3−4−1 隆起側沖積面の旧汀線高度分布

八郎潟北岸隆起側では南北測線を8本設定して微地形測量を行い、A1面〜A3面の旧汀線高度を地形断面から読取った。能代断層が概ね南北方向の走向を示すため、旧汀線高度を東経140°00′を基準に東西方向の断面に投影した。投影断面(旧汀線高度分布図)を図3−4−1に示す。

この図から以下の点が考察される。

@ 能代地震に伴う陸化域と指摘されたA3面の旧汀線は、大曲から富岡にかけて標高1m前後に位置している。これは能代地震に伴う隆起量に相当するとみられ、粟田(1985)の記述と一致する。

A A3面の旧汀線は安戸六付近では標高0.6m前後に低下し、東へ傾斜する。A3面の旧汀線高度7点を直線で近似すると、その勾配は8cm/1,000m(相関係数0.46)である。

B A2面の旧汀線は大曲から富岡にかけて標高3m前後に位置しているが、安戸六付近では標高2.0〜2.5mに低下し、東へ傾斜する。A2面の旧汀線高度7点を直線で近似すると、その勾配は23cm/1,000m(相関係数0.90)である。

C A1面の旧汀線は大曲から富岡にかけて標高4m前後に位置している。点数が少なく確度は低いが、A2面の旧汀線と同程度の勾配を示す。

白石(1990)によれば、八郎潟は約2,200yBPに汽水化して成立した。完新世を通じて外洋と遮断された形跡はない。A1面は八郎潟湖岸地域における最高位沖積面であり、腐植土底部の試料から5,990〜6.230cal.yBPの年代が得られた。A1面の高度は、米代川南岸の能代断層隆起側A1面(離水年代約6,000〜6,300yBP)とほぼ一致しており、縄文海進最高海面期を過ぎた時期に形成されたとみられる。

一方、粟田(1985)・大沢他(1985)が指摘したように、A3面が能代地震に伴う陸化域であるとすれば、A2面は縄文海進最高海面期と能代地震との間に離水したと考えられる。上記のようにA2面とA3面との旧汀線高度のプロットによる勾配には累積性が認められるので、旧汀線の傾動が能代断層の活動に伴う変動だけを反映するものと仮定すると、縄文海進最高海面期と能代地震との間に、少なくとも1回の断層変位があった可能性が指摘される。この推察は米代川における能代断層の活動履歴に関する推定と調和的である。

なお川尻付近の国道北側に湖岸方向の浜堤が判読されるが、測量の結果では浜堤両側に高度差は見られず、一連の地形面(A1面)と判断される。またE7測線の北端の遷緩点は、A1面旧汀線のプロットの並びより明らかに高度が高く、河川の堆積勾配が加わっているものとみられる。

図3−4−1 微地形測量による旧汀線高度分布図