(1)能代断層の変位、変動地形

〈 中位段丘の傾動と撓曲 〉

能代断層の分布が推定される峰浜村高野野から八竜町大曲にかけての南北約20kmの区間では、中〜低位面が幅最大約1.5kmにわたって西へ傾動、撓曲する。この撓曲崖は大沢他(1984、1985)の「能代撓曲」に相当する。この傾動、撓曲部には畑谷地区の高野野断層、東雲地区の磐断層、および成合地区の逆川断層の断層崖が認められる。これらの断層は、能代断層が示す撓曲とは逆の西側隆起の変位センスを示す逆向き断層である。能代断層による撓曲は、特に逆向き断層の西側で著しい。各地区において能代断層沈降側では変位基準となる中〜低位面が沖積面下に没しているため、能代断層の全変位量を地形的に直接把握することができない。しかし、隆起側の上昇量は中〜低位面の高度分布から以下のように推定される。

@ 畑谷地区では高野野断層西側のM4面とL1面とが傾動、撓曲する。M4面は十数m、L1面は数m以上の高度差を示して撓曲する。

A 東雲地区では磐断層西側のM3面とM4面とが傾動、撓曲する。M3面は約30m以上、M4面は約20m以上の高度差を示して撓曲する。また、M2面が沖積面との高度差約40mに分布している。

B 成合地区では、雁行配列する逆川断層群の西側のMD面が傾動、撓曲する。逆川断層群西側のMD面は、沖積面に対して最大約40mの高度差を持っているが、この高度差には、古期砂丘が示す地形的な凹凸が含まれている。沖積面は中位面を側方から浸食し、崖線を残す。

これらの低〜中位面の撓曲は、米代川横断部などの沖積面にも現われている可能性があるが、空中写真では捉えきれない。

一方、海浜部の沖積面と、傾動、撓曲した中位面との間には、沖積面や未区分低位段丘面の東側にしばしば直線的な崖地形が判読される。活断層研究会編(1991)では、海食崖の可能性を指摘しつつ、崖の基部に活断層の存在を推定して「確実度V」としている。しかし、河川横断部では沖積面に変位を与えておらず、縄文海進期などの海食崖と推定される。崖地形上下の地形面が本来一連であるような、明瞭な東側隆起を示す断層崖は判読されない。

〈 八郎潟北岸地区の隆起地形 〉

八郎潟北岸地区には3〜5面の沖積段丘面が認められる。

@ 最高位のA1(高位)面 は、三種川などの小河川に沿って入り込む分布を示し、縄文海進の最大海進期の面と推定される。

A A1(中位)面は、能代断層隆起側では川尻付近に断続的に分布する浜堤の位置に汀線が想定される。沈降側は海浜部から成長した新期砂丘に覆われ、連続性は不明である。

B A1(低位)面は、大曲西方に数百m程度連続する小規模な浜堤の位置に汀線が想定される。隆起側、沈降側への連続性に乏しく、A1(中位)面との識別は困難となる。

C A2およびA3面は、能代断層隆起側で連続性が良く、八竜町二ッ森付近まで追跡される。一方、能代断層沈降側とみられる八竜町浜田付近では、より高位のA1面との高度差を失うことから、能代断層の隆起によって生じた潟湖成段丘の可能性が高い。また、最低位のA3面は、幅最大600m程度、延長6km程度の面積を持ち、粟田(1985)が古文書の記述に基づいて指摘した能代地震による隆起域に相当する。

〈 米代川流域の沖積面群 〉

同様な沖積面群は、米代川河口部にも発達する。

@ 最高位のA1面は、非常に平面性が高く、分布も広い。秋田大学調査班(1986a)は、縄文海進の最高海水準期の入江に形成された地形面としている。

A A2面は、複雑な旧河道や自然堤防を残しており、更に3面程度に細分される。その分布域は、概ね現在の米代川と同様の蛇行形態を示しているが、蛇行の規模は更に大きい。米代川南岸の能代市中和長や三頭沼付近では、蛇行河川の側方に形成された自然堤防を越流して海岸部へ直接流下する古流路が認められる。

B 最低位A3面は、米代川の最近の氾濫原と、さらにその高位の面の2面に細分される。いずれも現在の米代川と同様の蛇行形態を示す。能代地震の際、米代川河口部で水位が低下したという記述(大沢他,1985)がある。また、藤本(1999)は、既往土質調査ボーリング資料の検討から、本調査のA1面およびA2面相当段丘構成層に、能代断層の変位に伴う変形が読み取れるとしている。したがって、米代川の沖積面群の一部は能代断層の運動に伴って形成された可能性がある。