(図4−3−8)。これは,高井西トレンチによって確認された断層の西方延長部に当たり,地表付近の地質および断層による変位状況も極めて類似している。したがって,このボーリング間に,重信断層の西方延長が通過する可能性が高い。これ以外のボーリング資料からは,断層の存在を示すような地質構造は確認できない。

一方,重信川大橋による深度12〜20mのボーリング資料によると,断層の南側と推定される58−1〜58−10はすべて重信川の旧河床砂礫から構成されている。一方,断層の北側と推定される57−2は地表下2mまでシルト質粘土が分布する。すなわち,57−2と58−1との間で表層地質が異なる(図4−3−9)。

重信断層の西方延長は57−2と58−1ボーリング間を通ると予想されるので,表層地質の違いは,この間に活断層が通る可能性も考えられるが,57−2が後背湿地,58−1〜10が河床という堆積環境の違いを示す可能性もある。したがって,断定はできないものの,重信断層は57−2と58−1との間を通過する可能性があると判断される。

以上のボーリング調査資料による表層地質の検討から,重信断層は,高井西トレンチ地点から,N80°Eの走向で西方へ約1km追跡できる。また本断層は,さらに西方延長の伊予市八倉におけるN75°Eの走向で北側低下を示す低断層崖の可能性があるリニアメントに連続するように見える。そのリニアメントは,横“し”の字の分布形態を示すことから,右横ずれ断層である重信断層の末端隆起部である可能性が高い。また,八倉層が標高300m近くの高度まで分布することも,右横ずれ断層による末端隆起で説明できる(図4−3−7)。

一方,右横ずれ変位地形の卓越する伊予断層の東方延長部は,伊予市上野から田浦にかけて,数条に分岐し,八倉層分布域で追跡できなくなる。八倉における横“し”の字のリニアメントは伊予断層から北側へ約1km離れて分布するため,伊予断層とは連続しない。

以上の分布形態および隆起沈降形態から重信断層の西端は伊予市宮下付近にあり,伊予断層には直接連続しないと判断される。したがって,重信断層と伊予断層とのセグメント境界を伊予市宮下付近に設定する(図4−3−7)。

図4−3−7 重信断層と伊予断層との連続性

図4−3−8 道路公団のボーリング資料による重信断層の位置

図4−3−9 建設省のボーリング資料による検討