(3)撓曲

調査地域の地質構造を大きく支配している背斜構造(後述)の東翼部には、中新統・鮮新統を急傾斜に変形させる撓曲構造が認められる。撓曲構造は、下位より中新統留崎層、舌崎層、久保層及び鮮新統斗川層を変形させ、前述の名久井岳東麓の断層(折爪断層相当)の北方延長にあって、背斜軸にほぼ平行するNNW−SSE方向で、幅750〜500mの撓曲帯を形成している。

撓曲帯は、馬淵川以北で明瞭で、南部町諏訪ノ平・相内から北北西へ延び、高山(標高277m)東方でやや北へ向きを変え、浅水川中流の五戸町浅水を経て五戸川中流中市付近まで追跡される。撓曲帯の層理面の傾斜は、諏訪ノ平・相内付近で70゚前後、高山東方で50゚前後、浅水付近で40゚前後、五戸川中流の倉石村中市付近では35゚前後と、北に向かって徐々に小さくなり、五戸川以北の後藤川流域では、全般に10゚前後の極めて緩い傾斜を示し、撓曲帯は認められない。したがって、撓曲構造は五戸川北岸(中市)以北で消滅しているものと考えられる。

一方、馬淵川以南については露頭が断片的で全容がはっきりしないが、馬淵川南岸の名川町上川原で60゚の傾斜を示す留崎層目時貝殻質砂岩部層が確認されていることから、撓曲帯は馬淵川より南方へも延びていることは確かである。これより南、名川町南部の官代南西までの間は、露頭が非常に乏しく、明瞭な撓曲構造を示すデータは得られていない。ただ、水上西方の末ノ松山層名久井岳安山岩部層の中で、65゚の傾斜を示すデータが得られているが、撓曲帯がここへ連続するかどうかは断定できない。

官代南西の露頭においては、末ノ松山層の名久井岳安山岩部層と高屋敷粗粒砂岩部層の境界付近が、西へ80゚急傾斜逆転し、層理面に沿ってすべり断層が観察される。この逆転現象は境界部のみで、東側ではすぐ正常に戻り50゚前後の傾斜となるが、境界部の逆転現象は石和西方でも認められる。撓曲帯の幅は馬淵川以北に比べて非常に狭く、確認される限りにおいては100〜200m程度と見積もられる。

さらに南の石和南南西や岩手県境付近でも、高屋敷粗粒砂岩部層の急傾斜や逆転(西傾斜)が認められ、その西縁で断層が推定されている(前述)。

このように、撓曲帯は名久井岳東麓南部の推定断層(折爪断層)の北方延長線上にあって、同断層と同様の相対的に西側隆起の変形形態を示すことから、同断層の一連の活動(相対的に西側隆起)により形成されたと考えられる。