6−3−2 米代川南岸地区の沖積1面の変位量と堆積物との検討

1/5,000国土基本図の標高点の分布から、米代川南岸地区の沖積段丘1面には2.4m以上の鉛直変位がある。この地域は藤本(1986)が既往の土質調査ボーリング資料を整理、検討しており、構成層の検討が可能である。そこで標高点分布を検討した断面付近のボーリング柱状図を地形断面に合わせて図示した(図6−3−2)。

図に示した隆起側のNo.166は、ほぼ標高点を投影した測線上に位置しているが、低下側のNo.145とNo.148は測線から大きく北へ外れている。そのため隆起側と沈降側とを結んだ勾配には堆積勾配が大きく現われ、図から断層変位を単純に読み取ることはできない。しかし、既往ボーリング資料から以下のような地質情報が得られる。

沖積段丘1面の構成層には十和田火山を給源とする3種類のテフラの存在が確認されている。新しいものから毛馬内テフラ(To−a:降下年代915AD)、鳥越テフラ(To−Hp:降下年代12〜13ka)、および高市テフラ(降下年代約25ka)であり、米代川沿いに流下した火砕流堆積物とされている。

沖積段丘1面の構成層は、最終氷期に米代川が深い谷を形成していた時期から縄文海進の最大海進期までの海進過程で堆積したとされている。毛馬内テフラは沖積段丘1面離水後に降下した。高市テフラは最も寒冷な時期に降下しており、沖積段丘1面構成層の基底部に分布する。鳥越テフラの降下年代は約12,000年前の小海進ピークに対応する。藤本(1986)がまとめた既往ボーリング柱状図では、能代断層隆起側の標高−20m付近と−40m付近、沈降側の−35m付近と−50m付近のそれぞれ2深度に粗粒堆積物から細粒堆積物に移行する部分が認められ、2回の海進があったことが推察される。鳥越テフラは下位の海進の終わりに降下しており、降下年代と堆積相に対応関係が認められる。

なお、図6−3−2ではNo.166とNo.148の毛馬内テフラ〜鳥越テフラ間の層厚がいずれも35〜40m程度であり、能代断層による累積変位を単純に読み取れない。この原因として鳥越テフラ降下後の小海進、小海退に伴って堆積速度が地域的に異なる可能性や、No.166にみられるようなテフラの再堆積の可能性などがある。米代川での断層変位の解析には、テフラの対比とともにテフラの産状の検討、年代値のクロスチェック、および海面変動に伴うの環境変化(淡水、海水の関係、水温等)等を詳細に検討する必要がある。