(1)A1面構成層の層序

米代川のA1面を構成する沖積層は、下位の砂礫を主体とする堆積物と、上位のシルト〜細粒砂を主体とする堆積物に大別され、数cm〜数mの堆積サイクルを示しながら、全体として上方へ細粒化する。両堆積物の境界付近には厚さ1.5〜4.5mの十和田−八戸テフラの火砕流堆積物が分布する。またB−10孔では堆積物の最上部に厚さ約5mの特異な砂層が分布する。

 砂礫を主体とする堆積物は、径数mm〜数cmの新第三系に由来する円〜亜鉛礫を伴い、基質は総じてシルト分に富んでいる。中〜粗粒砂や礫混じり砂を伴い、1〜5mのオーダーで上方細粒化を繰り返すが、B−10孔の十和田−八戸テフラ直下では数cm〜20cm程度のオーダーで上方粗粒化する部分も認められる。

 シルト〜細粒砂を主体とする堆積物は、腐植物に富んだシルト、砂質シルト、およびシルト混じり細粒砂などが数cm〜数十cmのオーダーで頻繁に繰り返す。粗粒部には下位の十和田−八戸テフラに由来する径最大数cmの円磨された軽石を頻繁に伴う。堆積物は十和田−八戸テフラの火砕流が流下した12〜13kaから6,300cal.yBPまでの連続的な14C年代値を示し、上部は縄文海進最高海面期の内湾の堆積物と予想される。しかし最上部の腐植土層の直下では、1〜2cmのオーダーの上方粗粒化サイクルを持ったシルトと細粒砂との繰り返しが頻繁に認められ、氾濫原の様相を示している。シルト層最上部に含まれる珪藻群集から、一部汽水化した淡水環境が推定され、河川環境に移行してから離水したとみられる。

十和田−八戸テフラは、B−10孔で3.8m、B−11孔で4.5m、B−12孔では0.6mの厚さ示し、全体として沈降側で厚さが増大する。径0.5〜1.0cmの軽石を主体とし、基質も細粒な火山ガラスからなる。最下部には黒曜石様のガラス片が含まれる。テフラ分析ではガラスの含有率が高く、上下に分布するシルト層の14C年代値は、知られている十和田−八戸テフラ降下年代(12〜13ka)を支持している。このことから火砕流堆積物の降下(流下)層準と判断される。

砂礫を主体とする堆積物、シルト〜細粒砂を主体とする堆積物、および十和田−八戸テフラの関係は、B−11孔において十和田−八戸テフラの下位約3mまでシルト〜細粒砂を主体とする堆積物が分布しているのに対し、B−10孔とB−12孔では十和田−八戸テフラの上位まで砂礫を主体とする堆積物が分布する。十和田−八戸テフラの堆積前後、B−10孔とB−12孔付近では粗粒な砕屑物の堆積が継続したことを示す。

B−10孔の堆積物の上部に分布する砂層は約5mの厚さがあり、隆起側の他孔に見られない層相を呈する。厚さ5〜10cmの粗粒砂を数層挟在する中粒砂からなり、長波長の傾斜した葉理が認められる。葉理の様相からはデルタや砂質チャネルなど、水中の堆積環境が想像されるが、礫を含まないため、砂丘堆積物の可能性も残されている(図3−2−3)。この砂層の底部には厚さ約5cmの腐植土層があり、隆起側A1面に載る腐植土層の底部とほぼ同じ5,600〜5,990 cal.yBPの年代値を示す。また砂層直上の十和田aテフラを挟在する腐植土層底部からは、4,000〜4,260 cal.yBPの年代値が得られたことから、砂層はほぼ4,000〜 6,000 年前の期間に堆積したと推定される。すなわちこの砂層はA1面の構成層ではなく、断層沈降側でA1面を被う堆積物と考えられる。