(7)トレンチ調査

B測線のトレンチをTr−1、A測線のトレンチをTr−2とした。

(1) トレンチTr−2

トレンチTr−2の平面図及び法面スケッチ展開図を付図20−1・付図20−2に、トレンチのり面解釈図を図2−3−27及び付図20−3に、トレンチ法面写真を図2−3−28及び付図20−4に示す。

Tr−2は予備調査の結果から腐植土の下のTm面段丘堆積物であると考えられる締まったシルト及び軽石混じり砂が上流側に向かってたわんでいる地点を中心にして幅12m、長さ22m、深さ4m、のり面勾配45゚で掘削し、深さ2mで小段をつけた。

トレンチの中央から北半分は、段丘堆積物を削りこんだ谷を埋める軟弱な腐植土が分布する。この腐植土は微地形区分でPW面とした面を形成している最も新しい堆積物であり、ボーリング調査ではB7からB10の深度2〜3m以浅にある。溝掘りの調査と同様未炭化の葦を大量に含み、厚さ数cmの中〜粗粒砂を挟在する。著しく軟弱である。

谷を形成している段丘堆積物はトレンチの南半分に分布する。下位から青灰白色の粘土、木片や炭質物を多量に含む腐植土、軽石混じりの中〜粗粒砂、腐植土や炭化木を含む砂質シルト、白色〜黄白色の粘土・ロームである。軽石混じり砂は火山灰分析の結果、十和田−大不動テフラ(To−Of;3万3千年前(町田・新井、1992))を含んでいる可能性が高い。この軽石混じりと炭化木を含むシルトの境界付近の砂から採取した炭化木の14C法年代測定では32,320±430y.B.P.という年代が得られている。また、下部の腐植土から直径30cmほどの埋木を産出した。この材化石は組織がほぼ完全に残っており、未炭化である。14C法年代測定の結果ではこの材化石から32,340±430y.B.P.という年代が得られている。従ってこの堆積物の生成年代を考えると、段丘堆積物ではWfb面堆積物にあたる。

トレンチを掘削した範囲では段丘堆積物及び谷を埋めた腐植土のいずれにも断層活動による変形は認められなかった。溝堀りで認められた段丘堆積物のたわみは谷を形成していた沢が河岸の下方を侵食したことによる「垂れ下がり」である可能性が高い。このトレンチは断層の通過位置からはずれたのか、あるいは断層活動による変形がこの堆積物の時代まで及んでいないのかを調べるために、前述のボーリングB12及びB13を実施した。B12は地表の崖地形の延長にかなり近い地点で実施した。その結果、トレンチ及び予備調査のボーリングと比較して、下部の腐植土層などに高さのくい違いは認められず、少なくともトレンチに現れている段丘堆積物の時代以降は断層による活動がないと考えられる。また、B13は逆向き低断層崖と考えられる地形の高まりに非常に近いところで実施したが、B7からB10と同じ、埋積谷の堆積物を掘削した形となった。

(2) トレンチTr−1

トレンチTr−1の平面図及び法面スケッチ展開図を付図19−1・付図19−2に、トレンチ法面解釈図を図2−3−29及び付図19−3に、トレンチ法面写真を図2−3−30及び付図19−4に示す。

Trー1は予備調査の結果から砂礫層中の腐植土を追跡するようにして幅5m、長さ42m、深さ3m、のり面勾配60゚で掘削し、途中から長さ6mの枝溝を本溝に直交する方向に掘削した。

トレンチののり面にはB1〜B6、A6〜A8およびB3−4でも見られた砂礫が広く分布している。その中に腐植土混じりの軟弱な粘土やシルトをレンズ状又はブロック状に所々挟在している。地表付近には斜交層理の発達した中粒砂層、または比較的締まった粘土・シルト質粘土が一部砂礫を覆っている。底盤には部分的によく締まって硬いシルト岩が分布するが、分布状況は不明である。

砂礫層は礫含有量が高く(60%近い)インブリケーションの顕著な河川性の堆積物で未固結である。トレンチでは上位の基質が砂質なものと下位のシルト質なものに分けられるが境界は不明瞭である。部分的には砂層を挟在する。礫は数cmから30cm程度のものがほとんどで、巨礫は少ない。円磨度は比較的良好でほとんどが亜円〜円礫である。礫質は安山岩がほとんどである。基質の砂は粒度が粗いが、淘汰は普通である。しばしば埋木を含み、多くのものは芯まで炭化しているが、表面など部分的な炭化をしているものもある。これらは木の根の部分であったり保存の良いこともあるが多くは短く折れているかまたは縦方向に破片状に割れている。また、クルミの殻も数個産出した。

この砂礫に挟在される腐植土混じりシルト・粘土は、前述のようにレンズ状又はブロック状に分布している。このシルト・粘土の分布する層準は、トレンチの真ん中から下側のややシルト質な砂礫層にほぼ限られている。シルト・粘土は非常に軟弱であり、水のしみ出しで一部崩れてしまう。腐植土を縞状または斑状に含み、しばしば砂の薄層を挟在したり層理が見られるがこれらは必ずしも水平ではなく、むしろ上流側へ向かって緩く傾斜しているものが多い。

当初の溝掘り時に深さ3.2mの底盤付近に硬く締まったシルトが認められた。上位の砂礫あるいは腐植土に比べて明らかに硬く、砂礫よりもかなり古い地質である可能性がある。上面には緩やかな凹凸があり、トレンチの枝溝付近から下流側へ十数m連続した。枝溝付近から上流側に唐突に無くなってしまうため枝溝を掘って追跡したが、付近に炭化した木の根があり、シルトの縁の走向と礫のインブリケーションから見たシルト付近の砂礫堆積時の古流向がほぼ同じ方向であるため、河食によるチャネルであると思われる。

トレンチ内に現れているのが砂礫であるために断層の変位は著しくわかりにくいが、挟在するシルト・粘土層や砂層から見ても断層もしくは変形は認められない。

トレンチは、断層の通過する範囲及び遷急線も含めて想定される断層の走向に直交する方向に41mにわたって掘削しているが断層による変形を認めることができなかった。このことは、Tr−1を掘削した段丘面がWfbであることから、Tr−2の十和田−大不動テフラ(To−Of)を含む、Wfb段丘堆積物相当層が変形していないことと対応する。しかし、ボーリングB3−4孔には農耕土の下に腐植土が分布しているため、トレンチとB3−4孔の間で腐植土の末端から断層活動のイベントを認定できる可能性がある。このことからボーリングB1孔とB3−4孔の間で図2−3−31に示すように10m間隔でオーガーボーリングを実施し、腐植土の分布範囲を調べ、断層活動によって生じた沼沢地の存在の可能性があるのかどうか調査することにした。また、Tr−1の一番上流側でシルト質の粘土が上流に向かって撓んでいるように見えることから、この粘土が上流側に分布している範囲も合わせて調べることとした。

オーガーボーリングの結果、O−@ABFGの5箇所で厚さ40cm〜1mの腐植土を確認した。O−Cでは農耕土の下がすぐに砂礫になるため、20cm以上掘削できなかった。同様にしてO−DEにも腐植土は認められなかった。O−@AFの14C法年代測定の結果ではそれぞれ2,270±50y.B.P.、6,010±50y.B.P.、4,140±50y.B.P.という年代が得られている。