(2)地質各論

a.四ツ沢層

本層は、北村ほか(1972)による四沢凝灰岩類にほぼ相当する。模式地は、上北郡七戸町作田川支流四ツ沢一帯であり、既存ボーリング資料によれば調査地域でも入内川(断層)東側の火山山麓中腹流域の地下深部に伏在している。文献によれば本層は主に流紋岩質凝灰岩と硬質頁岩からなり、安山岩及び同質凝灰岩、玄武岩、流紋岩等を伴う。構造の詳細は不明であるが、北村編(1986)によれば緩くうねりながらも全体としては西へ傾斜しているものと考えられている。層位関係は、調査地域に分布する最下位の地層で、上位を和田川層に整合に覆われる。

本層からは金属鉱物探鉱促進事業団(1972、1976)により浮遊性有孔虫Globoquadrina dehiscens、Globorotalia praescitula、Orbulina suturalis、  Praeorbulina glomerosa等が報告されている。この化石群集はKennett and Srinivasan(1983)によれば Orbulina suturalisがBlow(1969)のN9帯以降、Praeorbulina glomerosaがN8〜N9帯とされていることからN9帯を指示している。したがって、本層の年代は中期中新世の15Ma前後と考えられる。

b.和田川層

本層は岩井・鈴木(1957)により定義されたもので、飯塚(1930)の馬ノ神山層にほぼ相当する。模式地は七戸町和田川沿岸であり、調査地域では入内川(断層)西側の青森空港より南の浪岡川上流から入内集落西方にかけて分布するほか、既存ボーリング資料によれば、入内川(断層)東側の火山山麓から平野地下深部に伏在している。本層は玄武岩溶岩及び同質角礫岩、軽石凝灰岩〜凝灰岩及び頁岩〜シルト岩からなる。なお、時代未詳であるが、少なくとも和田川層を貫く角閃石安山岩の岩脈が、浪岡川の上流に局所的に分布している。構造の詳細は不明であるが、入内断層の西側では玄武岩溶岩・同質角礫岩を取り巻くように泥質岩や凝灰岩類が分布し、NE−SW方向の断層に切られている。一方、北村編(1986)によれば入内断層の東側では緩やかにうねりながらも全体としては西へ傾斜しているものと考えられている。層位関係は、下位の四ツ沢層を整合に覆い、上位を尾開山凝灰岩層に不整合に覆われる。

本層の時代は、石灰質ナノ化石によりOkada and Bukry(1980)のCN5帯に相当するとされる(岡田、1988)ことから、中期中新世の14〜11Ma頃と考えられる。

c.尾開山凝灰岩層

本層は村岡・長谷(1990)により定義されたもので、岩井(1965)の竹館層と小高ほか(1969)の大落前川層とを合わせたものにほぼ相当する。模式地は大鰐町尾開山周辺であり、調査地域では浪岡川上流に小規模な分布が見られる。また、本層はボーリング資料によれば、"大落前川層"の名称で入内川(断層)東側の火山山麓地域の地下深部にも伏在しているとされている。本層は主に黒雲母流紋岩質軽石凝灰岩からなる。粗粒の両錐形石英を含み、層理が明瞭である。層厚は600m以上である。シルト岩ブロックを含む乱堆積層が発達し、局所的に中〜巨礫を含む凝灰質礫岩を挟在する(凝灰質礫岩を入内礫岩部層と仮称する)。露出が断片的で構造は良く分からないが、NNE−SSWないしNE−SWの走向で、東ないし南東へ30゚〜35゚の傾斜を示す。

層位関係は下位の中新統和田川層を不整合に覆い、上位の更新統八甲田第2期火砕流堆積物に不整合に覆われる。

本層の時代は、溶結凝灰岩のK−Ar年代が3.5Ma前後を示すことから鮮新世であることは確かであり、また、逆帯磁していることからギルバート逆磁極期後期(3.80〜3.40Ma)とするのが妥当であろうとされている(村岡・長谷、1990)。

d.遠部層

本層は井上ほか(1960)により命名され、小高ほか(1969)によって再定義されたもので、村岡ほか(1990)の虹貝凝灰岩層に相当する。模式地は碇ヶ関村遠部沢であり、ボーリング資料によれば入内川(断層)東側の火山山麓地域の地下深部にも伏在している。文献によれば本層は主に塊状無層理の流紋岩質火砕岩からなる。本層の構造の詳細は不明であるが、既存ボーリング資料から入内断層の東側で緩やかな向斜構造をなしていると考えられる。層位関係は、下位の尾開山凝灰岩層(大落前川層)を一部整合・一部不整合で覆い、上位を鮮新統大釈迦層に不整合に覆われる。

本層の時代は、新エネルギー産業開発機構(1985)により K−Ar年代2.4±0.8Ma及び3.0±0.5Maが報告されており、鮮新世に属する。

e.大釈迦層

本層はNomura・Hatai(1935 )により命名されたものである。模式地は浪岡町大釈迦トンネル付近であり、調査地域では入内川(断層)西側の丘陵に分布しており、ボーリング資料によれば、入内川(断層)東側の火山山麓から平野の地下深部にも伏在している。

本層は主に砂岩からなり、礫岩・礫質砂岩・凝灰質砂岩・シルト岩などを挟在する。本層の構造の詳細は不明であるが、既存ボーリング資料から東西方向では全体的に西へ傾斜し、入内断層の東側で緩やかな向斜構造をなす。南北方向では北へ緩やかに傾斜している。層位関係は下位の中新統遠部層を不整合に覆い、上位を更新統八甲田第1期火砕流堆積物に不整合に覆われる。

本層の時代は、本層から産出する浮遊性有孔虫が米谷(1978)のGlobigerina pachyderma(Neogloboquadrina pachyderma)(sin.)/Globigerina in−compta(Neogloboquadrina incompta)帯〜Globigerina pachyderma(Neogloboqua−drina pachyderma)(sin.)/Globigerina quinqueloba帯に属している(亀丸・根本、1991、根本・千田、1994)ことから前期更新世に属すると考えられる。

f.八甲田第1期火砕流堆積物(鶴ヶ坂凝灰岩部層)

本層は村岡・長谷(1990)により再定義されたもので、飯塚(1930)の鶴ヶ坂層、藤井(1966、1981)及び三村(1979)の鶴ヶ坂凝灰岩部層などに相当する。模式地は十和田町黄瀬川中流域であり、調査地域では入内川(断層)西側の青森市の三内丸山遺跡付近から細越西方を経て、青森空港付近まで断続的に分布するほか、ボーリング資料によれば入内川(断層)東側の火山山麓から平野の地下深部にも伏在している。本層は角閃石普通輝石紫蘇輝石デイサイト質軽石凝灰岩主体の地層であり、しばしば極端に伸長した軽石を含む溶結凝灰岩として観察され、径1〜数mmの両錐形の石英を多量に含み、安山岩・玄武岩・スコリアなどの岩片も目立つ。層位関係は鮮新統大釈迦層を不整合に覆い、上位を岡町層に不整合に覆われる。

本層は村岡・長谷(1990)により再定義されたもので、飯塚(1930)の鶴ヶ坂層、藤井(1966、1981)及び三村(1979)の鶴ヶ坂凝灰岩部層などに相当する。模式地は十和田町黄瀬川中流域であり、調査地域では入内川(断層)西側の青森市の三内丸山遺跡付近から細越西方を経て、青森空港付近まで断続的に分布するほか、ボーリング資料によれば入内川(断層)東側の火山山麓から平野の地下深部にも伏在している。本層は角閃石普通輝石紫蘇輝石デイサイト質軽石凝灰岩主体の地層であり、しばしば極端に伸長した軽石を含む溶結凝灰岩として観察され、径1〜数mmの両錐形の石英を多量に含み、安山岩・玄武岩・スコリアなどの岩片も目立つ。層位関係は鮮新統大釈迦層を不整合に覆い、上位を岡町層に不整合に覆われる

本層の時代は、K−Ar年代そのほかの資料から0.65Ma(村岡・高倉、1988;MURAOKA、1989;村岡・長谷、1990)とされている。また、隣接する津軽山地西縁断層帯の調査結果(青森県、1996)ではフィッショントラック年代から60〜70万年前としている。

g.岡町層

本層は加藤ほか(1958)により命名されたものである。模式地は青森市岡町付近であり、調査地域では入内川(断層)西側の丘陵地域の細越・浅田西方に局所的に分布が確認できるほか、既存ボーリング資料によれば入内川(断層)東側の火山山麓から平野の地下にも伏在している。本層は凝灰質の基質をもつ礫・砂・シルト・粘土・火山灰から構成され、新鮮部では固結度は比較的高い。礫層は側方連続性に乏しい。層位関係は下位の八甲田第1期火砕流堆積物を不整合で覆い、上位を八甲田第2期火砕流堆積物に不整合に覆われる。

本層は加藤ほか(1958)により命名されたものである。模式地は青森市岡町付近であり、調査地域では入内川(断層)西側の丘陵地域の細越・浅田西方に局所的に分布が確認できるほか、既存ボーリング資料によれば入内川(断層)東側の火山山麓から平野の地下にも伏在している。本層は凝灰質の基質をもつ礫・砂・シルト・粘土・火山灰から構成され、新鮮部では固結度は比較的高い。礫層は側方連続性に乏しい。層位関係は下位の八甲田第1期火砕流堆積物を不整合で覆い、上位を八甲田第2期火砕流堆積物に不整合に覆われる

本層の時代を示す積極的な資料は得られていないが、八甲田第1期火砕流堆積物及び八甲田第2期火砕流堆積物との関係から、更新世中期の堆積物と考えられる。

h.八甲田第2期火砕流堆積物

本層は村岡・長谷(1990)により再定義されたもので、従来の八甲田溶結凝灰岩にほぼ相当する。模式地は青森市荒川沿いの居繰りの滝付近であり、調査地域では三内丸山遺跡西方から入内川(断層)西側の青森空港北側の丘陵にかけて広く分布するほか、入内川(断層)東側の火山山麓を形成して厚く分布し、既存ボーリング資料によれば平野の地下にも伏在している。本層は第1期火砕流堆積物と同様の角閃石普通輝石紫蘇輝石デイサイト質軽石凝灰岩を主体とするが、塊状で灰色を呈する。しばしば弱溶結しているが、軽石の極端な伸長は認められず、含有量も少ない。層位関係は下位の岡町層を不整合に覆い、上位を段丘堆積物に不整合に覆われる。

本層の時代は、K−Ar年代そのほかの資料から、0.40Maとされている(MURAOKA、1989;村岡・長谷、1990)。また、隣接する津軽山地西縁断層帯の調査結果(青森県、1996)ではフィッショントラック年代から約25万年前としている。 

i.段丘堆積物

調査地域内において段丘面は少なくとも5段に区分できる。入内川の西側地域に高位面、Uf面、Vm面及びWf面が分布し、東側の火山山麓の北裾に完新段丘Xf面が分布する。

高位段丘(Th)は比高 100〜130mで、入内川(断層)西側の青森空港付近の平坦面を形成し比較的広く分布している。堆積物は円礫・砂・火山灰質シルトと厚い火山灰からなる。円礫はときに径50cmに達するものがある。Uf面堆積物は丘陵北縁から西縁に島状に点在し、北縁において分布がやや広くなる。円礫を主体とする砂礫層からなり、上面を火山灰が覆う。Vm面堆積物は標高35〜20mに分布し、主に砂・シルト層からなり、火山灰が覆っている。Wf面堆積物は主に入内川左岸に沿って狭長に分布する扇状地性の堆積物である。Xf面堆積物は八甲田火山山麓を深く刻む堤川(荒川)、合子沢、横内川等により形成された完新世の扇状地性堆積物で、主に八甲田火山噴出物起源の安山岩や軽石の砂・礫からなる。

これらの段丘堆積物の層相は、露頭がほとんどなく、その一部を観察できたにすぎず、形成年代を推定あるいは決定するのに重要なToya等のテフラのデータが得られていない。今後の調査課題である。 

j.十和田カルデラ軽石流堆積物

本層は中川ほか(1972)やHAYAKAWA(1985)の八戸軽石流堆積物あるいは大浮動軽石流堆積物に相当し、調査地域では青森空港周辺に小規模に分布する。本層は角閃石普通輝石紫蘇輝石デイサイト質の軽石流で、層厚は一般に20m以下である。

本層の時代は八戸軽石流堆積物が12〜13Ka、大不動軽石流堆積物が33Kaとされている(町田・新井、1992)。

k.扇状地堆積物

八甲田火山山麓の堤川(荒川)、合子沢、横内川等の河川の青森平野への出口付近に分布する。礫・砂・シルトからなる。Xf面堆積物や自然堤防との境界は必ずしも明瞭ではない。

l.氾濫原堆積物・自然堤防堆積物

本堆積物は平野に広く分布する。旧河道や自然堤防など平野を構成する微地形を形成しており、礫・砂・シルト・粘土からなる。

m.地すべり堆積物及び崖錐堆積物

岩盤すべりの可能性が高い大きな地すべりブロックが王余魚沢上流の和田川層分布域(幅800m、長さ400m)に認められる。地すべり及び崩壊を起源とする崖錐状一部扇状地状の堆積物が西側丘陵部から東側低地への斜面や沢の出口付近に分布し、全体として南北に連なる。角礫・砂・シルト・粘土から構成される。

n.現河床堆積物

現河床に沿って礫・砂・シルトが狭長に分布する。