5−3−1 [地質各説]

(1) 盛土材料他;雄物川流路変更時の掘削土砂等であるが、地表地質踏査では確認していない。

(2) 砂丘堆積物;

・新期砂丘堆積物;新期砂丘堆積物は淘汰された砂層で、腐植土層を1〜2枚挟む。下浜桂根では厚さ15mの土石流堆積物を挟んでいる。新第三系を覆って分布し、厚さは一般に数m、厚いところで10数mとなる。平安時代より後の生成と推測される。

・旧期砂丘堆積物;下位の旧期砂丘堆積物は黄色味を帯びた、やや締まった砂層で、腐植土層を数枚挟む。親川では厚さ4〜5mである。海浜砂丘は厚さ10m以下のルーズな砂層である。平安時代頃の生成と推測される。

(3) 氾濫原堆積物;シルト層や礫層から成る。現世の堆積物に加え、完新世段丘またはそれ以前の堆積物の場合が鮎川(14C年代5,430BP)、君ケ野川(14C 年代9,270BP)、親川(14C 年代7,690BP)で認められる。これらは広く発達した完新世段丘を削って氾濫原が形成されたことを示している。

   

(4) 完新世段丘堆積物;河川の堆積物で、海岸にもっと近い(300m)雪川の露頭でも淡水成の珪藻を確認している。シルト質の基質に新第三系の円礫を含むことが多い。

子吉川と支流芋川の合流点の菖蒲崎にはシルト質の堆積物が分布し、ここから縄文早期の遺跡が発掘され、14C年代は7,700年BPが得られている。同層中には遺跡の貝層が含まれ、その標高0〜−1mは当時の海水準が現在よりも低かったことを示している。なお、貝層は直線状の破断面で40cm程度の段差が生じているが、その分布形態から地すべり性であることが推測された(添付資料)。

(5)未区分沖積堆積物;シルト質の基質と新第三系の円〜亜円礫を特徴とする堆積物である。

(6)中位段丘堆積物;新第三系由来の円礫から成り基質はシルト質である。厚さは1m程度で薄い。また、火山灰は認められない。鮎川の中位段丘はこの薄い礫層さえも堆積していない岩盤から成る段丘である。

(7)時代未詳砂礫層;未区分中位面に堆積する砂礫層である。淘汰された砂層と第三系の円礫が特徴である。1/5万地質図幅では潟西層、笹岡層とされている。

(8)高位段丘堆積物;亀田の山地で認められる。中位段丘堆積物と同様である。

(9)西目層(?);本荘市三川では天徳寺層を不整合に覆って厚さ10m程度のシルト層が分布する。このシルト層はしじみ化石を含むことより、淡水成と考えられる。この上位には厚い砂層が礫層を挟んでほぼ水平に重なり、火山灰層も数枚挟まれる。

この地層は標高30〜60mにあり段丘堆積物ともみられるが、褶曲構造や逆断層も認められ、また、堆積環境も異なることから、さらに古い時代のものと判断される。なお、14C年代は45,000年BPを得たが、測定限界に近い値で信頼性は低い。このため、この地層の同定には新たに火山灰や微化石の分析、FT(フィッション・トラック)法年代測定等が必要である。

ここではやや古い地層とみられること及び時間的制約によりそれらの作業は進められなかったが、本荘市南側に分布する西目層相当層とした。本荘市の西目層は砂層を主体とし、標高80m級の丘陵を形成している。

(10)笹岡層・新第三系;笹岡層は厚い砂層を特徴としている。新第三系は1/5万地質図幅に基づく層相に従い、ここでは割愛する。

海岸における新第三系の露岩状況は図5−1−1図5−1−2図5−1−3図5−1−4図5−1−5地質図に示すように調査地域の南側半分に多い。露岩の最北端は内道川の海岸で、これより北側は海岸に新第三系は露頭していない。このような露頭状況は、北側でなだらか、南側で山地が海岸に迫る険しい海岸地形の特徴と隆起速度の観点から整合的である。