6−2−2 能代断層の変位形態の特徴

図6−2−2に示すように、浅内沼測線の解釈断面図ではE層基底付近の境界が大きな不整合面であることがわかる。この不整合面の下位には、能代断層を境として隆起(東)側に秋田層序で言う船川層(上部中新統)や女川層(中部〜上部中新統)等の古い地層が分布しているのに対し、沈降(西)側に男鹿層序で言う船川層(上部中新統〜鮮新統)等の新しい地層が厚く分布していることがわかる。すなわち、能代断層を境に地層の年代に大きな時代のギャップがあることがわかる。なお、このE層基底部(層準T)では、1.2MaとされるGlobigerina pachydermaの形態変化(右巻→左巻)が認められたとする既往の微化石分析結果もある。また、能代断層の沈降側に認められる既往の微化石分析による3.6Maの基準面(層準U、Globorotaria inflata基底)は、断層の隆起側では不整合面で削られ確認できないと考えられ、隆起側の不整合面直下の地層は少なくとも3.6Maよりは古いと判断される。

八郎潟北岸測線での能代断層の位置は測線の東端付近であり、浅内沼測線と同様に、E層基底面より下位地層の年代が能代断層を境に大きく異なる様子が確認できる(図5−5−10)。

能代断層の活動については、E層基底面(層準T)の年代を1.2Maと仮定すると、1.2Ma以前については断層の両側に対比しうる時間基準面がないため不明である。しかし、時代の全く違う地層が能代断層を境に接していることから、1.2Ma以前に断層面が存在したことは確実である。能代断層の活動の痕跡は、その後E層基底の不整合面にて一度リセットされる。1.2Maから現在までの堆積層(E層〜H層)に層厚の変化や変形の累積性が認められることから、1.2Ma以降も能代断層が活動していることがわかる。

反射法のマイグレーション断面図からは、E層およびF層にごく僅かな断層変位が認められるが、より上位のG層およびH層に断層変位はなく、撓曲変形のみが認められる。空中写真判読でも、傾動、撓曲は認められるが東側の上昇を示す断層崖は判読されていない。また、地表踏査でも後期更新統の傾動・撓曲は観察されるが、東側隆起を示す断層露頭や変位地形は確認されなかった。

したがって、第四紀における能代断層の基本的変形形態は撓曲構造であると言える。

反射法探査・浅内沼測線のCDP No.400付近の地表地形(逆川断層D付近)およびCDP No.520付近の地表地形(逆川断層C)からは、逆向き断層群(西落ち)の存在が予想されたが、反射法探査結果の断面図を参照すると明確な断層を解釈するのは困難であった。地層面そのものが地表付近で高角になる様子は一部確認できるので、地形調査で確認された逆向き断層群は層面すべりの可能性もある。

八郎潟北岸地区の能代地震隆起域は東へ向かって次第に幅を減じて消失する。また、沖積面の汀線高度も東へ向かって低下する。したがって、能代断層の隆起側地塊は東へ向かって傾動しており、その最大隆起部は鵜川背斜付近にある。

能代断層の前縁部には非常に緩やかな向斜構造(浅内向斜)が認められる。この向斜構造は、浅内沼測線ではCDP No.200〜250付近のE層基底からごく浅部の構造(反射法探査でいう表層基底層)にいたるまで読み取れる。また、八郎潟北岸測線のCDP No.150〜200付近のE層基底から浅部の堆積層にも同様な傾向が認められる。さらに1/5,000国土基本図から読み取った標高情報からも浅内沼をとおる南北方向の緩やかな向斜構造の存在が推定される。

以上のことから、鵜川背斜と浅内向斜との間が能代断層による撓曲帯と考えられる。

反射法探査によると、隆起側地塊には向斜構造や背斜構造が発達している様に見える。浅内沼測線のCDP No.550〜600付近、また、八郎潟北岸測線のCDP No.1〜50付近は鵜川背斜に対応すると考えられ、その頂部付近では反射波の乱れが大きい。浅内沼測線ではこの傾向が特に強い。

また、浅内沼測線の東端付近には浅部に向斜構造が確認できる。この向斜構造は川尻向斜に相当しているが、その活動性については明らかでない。

図6−2−1 総合検討図

図6−2−2 地質構造検討模式断面図